白獣色窯変 3
吉井小太郎はいつまで続くのかわからない山道を独り歩いていた。
道と呼ぶにはあまりにも細く険しい坂道を、転ばぬように一歩一歩上っていく。背中のリュックが歩みに合わせて揺れている。
じんわりと浮かんだ額の汗が、5月の緑光に滴っていた。
前日、近くの村にご厚意で一泊させて貰った小太郎は、皺に埋もれた顔で笑う親切な老婆に言われた言葉を思い出していた。
「ああ、花村さんかね。悪いこた言わねぇから帰ったほうがええよ。無理だぁよ、あんひとは。人嫌いなんだぁてよ。追い返されるんが落ちだぁ」
それは元々覚悟の上だった。
人を寄せ付けない孤高の陶芸家、花村東光。
ゴツくて男臭い見た目に似合わない繊細で華麗な作品を生み出す、あの大きな手。
弟子入りは無理だとしても、せめてその創作過程を目にしたい。
ひんやりとした白い姿をしているのに、何故か奥から温かな光が溢れてくるような作品はどんなふうに生まれてくるのかを、小太郎は知りたかった。
黙々と足を進めていたが、都会生まれの柔な足に長く続く山道は容赦がなかった。
しっかりと持ち上がらなくなったつま先が、何かにつまづいて派手に前のめりに転んだ。
膝に走った衝撃に呻いて動けないでいると、いきなり道の脇から黒い人影が現れた。
「なんだ、人間か」
驚いて顔を上げた小太郎を見下ろしながら、その人は言葉を吐き捨てた。
「…あ、」
「お前、鈴も付けていないのか」
「え…す、ずって?」
「熊よけの鈴だ。山に入る時には付けるもんだ。襲われたいなら勝手にしろ」
男は厳しい口調でそれだけ言うと、踵を返し道の先へと歩いて行く。その後をチリリンと鈴の音が追いかけていく。
「あ、あの」
「なんだ? 付いて来ないなら今すぐ帰れ」
「え、あ…、行きます」
痛む足を引きずりながら、小太郎はその男に追い縋った。
程なくして、山間の拓けた土地に簡素だが大きな家が見えた。
男は乱暴に戸口を開けると、振り向きもせずに「入ってこい」と小太郎に声をかけた。
仔犬のように怯えながらおずおずと家に上がると、男は玄関にある椅子を指差した。
「座れ」
「はい」
小太郎は腰を下ろすと、辺りをキョロキョロと見渡した。
東京の自宅アパートの何倍もありそうなくらい、広々とした玄関だ。
上がりかまちから磨き込まれた廊下が続き、奥にいくつか部屋があるようだった。
玄関から右へ続く戸口の向こうにあるのが作業場だ。作業台と轆轤が目に入る。
男の独り暮らしにしては広すぎる家には、その他に余計なものは見当たらない。
ここは間違いなく花村東光の窯元だった。
暫くすると小さな箱を抱えた男が戻ってきて、小太郎の傍らにしゃがみこんだ。
「見せろ」
「…え?」
「足だ。放っておくと熱が出るぞ」
ああ、そうか。
そこまでされて小太郎は、ようやくこの武骨な男が自分の足を心配してくれていることに気づいた。
緊張していた体がゆるりと弛緩するのがわかった。
「ありがとうございます。…花村さん」
「勘違いするな」
「いえ、勘違いさせて戴きます」
「勝手にしろ」
靴下を脱ぎ、まくり上げたチノパンの裾から覗く小太郎の白い足を、太くて固い指先が痛めた箇所を確かめるように動いていく。
途中、痛さに顔をしかめると、花村はそこに冷たいジェルのようなものを塗り込んでいった。
「軽い捻挫だ。山道を降りるにはキツイ。不本意だが泊まっていけ」
「いいんですか?」
「帰りたければ帰れ」
「あ、いえ、甘えさせて戴きます」
小太郎は小さく頭を下げた。足は痛かったがなんて運がいいんだろうと心の中でほくそ笑んだ。
襟足から覗く色素の薄い細い首が、花村の目に白く映り込んでいた。
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