森のひと


 成瀬さんに近寄ると、森の香りを思い出す。

 幼い頃、父が連れていってくれた屋久島の鬱蒼とした森。
 キラキラ光りながら揺れていた木々の葉ずれ。透き通った空気を吸い込むと、胸がひんやりと冷たくなる。

 抱きついた屋久杉の温かさ。ざらざらした木肌。
 耳をあてると、大地から水を吸い上げるゴォゴォという音が聴こえた。


 成瀬さんに抱きつくと、あの屋久杉と同じように温かな音が聴こえる。

「成瀬さんは森の匂いがするね」

 柔らかく抱きしめ返す成瀬さんの腕。ふふっと笑う息が髪にあたる。

「仕事場の匂いだろ?」
「うん、木の匂い。気持ちいいね」

 悠介は生まれたばかりの仔犬のように、厚い胸板に鼻をすり付けた。
 胸いっぱいに吸い込む木の匂い。成瀬の匂い。

 東京の片隅の小さなマンションの部屋。
 飾りけのない白い壁に茶色とベージュのラグ。
 中央に置かれた手作りのソファー。
 都会の真ん中で脳裏に広がる森の緑。


 目を閉じて、あの日の風を思い出す。
 クタクタになりながら、屋久杉まで登り詰めた道筋の、湿った土の匂い。
 岩にみっしりと生えた黄緑色の苔。

「成瀬さん」
「ん」
「今度、一緒に屋久島へ行きませんか?」

 もう一度、あの森へ行ってみたい。
 まるで成瀬の故郷のような深い緑の森に抱かれて、星々に見下ろされながら眠りにつきたい。

「屋久島か、いいな。屋久杉、見に行きたいね」
「はい」

 悠介は目を閉じたまま、遠い南の島に想いをはせた。

 風、光、緑、空、星、

 すべてを思い起こさせる。
 あなたは森の匂いのするひと。

 ボクの心に根をおろす、
 都会に息づく一本の樹木。


(短編小説「僕に光をくれるひと」より)


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