「とりあえず」から始まるもの
今になっても思うんだ。
何故、その言葉が出てきたのか。というか、その言葉を吐いた時の気持ちが全くと言っていいほどわからなかったから。
高校時代の後輩が同じ大学に進学したとわかって、久々に会うことになった。
そこにソイツがいたんだ。やたらと背が高くて、クールでお洒落なイケメン。
その時は流してしまったけれど、今になってわかることがある。
第一印象って奴はやっぱり正しいんだって。
「初めまして」と挨拶をされた時、何とも言えない違和感があった。
後輩は特別に目立つ奴ではなかったけれど、明るくて前向きで善良な人間だ。分け隔てない優しさと当たり前に持っている友人への情だとか、普通にある人間らしさが好ましい奴だった。だから、ソイツがそこにいることが奇妙だった。
ソイツは、黒崎という男は、明らかに腹黒な雰囲気を持っていた。
にっこりと微笑まれても、どうにも冷たい空気を感じてしまって、俺はその日そそくさと大学を後にした。
それなのに。
その日の夜、自宅を訪ねてきた黒崎に驚き、何で家の場所を知っているんだと聞き返すことも出来ず、さらに吐かれた言葉にピキンと体が固まって動けなくなってしまったのだ。
「白井先輩、俺と付き合いませんか?」
「何で?」とも「バカ言ってんな」とも返せず、玄関で口をポカンと開けたままの俺をきつい瞳で見下ろすと黒崎は、続けざまにこう言葉を放ったのだ。
「だって先輩、仲間でしょ?」
【仲間】
やっぱり嫌な奴だ。
ああ、そうだ。その通りだよ。俺と黒崎は仲間だ。同じ性癖を持つマイノリティだ。
だから俺は優しい後輩と友達付き合いをしていたんだ。明るく善良な奴らの中にいれば、自分も世間一般でいう【普通】になれるような気がしていたから。
でもやっぱり無理みたいだ。こんなに簡単に見破られてしまうんだから。
ガックリと項垂れた俺の肩に、黒崎はそっと両腕を回して耳元で甘ったるく囁いた。
「俺は味方だから」
「一目惚れだし」
「とりあえず、付き合ってみない?」
カッコイイ男が必死になって、何の取り柄もない俺のような奴にすがり付いて口説いてくるのがおかしくて、少しだけ落ち込んだ気持ちがふんわりと柔らかくなるような心地がした。
でも、だからといってコイツに恋愛感情を持てるとは思えなかった。
「俺はお前のこと、よく知らないよ」
「でも嫌いじゃないよね?」
何度も何度も人の言葉を掬い取りながら、黒崎は俺の肩を離さなかった。
じんわりと黒崎の体温が染み込んでくるのを感じた。
「なあ、黒崎。肩を離してくれ」
「やだ」
「これじゃ、話が出来ない。離してくれよ」
名残惜しそうに離された体と腕の間に、すうっと冷たい空気が入り込んできた。
その瞬間、微妙に離れた空間が何だか寒いなと感じてしまったんだ。
だから魔が差したんだと思う。
「なあ、黒崎。今日は寒いからさ、とりあえず…とりあえずだな、コーヒーでも飲んでけよ。話はそれからだ」
(短編「ひっくり返して、黒」「ひっくり返して、白」より)
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