02


 


お風呂場を出た俺と澪くんは、濡れてしまったスウェットを着替えてリビングに戻った。
するとソファには金堂くんが座っていて、これはやっぱり現実なんだ、と改めて地獄にいるような気分になった。

「おにいさん、何て名前なの」

「……まずはソッチから名乗るのが筋だろ」

「そっか、それもそうだね
俺は園田澪」

俺は握っている澪くんの手を強く握った。
澪くんもそれに気づいて握り返してくれた。

「金堂、……一臣」

「いちおみ……臣さん?
……いや、金堂さんでいいよね」

金堂くんは澪くんが臣さん、といった瞬間にきつい目つきになったのが俺でもわかった。
ひいい……なんでまだ家にいるんだよ……っ

「……道田さんとはどんな関係なんだよ、どこで会った」

「ヨシくん?
俺はヨシくんに公園で拾われたんだよ……ね、ヨシくん」

澪くんはそう言って俺に目くばせをする。
俺は答えるようにコクリと頷いた。
……でもどちらかというと俺の方が澪くんに拾ってもらったような気もするけど……。

「お前を連れて行けば道田さんも俺のとこに来るのか」

そう言った瞬間の金堂くんの瞳がギラリと鈍く光ったのがわかって、俺は大きな声を出した。

「えっ! 澪くんを連れてくって、……そんな、」

「……安心してください、道田さんも一緒ですよ」

「………………」

それは、……とても嫌だ……。どうせ、こき使われて雑用だとかやらされて……それでぼろ雑巾みたいになって……とにかく酷い生活を送ることになるんだ……。



「こ、こんな部屋で暮らしてるの……?」

「もっと広い方が良かったですか……まあもともと二人の予定でしたしね、ちょっと探してみます」

「あ、いやそんなこと……」

必要な荷物だけを持たされて連れてこられたのは金堂くんの家だというマンションで、庶民中の庶民の俺にとってはすごい部屋だった。
カーテンが開かれた窓から見えるのは青い空とずいぶんと下に見えるビルたち。

「こ、こんなところに住んでるんだ……」

びっくりして言葉もでない。
だって……こんなこと言うのはだめかもだけど、俺一応金堂くんの先輩なのに……家賃ていくらなんだここ……。

「うん、ここいいね」

「えっ……」

「ね? ヨシくん」

「……ぇ……うん……そうだね」

澪くんがここを気に入った……んだ……。

「朝ちょっとはやく起きて、温かいスープのみながらベランダに出るの……すごい気持ちいいよ
やろうね、ヨシくん。」

「……うん」

少し顔がにやけてしまって、嫌だったはずのこの部屋もちょっと楽しくなった。

「……道田さん」

「わっ」

腕をクンと引っ張られて澪くんと少し触れていた腕が離れた。
そのままじぃっと顔を見つめられて、思わず恐怖の声が漏れてしまい視線を逸らした。

「……ほら、ヨシくん怖がってるじゃん
大丈夫だよ、多分金堂さんは痛いことしないから」

「ええっ」

痛いことって、なに……俺、痛いことされるの……?
俺は思わず恐怖の眼差しで金堂くんを見上げた。

「……しない、ですよ……」

それから金堂くんは、小さいけど深い溜め息を吐いた。

「あ、あの……俺、これからちゃんと新しい仕事見つけて……それでちゃんと家賃払うねっ
本当、本当にありがとう……澪くんと一緒にいさせてくれて……」

俺は深々とお辞儀をする。
わざわざ澪くんと一緒に住まわせてくれるなんて……俺、金堂くんには嫌われていると思っていたのに。

「は?」

「……えっ……」

一瞬間が開いて、怒るようにそう言われた。下げていた頭を反射的に上げて金堂くんの顔を見ると、これまでに見たことのないような、般若みたいな顔をした金堂くんが俺を睨みつけていた。

「道田さん、流石に鈍いしよくそんなこと言えますね まあ鈍いんで仕方ないですけど
まるでいじめてくれって言っているようにしか聞こえないんですよね、ソレ」

「……え……」

「あなたが働くって、なに馬鹿なこと言ってるんですか
じゃあなんで俺がわざわざ仕事辞めさせて、こんなとこに連れてきたと思ってるんですか」

トン、と胸を少し押されて少し後退りする。

「そ、それは……俺と一緒に働くのがやだった、から……」

しろどろもどろにそう答えるとより一層眉間にしわを寄せて俺を睨みつけられる。
こ、怖いよ……!なにが気に障ったんだろう……。

「…………そうですね
道田さんと働くのはものすっごい苦労が多かったですよ」

「……うぅ……」

俺は思わず斜め後ろにいた澪くんの腕を握った。
もしなにかされたら急いで澪くんを連れて逃げてやろうと思った。

「あなたはっ、……そうやって、……他のやつにもすがってましたね
特に先輩の芦屋さん、……よく飲みにも行ってましたもんね」

さっきまで胸を押していた手がスルリと首にまで上って来ていた。
俺は一刻も早く返事をしなければと思ってコクコクうなづいた。

「……そう言うのが、凄くムカつきました
こう言ったって分からないんでしょう、だって道田さんはものすごい馬鹿だから」

「……ひ、……」

キュ、と首を掴まれて心からの悲鳴が漏れ出た。

「……ハア
大丈夫ですよ、別に道田さんを殺すだとかそんな物騒なこと考えてませんよ」

「……」

俺は何も言えなくて金堂くんの言動をただただ見守る。首への力は弱まったが、まだ捕まれているようなものだ。

「……でも、道田さんが俺から逃げようとしたらそのほっそい足の腱を切っちゃいますからね
でも、もちろん俺が何から何までお世話しますから、安心してくださいね」

「……!!!」

一瞬、なにを言われてるのか分からなくて、その言葉を想像してしまった。

「……全て分からなくていいですよ、時間を掛けて理解していきましょうね
だって、これからはもうずっと一緒なんですから」

頬っぺたをさらりと一撫でされて、ぶるりと身体が震えた。

「……あーあ、さっそくお世話しなきゃですね」

「……へ、……ぁっ」

「ヨシくん、ちっちゃい子みたいだね
お風呂はいらなきゃ」

「わっ、ぁあ……うぅ……」

突然足を取られてズシンとお尻から床に落っこちた。

「ぁっ……」

左足を引っ張られて、その先には膝をついた金堂くんがいた。
金堂くんは目が合うとにこりとお得意様に見せるような笑顔を浮かべてから、並びの良い白い歯を開いてちろりと赤い舌が顔を見せた。


「あっ」

足の爪先が暖かい舌で包まれて、そのまま出来たばかりの河をなぞるように動く。

「ぁっあっ、やっ……やだぁ……」

「うわぁ……すごいね、」

澪くんの天使みたいな声に、ぱちぱちと小さな拍手。でも、俺はそれどころではなかった。

「……ん、道田さんはこんな味なんですね」

「や、やだ……っ」

膝あたりまで辿って言ってから満足そうに笑みを浮かべた金堂くんに、俺は泣きながらもうしゃくりあげそうになった。

「俺はこんなのが出来るくらいなんですよ
……早く理解して下さいね」

「ひっく、ふ……はぁ、……ぅう」

「あー泣いちゃったよーヨシくん」

よしよし、と頭を撫でてくれる澪くん。
俺はこんな姿を澪くんに見られたくなくて身をよじった。

「道田さんは俺が良いんだってさ
ガキはどっか行ったらどうだ?」

「……くっ……ぅっ」

「……そう
ヨシくんがそう言うなら俺はテレビでも見てようかな」

そう言って歪む視界の中で澪くんが背を向けて行くのが見えた。

「……ぁっ! ……澪くん、……」

「……ん?」

「ぃ……いかないで……っ」

俺がそう言うと澪くんはくるりと振り返った。

「うん、知ってたよ
恥ずかしかったんだよね?」

「……うぅ、っ……」

「…………」

澪くんは屈んでから、俺の顔を覆っていた手を離して澪くんの手で握った。

「お風呂入ろっか」

「……ん、……」

「金堂さん、お風呂借りますね
あ、タオルとか着替えも用意してくれたらありがたいかも」

「………………」

「きもちわる、……」

「……大丈夫ですよ、直ぐにお湯入れますから温まって来てくださいね」

「……ん……」

恥ずかしくて消えたくなって、ズボンがピタッとしてるのが気持ち悪くて、歩くのすらだるい。
けれど澪くんがバスルームの方に引っ張ってくれるから、汚い足跡をつけながら歩いた。


「……クソガキ……」


次の日の朝、揺さぶられて起きると澪くんが目の前で笑っていた。

「澪くん、……おはよう……」

澪くんに手を引かれてベランダに向かうと冷たい空気が顔をさした。それでも空気は澄んでいて、息をするのが気持ちいい。

「下を歩いてるみんなはこれから仕事なんだよ
だけど俺たちは今日はずっとゴロゴロしてられる」

「……うん、そうだね」

少し、微妙な気持ち。澪くんとずっと一緒なのは嬉しいけど、金堂くんはいつ気が変わるかわからない。
それに澪くんを人質に捕られているようなものだし、変なことは迂闊には出来ないな……。

「大丈夫。金堂さんはああいうこと言ってたけど、足切られちゃう位ならここから飛び降りればいいって考えて
俺も一緒に飛び降りてあげる、手を繋ぎながらでもいいね」

地面に着くまで握ってさ、そしたら新聞に載ったりするかもね。
そう言って俺の握っている手を再度握る澪くんに、俺は泣きそうになっていた。

「泣かないで、俺の飼い主はヨシくんでしょ?
だから俺はどこまでもヨシくんと一緒だよ」

肩がピトリとくっついて、コテンと頭を乗せて来る澪くん。
頬が一筋だけ、一層冷たくなったのを感じた。

澪くんは俺に色んなものをくれる。全然何も持ってなかった俺に色んな事を教えてくれて、与えられているばっかりだ。
俺も、澪くんの為に何かしてあげたいな……。


「……お願いだから、澪くんには酷いことしないで……っ」

澪くんが寝た後、俺はまだ光が漏れているリビングに向かった。入ってきた俺に気付いた金堂くんに向かってそう言った。
金堂くんは少しびっくりした顔をして、着けていた眼鏡を外した。

「……酷いことって、具体的にはどんなものですか」

目頭を揉みながらそう言った金堂くんは少し疲れているみたいだった。
……仕事、忙しいのかな……、これも持ち帰ってきたのかな。

「えっと、……澪くんを傷つけたり、とか……ご飯を食べさせなかったりだとか……」

「そんな、犯罪みたいな事はしませんよ」

犯罪……って、俺と澪くんがここにいるのはそれには入らないのかな……。

「で、でも……そしたらなんでここに連れてきたの……」

「……別に、気分ですよ
社会に捨てられた可哀想な道田さんと、その飼い猫を拾っただけです
俺に動物虐待の嗜好はありませんし」

「な、なんで……俺は何をしたらいいの?
ぱ、パソコンとか貸してくれたら仕事も探すし……」

俺が持っていたスマホは、ここに来る前に金堂くんにとられてしまった。澪くんの為にそうするしかなかった、けど……やっぱり不便だ。

「……だから仕事なんて道田さんには必要無いって、そう言いましたよね
もう忘れたんですか」

「で、でも……そしたら俺どうしたら……」

「……俺に身体で返してくれても良いんですよ?」

金堂くんはそう言って嫌味のようにニヤリと笑った。
身体って、力仕事ってこと……だよね?
大学生の時に引越しのバイトを少ししてたから、手伝えるかもしれない……!
あまり重いものは持てないけど……大変な作業だってのは知ってるから……。

「大学生の時にバイトでやってたから、自信はあるよっ!」

「……は、」

「もう筋肉は落ちちゃったから……こんなひょろひょろだけど……手順とかは色々、」

「…………んですか、」

「えっ?」

金堂くんは少し俯き気味に何かをボソッと言った。
聞こえなくて聞き返した俺に、金堂くんは睨みつけるように少し顔を上げた。

「ど、どうした……」

「そうやって芦屋さんにも”バイト”、したんですか?」

「えっと、芦屋さんには……そんなしてないかな……」

芦屋さんは結構ガタイが良かったから、寧ろ力仕事でいつも助けてくれていたのは芦屋さんだった。
書類だって俺に軽い方を持たせてくれたし、そんなに俺はか弱く見えたのかな……。

「……っ……」

「ぁ、えっ?」

俺は突然腰を抱かれて引かれ、そのままソファに叩きつけられるように投げられた。
ソファはボフリと音を立ててスプリングが軋んだ音がした。

「ちょっ、と危ない……!」

「……どんな事をしたのか、具体的に教えて下さいよ」

「ど、どんな事っ? え、えっと……」

ソファで俺が横にされている上に覆い被さるようにして、金堂くんが俺の上に跨った。
腕は俺の顔の横に着いていて、いわゆる床ドンのような状態だった。

「えっと、……お客様の家についてから必要なものとかを梱包して、……」

「…………」

「それでみんなで一緒に運び出したり……」

そこまで言って金堂くんの顔を見ると、何故か微妙な表情をしていた。微妙に表情があるとかではなくて、本当に微妙って言う顔をしていた。

「……ハア
そうですよね、道田さんにはまだ早い話でした」

「え?」

「これからずっと一緒に過ごすんですし、そんな急がなくても良いですよね」

そう言ってから俺を跨っていた身体を起こして、自分の乱れた髪を手櫛で梳かす金堂くん。

「え……?」

「お子様はとっとと寝て下さい
俺には仕事があるんで、……ヌいてくれるなら別ですけど」

「あっ、仕事なら手伝うよ!」

「……いいですよ、もう
ホットミルク作ってあげるんで、頼むからニンジンはもう寝て下さい」

「? ニンジン……?」

「こんなに鈍感とは思いませんでしたよ
……ま、そこが良いんですけどね」

よくわからない事をボソリと言ってから立ち上がった金堂くんは本当にホットミルクを作って持ってきてくれた。

俺は仕事をする金堂くんの隣でそれを飲み干してから、澪くんの眠るベッドに帰った。
翌朝、起きると澪くんが俺の顔を見て少しニヤニヤしていた。

「どうしたの? 澪くん」

「ううん
ヨシくんは期待を裏切らないなって思ったの」

「そう、なの……?」

「そうだよ」

澪くんがとても楽しそうに笑ったが、俺には澪くんの言っていることがよく分からなかった。
でも、澪くんが楽しそうにしているなら俺も楽しいから、と笑い返すと、更に澪くんは吹き出した。



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