嫌なら嫌と言いたまえ
「嫌なら嫌と言いたまえ。そんなことで立花君を嫌いになったりしないから」
ガタゴトと揺れる電車の中で、眼鏡の奥で光る瞳をこちらに向けたと思ったら、いきなりぶっきらぼうに言葉を投げつけられた。
覗き込んだその眼差しには、ポカンと口を開けた俺の顔が映っているのが見える。
ふたりのオフが偶然重なって、以前から誘われていたお買い物に行くことになった水曜日。
子供の頃からよく言われる言葉がこの綺麗な人の口から出てくるとは思わなかったから、ちょっとびっくりだ。
この締まりのない顔つきのせいなのか、それとも何でもホイホイ頼みごとを受けてしまう性格のせいなのか、人が好すぎるんだよといつも友達から怒られてしまうこの俺。
中には好い人ぶってるとか言ってる奴もいるらしいけれどね。
でもさ、俺が誰かの助けになるならそれでいいじゃないか…と思うんだけど。
だから利用されるんだ、バカじゃんなんて、姉貴たちにも言われるけれどさ。
俺がOKならいいんじゃないの?〜て、普通に思うんだよね。
だから、毎日顔を付き合わせて馬鹿なことを仕掛けてくる藤田サンを、嫌だなんて思ったこともないですよ。
いきなりデートしようと言われて、本当に嫌だったら誰が携帯番号を教えますかねって話でしょ?
おかしな言動も行動も、それは他ならぬ藤田サンの姿ですよね。
最近じゃ、それがないと物足りなく感じてる自分がいるんですよ。
毒されましたかね?
「何を笑ってるんだい?」
「あ、いえ、晴れて良かったな〜と思って」
「俺は晴れ男だからな」
「俺もです」
「それは凄いな」
何が凄いんだかわかりませんけど。
隣のつり革に捕まる貴方のつむじを見下ろして、何だか可愛いなと思ってしまったのは秘密にしておきます。
「嫌なら嫌と言いたまえ」と貴方は言うけれど。
「嫌じゃないから、嫌とは言いません」よ。
晴れ渡る東京の空の下。
ふたりを乗せて走っていく黄緑色の電車は、もうすぐ目的の駅に着こうとしていた。
(「眼鏡美人観察日記」より)
[*前] | [次#]
[目次]