NO RAIN NO RAINBOW 7


 そんな風にぼんやりと時間を過ごしていると、ドアの向こうから賑やかな一団が入ってきた。

 やっと雨が上がって良かったねと口々に囁く声に引きずられて、梅原は窓の外に視線を投げた。
 いつの間にやら雨は鳴りを潜め、空いっぱいに広がっていた雨雲が少しずつ切れて、その隙間から薄青い空が顔を覗かせていた。

 切りがいいな。
 腕時計をちらりと確認して梅原は席を立ち、カップとお皿の乗ったプレートを入り口近くにある所定の棚に片付けるとカウンターを振り返った。
 すると、ちょうどモップを持ってこちらへ向かって来る井上と目が合った。

「梅原さん、お帰りですか?」
「ああ、ちょうど雨が上がったからね」

 傘カバーから傘を抜き取り「ごちそうさま、またね」と挨拶をしてドアに向かうと、井上が慌てたように「ちょっと待って下さい」と声をかけてきた。

 何事かと首を傾げていると、井上はドア向こうの小さな段差のあるエントランスをモップで拭き始めた。

「水が跳ねますし、滑ると危ないので。すぐ終わりますから」

 さっきまで降っていた雨は、そこに幾つかの水溜まりを作っていた。
 洋服が汚れるほどではなかったが、店側のちょっとした気遣いは嬉しいものだ。
 梅原はよく動く井上の腕をにこやかに見つめていた。

「これで大丈夫ですよ」
「ありがとう、井上さん」
「いえこちらこそ、ありがとうございます。またのご来店を」
「もちろんだよ、ああ、あのカフェモカ、なかなか美味しかったよ」
「そうですか! 良かったです」

 心底嬉しそうに笑ったウサギ青年に、胸がふわりと暖かくなる。
 また、頑張れる。そんな気持ちになるのがわかる。

 さあ、深呼吸をして問題だらけの会社に戻ろうかと足を一歩踏み出した時だった。
 にわかに辺りがざわざわと騒ぎ始める気配がした。
 何だろうと思いながら辺りを伺うと、突然、隣にいたウサギ青年が「あぁ、あれ」と驚いた声を上げ通りの向こう側を指差したので、その指先に沿って梅原は頭を動かした。

 しっとりと濡れたアスファルトと、すっかり汚れを洗い流した空の向こう側。
 鮮やかな虹が現れていた。

「…虹か」
「虹ですね、久々に見ました」

 携帯を掲げてカシャカシャと写真を撮るひとや、楽しそうに歓声をあげる子供や、さっきまで傘をさして俯いていた人々が揃いも揃って空を見上げている。
 その姿はどこか滑稽で、可愛くて、見知らぬ他人すら愛しく感じさせる光景だった。


 …虹の向こうには子守唄で聞いた国がある
 どんな夢でもかなうところ
 虹の向こうへいけるように、毎日、星に祈りを捧げて
 悩みなんてきっと、レモンドロップのように溶けてしまうところ
 小さな青い鳥たちが虹の向こうへ飛んでいく
 小さな鳥に出来ることが、私に出来ないはずはない
 小さな鳥に出来ることなら、私にだって出来るはず…

 かつてどこかで聴いたあの有名な映画のテーマ曲が、梅原の脳裏をよぎった。
 あの虹の向こうに、人は何を見て、何を求めるのだろうか。
 梅原は隣に佇む青年を振り返った。嬉しそうに空を見上げる瞳に七色の虹が映っている。

「井上さん」
「はい」
「ひとつ、訊いてもいいかな?」

 梅原は出来る限りのさりげなさで尋ねた。


「君の下の名前、 教えてくれないか?」

 NO RAIN NO RAINBOW 

 雨が降るから虹が出る。
 雨が降らなければ虹は出ない。

 人生もきっとそんなものだ。
 梅原は赤い顔をしたウサギ青年に笑いかけた。


【Fin】


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