当たり前を口にするキミ


 明日が休みなのをいいことに我が物顔でヒロの自宅を探索していると、リビングのガラステーブルの上に投げ出された雑誌が和臣の目に入った。

 何気なく手に取ると、表紙には「ニューヨークカフェ戦争〜第三の波〜」という赤い文字が踊っている。
 業界の専門誌だろうかと思いながら和臣はページを開いた。

 第一の波は60年代。
 アメリカの一般家庭でコーヒーが普及していった頃。メインはカップにたっぷり注がれたいわゆるアメリカンコーヒー。
 第二の波はアメリカ西海岸、サンフランシスコから始まったエスプレッソコーヒー。これを飲んで感動した人物が後のスターバックスを創立することになったほど、その存在は衝撃的であった。
 そして第三の波は、豆と焙煎にこだわった品質第一のコーヒー…と、ここまで読んで和臣は首をひねった。

「…なあ、ヒロ」
「ん? なあに?」

 和臣は雑誌に視線を落としたまま、キッチンで忙しげに動いているヒロに声をかけた。
 今日の夕食は長時間煮込んだビーフシチューで、たっぷりの赤ワインと完熟トマトを使ったデミグラスソースの芳ばしい香りが辺りに漂い始めている。

「これさ、この雑誌のコーヒーの第三の波っておかしくないか?」
「どこがおかしいの?」

 夕食の支度に一段落ついたのか、ヒロが身につけているエプロンの前布で両手を拭きながら、ソファーに座り込んでいる和臣の手元を覗き込んだ。

「これこれ、豆と焙煎、品質第一って奴」
「品質は大事でしょ?」
「そうじゃなくてさ、品質第一なんて当たり前のことじゃないか。それが第三の波だって言うなら、今までどんなコーヒー作ってたんだって話だろ」

 やや興奮気味に話す和臣に、ヒロは穏やかな口調で言葉を返した。

「日本のコーヒーはね、世界でトップレベルなんだよ」
「アメリカの方が歴史はあるだろ」
「確かにね。でもそれでも日本の方がクオリティー高いんだ。アメリカが悪いって訳ではなくて、日本らしさって言えばいいのかな。素材を吟味にして繊細な味を引き出すのが上手いんだよね」

 ヒロの言葉にいまいち納得できないのか、和臣は眉間にシワを寄せ、唇を尖らせて「ん〜」と唸っていた。
 和臣がどうにも腑に落ちない想いを持ってしまうのは、豆と焙煎にこだわるヒロの姿を知っているからだ。
 和臣はヒロを深く尊敬している。だからこそ、品質第一なのはこだわりというよりも当たり前のことなんじゃないだろうかと憤慨してしまうのだ。

 和臣は自分の隣に腰を下ろして、雑誌を覗き込むヒロの横顔をチラリと盗み見た。
 柔らかなオレンジ色の照明が影を落として、うつむき加減のヒロのまなざしを色濃く映し出していた。
 思わず和臣が見とれていると、長いまつげがふわりと動いて茶色の瞳が優しく見つめ返してきた。

 柔らかで暖かな想いをたたえた瞳に自分の姿が映っている。
 その美しい泉に吸い込まれるように顔を近づけ、薄く開いた唇に触れようとした瞬間、和臣の腹の虫がぐぅぅ〜と盛大な鳴き声をあげた。

「…あ」

 真っ赤な顔をして両手でお腹を押さえる和臣の慌てぶりに、ヒロは必死に笑いをこらえた。そして心の奥から溢れてくる愛しさを感じながら和臣に向き直った。

【当たり前という奴は、相手を想う毎日の積み重ねから生まれてくるんだよ】

 そんな言葉をそっと飲み込んで、ヒロは腹ペコの恋人に夕食を用意すべくキッチンへ向かった。


(メイン小説「金星」より)


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