NO RAIN NO RAINBOW 2
先週末にまとめた売上データを添付して所長のパソコン宛に送信すると、梅原は凝り固まった首をコキコキ鳴らし、椅子の背もたれに寄りかかりながら大きく伸びをした。
月曜日のオフィスは、休み明けということもあって忙しげに動き回る人間ばかりだが、残念なことに売上は芳しくないのが現状だ。
「な〜にが、車のエコ減税だっての。一時的な気休めだろ。根本的な景気対策にはならないっての」
今さっき送信したデータを思い返しながら、ぶつくさと呟いてしまう。
バブルが弾けた後とはいえ、その余波を色濃く残す時代に就職した梅原にとって、現在の車業界の散々たる現状には目を覆うばかりだ。
高速道路を無料化しようと、ETC普及で高速料金を安くしようと、結局は国民の税金を無駄に投入するだけで、むしろ車を持たない人間にとっては迷惑なだけの話だ。車検は高いし維持費もかかる。買い替えも減少傾向にある。
こんな状況でどうやって売上を伸ばせというのかね。社長さんよ。
そこまで呟いて梅原はガクッと肩を落とした。
最近、独り言が多くなったなと自分でも思う。
年だろうか。それとも自分でも気づいていない満たされることのない心のせいだろうか。
仕事も恋も順調だなんて、とんとご無沙汰だ。
恋に悩んで仕事でミスなんていつの話だ。
梅原はおもむろに机の引出しを開けると、綺麗に並んだ青い小さな箱を取り出すと「休憩とってきますね」と周りに声をかけ席を立った。
今の梅原に安らぎをくれるのは、この小さな箱に詰まった20本の煙草だけだ。
しかし、その安らぎを味わう場所すらなくなっていくことに、ため息の数が増える。
梅原はフロアの隅に追いやられつつある喫煙室に入ると、薄くて硬い合皮製のソファーにどかりと腰を下ろした。
指先に馴染んだジッポの小気味良い音を聴きながら、胸に吸い込んだ煙を吐き出した時、やっとひと心地ついたような気持ちになった。
そしてふと、あのウサギ青年の顔を思い出していた。
あの日、結局雨はなかなか止まず立ち往生していた梅原に、ウサギ青年はお店の傘を貸し出してくれたのだ。
「いいのかい?」
「その為の傘ですから。それにこれ、宣伝になるんですよ」
軽く言いながらウインクしてみせた青年に、梅原はドキリとなりながらも礼を述べ、雨足の強くなった外へ出て傘を開くと、青年のその言い草に納得したのだ。
成人男性の体をすっぽりと隠す大きさと、深い緑色に白抜き文字で、でかでかと店名と電話番号が入っている代物だった。
「ああ、あの傘、返しに行かないとな」
梅原がひとりごちたところに、カチャリとドアノブの音がして誰かがするりと室内に入ってきた。
梅原が顔を上げると、一瞬お互いに息を飲み、その後は何食わぬ顔をして「お疲れさまです」と挨拶を交わした。
数ヶ月ぶりに見る顔だ。
いや、数ヶ月前までは顔どころか体の内側でさえ晒しあった相手だった。
「…久しぶりだな、原田」
「ああ、久しぶり」
「同じ会社でも部署が違うと会わないもんなんだな」
「そりゃそうだ。以前は無理やり都合作って顔を合わせてたんだから」
思っていた以上に滑らかな言葉が梅原の口をついた。
原田も少しだけほっとしたような顔つきになっている。
殴り合う寸前までいったというのに。距離と時間という奴は何とも不思議な作用をするものだ。
梅原は口元に笑みさえ浮かべていた。
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