煙草とマリー・アントワネット 1


 軽やかな音楽が流れる店内で、鏡の中の自分に満足した女性客はニッコリと微笑んだ。

「ありがとう、さすがだわ。指名して良かった」

 チェアの傍らに立ち、一緒に鏡を覗き込んでいた裕一郎を見上げると、更にその笑顔は輝く。

「いえ、こちらこそ。ご満足戴けて嬉しいですよ」

 黒目がちな瞳に整えられた眉。すうっと通った鼻筋。口角がキュッと上がった少し薄めの唇。
 長すぎない黒髪を無造作に後ろへ流したスタイルは、骨格のしっかりした裕一郎によく似合って精悍さを際立たせている。
 そんな、どこぞのタレントのような雰囲気の裕一郎に微笑みかけられて、女性客は、ほぅ…と見とれてしまっていた。

 ガラス張りのお洒落な外観に、白を基調とした清潔感溢れる店内。
 インテリアや照明は北欧のものをわざわざ輸入して設えてあるこだわりの店。
 都内ではヘアサロン激戦区にありながら20代のお客様に人気の『STAGE・A』に勤めて数年あまり。
 裕一郎は毎日、真面目に誠実に接客に務め、今では店で1、2を争う程の人気スタイリストにまでなっている。
 元々、腕の良い美容師が揃っている店として有名だったのが、裕一郎が入店してからは更にお客様が増えるという有り難い状況だ。

 まずはお客様から好みやライフスタイルなどを聞き一番似合う髪型を探したり、流行の髪型をいかにそのお客様個人に似合うようにしていくかを事細かに話す裕一郎の姿勢が、たくさんのお客様の信頼を勝ち取っているのだ。
 勿論、その見た目に惹かれてという人もいるのだが。


 満足げに帰っていったお客様をお見送りしたところで、裕一郎は一旦休憩に入った。

 事務室の隣にある喫煙室には先客がいて、片手を上げてお疲れと声をかけられる。

「あのお客、難しいだろ?」

 と言われて笑いが零れる。先ほど帰ったお客様のことだろう。
 毎回、今人気の女優の髪型にしたいと無理難題押し付けてきて、納得がいかなければ代金を返せと騒ぐお客様。
 何回もそんなことを繰り返した挙げ句、お鉢が裕一郎に回ってきたのだ。

「大丈夫でしたよ。かなりしっかり話し合いをしてからカットしましたから」

「はぁ、すげえな。皆困ってたのに」
「結局、自分に似合う髪型がわからなかっただけみたいですから」

 裕一郎はポケットからマルボロを取り出し、ひょいと口にくわえて火をつけた。
 長い指先の間から煙がゆったりと立ち上る。

「それはそうとさ、知ってるか?」
「何ですか?」
「ここも禁煙にするらしいぜ」
「へぇ」

 愛煙家にはツラい世の中だよな〜とドレッドヘアをかき上げながら呟く先輩の言葉に、裕一郎の反応は芳しくない。

「へぇ〜ってさ、お前困んないの」
「ん〜ちょうどいいかなって思うんですよね」
「何が?」
「煙草やめるのに」
「へっ!?」

 結構なヘビースモーカーとして知られているこの先輩と、肩を並べるくらいの煙草消費量を誇る裕一郎の言葉に驚いたのか、先輩の口からポロリと煙草が落ちる。

「うわっ、アチチ」
「大丈夫ですか?」
「何だよそりゃ、やめられんのかよ」

 先輩は落とした煙草をそそくさと拾い上げ、フィルターについたゴミを軽く指先で払うと再び胸深く煙草を吸い始めた。そして、ため息と共にふぅ〜と煙を吐き出した。

「ホントにやめんの?」
「色々と思うところがありまして」

 苦々しげに先輩の口から吐き出される煙が、換気扇の向こうへと吸い出されていく。
 それをぼんやりと眺めながら、裕一郎は良紀の言葉を思い出していた。


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