煙草とマリー・アントワネット 2
◇◆◆
部屋が臭くなる。
汚れる。
灰を落として焦げを作る。
それはいつも言われることだが、一番引っ掛かったのは「結局、煙草って赤ん坊のおしゃぶりと一緒じゃん?」と言われたことだ。
ばか野郎。
煙草とお酒をたしなむ奴は他人よりたくさん税金を払ってるんだぞ。優良納税者なんだぞと意気がってみたところで、赤ん坊と言われてしまっては裕一郎も立つ瀬がない。
そもそも、いつから煙草を吸い始めたんだっけ?
何で煙草を吸いたくなったんだっけ?
確か中学を卒業する頃だったような…
すっかり煙草のニコチンに毒された頭の中を掻いくぐり、記憶の断片を探し始めて…
「あ!」と思い立ったのだ。
そう、あれは確かに中学の頃だった。受験を前にして両親が正式に籍を入れた年だ。
高校に入学してから名前が変わるのは面倒だからと、いきなりそんな話になって裕一郎はえらく戸惑ったのだ。
両親共に独身で結婚歴もなく、裕一郎がそんな年になるまで何故入籍していなかったのかは、後で知ることになるのだか。
そんなデリケートな年頃の、受験というデリケートな時期に、入籍という爆弾を落としてくれた両親へのささやかな反抗だったような気がする。
…『気がする』だけだ。
実際には自分の心も、何だかよくわかっていなかったのかもしれない。
どこに持っていったらいいのかわからないモヤモヤを、煙草にすり替えただけなのかもしれない。
だったら、煙草を吸い続ける意味は何だろうと考えてみたら、意味なんてそんな大袈裟なものを持ち合わせてはいなかったという結果に落ち着いた。
だから、やめてもいいかなと思えた。
毎日、臭〜いとわめく恋人に迷惑もかけられないし、煙草を吸わない良紀に副流煙を吸わせている事実は変わらないから。
そして昨日。
裕一郎は良紀に、煙草をやめようかなと言ってみたのだ。
「無理しなくていいけどさ。出来るならやめたほうがいいよ。体も心配だしね」
「ん〜でもさ、すぐにスッパリやめられないかも。イライラしたりするだろ?」
「ああ、それなら大丈夫。いい方法があるよ。あのね…」
良紀の口から提案された禁煙方法に裕一郎の頭は一瞬真っ白になり、それから慌てて何回も頷いたのだ。
「守山、何ニヤついてんだよ」
「あ、いや…とにかくやめますよ、煙草」
「かぁ〜マジかよ。これで風当たりが益々強くなるじゃんよ、俺にぃ」
「すんません」
裕一郎は吸っていた煙草を灰皿に押し付けると、大きくひとつ伸びをして、お先ですと喫煙室を後にした。
その口元は昨夜の会話を思い出したせいで、少し緩んでいる。
昨夜の良紀はとても可愛かった。
「ああ、それなら大丈夫。いい方法があるよ」
良紀はニッコリと微笑んで、ソファに座る裕一郎の右隣に腰を降ろした。
「どんな?」
「うん、あのね」
良紀は一度口をつぐんで裕一郎の肩に手を回し、恥ずかしそうに俯いたまま耳元で囁いた。
「煙草がなくてイライラするなら、俺とキスすればいいじゃない?」
そして、そのまま裕一郎にキスしてきたのだ。
唇が離れる時のチュッという軽い音に、裕一郎は目が覚めたように良紀の唇を追いかけた。
角度を変えながら甘くて柔らかい唇を堪能して、裕一郎は良紀の提案に何度も何度も頷いたのだ。
【煙草がないならキスすればいい】だなんて。
お前はどこのお姫様なんだよと笑いながら、その手の甲に口づけを落として誓いの言葉を胸に刻んだ。
ああ、愛しのマリー・アントワネット様。
この下僕めに、一生分の約束を下さい。
裕一郎は店内の関係者出入口に近づき、すぐそばにあったゴミ箱にマルボロの空箱を投げ入れた。
それは見事な放物線を描いて、ゴミ箱の中へコトンと落ちていった。
ナイスショット!!
今日でもう優良納税者は卒業だ。
裕一郎はドアを開け、意気揚々と店内へ戻っていった。
【Fin】
[*前] | [次#]
[目次]