僕に光をくれるひと 7
◇◆◆
いつものように目の定期検診に病院へ行くと、受付のあるフロアに聞き覚えのある声があった。
見えない分、耳や鼻、皮膚感覚が鋭い悠介が聞き間違えることはない。
確かにそこに成瀬と主治医の笹木の声がしたのだ。しかし何故、平日の昼間に成瀬がここにいるのだろう。しかも主治医と。
ぐるぐると考えてこんでいるうちに、足が覚えている診察室の前に着いていた。ドア前にあるソファーに座るとすぐに名前を呼ばれる。
「こんにちは。調子はどうですか?」
穏やかな口調と落ち着いた雰囲気は変わらなかったが、何か微かな違和感があった。
「調子は、いいです」
「そうですか」
笹木は、では失礼とひと声かけてから、慎重に悠介の目蓋に触れ目を開かせる。光が動いているのがわかる。
「ライトが動いているのがわかるかな?」
「はい」
「あのね悠介くん、動きがわかるということは、見える可能性があるということなんだよ」
キシキシと椅子の動く音がして、机に紙がシュッと置かれる音。カリカリと走るペンの音。消毒液の匂い。
この違和感は何だろうと思いながら笹木の指示を待っていると、その口からやっぱりと言いたくなる名前が飛び出した。
「悠介くん、君は成瀬と知り合いだろう?さっき、成瀬がここに来ていたんだ」
「あの、先生は成瀬さんとは…」
「ああ、知らなかった?私と成瀬は従兄弟なんだ」
「…え、あの、成瀬さんは今日なんでここに?」
声が聞こえたのは間違いではなかったのだ。またボランティアで来ていたのだろうか。
「うん、あのね、角膜移植の話でちょっとね」
「…それって」
僕のことで?
主治医がこちらにきちんと体を向ける気配がした。
何かとても大切な話をしようとしている。そんな空気だ。
「君が角膜移植を受ける受けないは自由だ。けれどね、その角膜を提供してくれるひとの気持ちを考えて欲しいんだ」
「…」
「身勝手に提供してるんじゃないんだよ。自分の身体の一部を提供するというのは半端な覚悟ではないんだ。純粋に誰かの役にたちたいと思ってるんだよ」
「それは、」
「うん、君は優しいからそれでも申し訳ないと思うんだろうね。でもそうやって提供してくれたものを拒むというのは…これは私個人の考えだけどね、不遜だと思うよ」
「ふ、そん?」
唇が乾いて上手く口が開かない。喉に言葉が貼り付いて、声がでない。
「そう、不遜。治るチャンスがあるのにね。どんな生き方をしてもいいと思うけれど、素直に生きていくことも大事だよ」
「す、なおって」
「君はまだ若いんだ。可能性の塊なんだよ。角膜を提供してくれたひとは皆、頑張って生きたひとだ。決して申し訳なく思うようなひとたちじゃない。お亡くなりになったのは残念だけどね、彼らだってもっと生きたかったはずだよ。だったら悠介くんも、もっと自分を生きようよ」
頭に大きな手のひらを感じた。温かくて優しくて、血の通った生きている手のひらだ。
そしてふと、あの日の小さな手のひらを思い出した。
ボクの目をあげる。
約束だよ。
あの声が耳に蘇る。
悠介の全てを許してくれるような、穏やかで静かで嘘のない声だった。
必死に今を生きている人間の声だった。
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