「来てたのか」
ほかほかと身体から湯気を出しタオルで髪を拭きながら櫂が言う。
俺にはその湯気がピンクのオーラのように見えた。
「来てたのか、じゃねーよっ! 鍵開けっぱなしだったぞ!」
「閉めてくる」
「もう閉めたって!」
櫂は警戒心が無さすぎると思う。
いつも無防備で、そう体育の着替えも周りを気にせずシャツのボタンを外し始めるし、公園で寝るし、裏ファイトに遊びに行っちゃうし、今だって鍵をかけ忘れてた。
万が一泥棒が入ったとして、そいつが櫂に気づいたら殺すどころか襲ってしまうに違いない。
あんな綺麗で透き通った肌に欲情しないやつなんていないんだ!
肌だけじゃない、櫂は顔も声も仕草も全部全部魅力的。
だから、今ここにいるのが俺じゃなかったら絶対に櫂の出す湯気につられて櫂を抱き締めてしまうんだと思う。
今日はたまたま俺が櫂の忘れ物を届けに来たからよかったものの、毎日この調子で生活しているのかと思うと気が気でない。
俺だってまさかこんな6時前から櫂が風呂に入ってるだなんて思わなかったのだから。
冷蔵庫からなにやら食材を取り出す櫂に、俺はシャーペンを差し出した。
「忘れ物」
受け取り、ソファーの上に投げ出された鞄を漁ると面白味のない筆箱へとそれを仕舞った。
「わざわざこのために来たのか?」
「言うと思った」
だって口実だもん。
櫂の前髪から、一滴の水が革に落ちた。
「お前、髪乾かさねーの?」
「そのうち乾くだろう」
「風邪引くって。ドライヤー貸せよ」
と、言いつつ俺は洗面所へ行くと折り畳まれたままのドライヤーを勝手に拝借する。
櫂が風呂に入ってるときにちらっと見ていたからここにあるのはわかってた。
まあ、その時の視界は磨りガラス越しに見えた櫂のシルエットが大半を占めていたのだけど。
俺はドライヤーをソファーの近くにあったコンセントに差し、ソファーに胡座をかいた。
「ほら、座れよ」
前を指差す。
「いい」
「座れって」
「…………」
無防備な上に押しに弱い。
まぁ、そんなことをするのは俺くらいなんだけど。
櫂は渋々俺の前に座り、テレビの電源をつけた。
ドライヤーが賑やかなクイズ番組の音をかき消す。
温風が櫂の髪を掻き分けシャンプーの爽やかな香りを弾けさせる。
髪の根元に指先を絡めランダムに動かすと、予想よりも柔らかな感触が伝わってきた。
「まる、だな」
櫂の声に続いてテレビ画面いっぱいに赤丸が映った。
俺からは櫂の表情はわからないけど、おそらく得意気に片方の口端をつり上げているのだろう。
「フッ」とも言いそうな感じで。
「おー、さすがだな」
ドライヤーのせいでクイズを面白おかしく回答する芸人の声は全く聞こえなかったが、問題文の字幕のおかげて十分楽しめる。
この番組は来週に2時間スペシャルとして放送されるらしく、今やっているのはその特番らしい。
右上に小さく宣伝されていた。
どんな理由にせよ、このタイミングで櫂と会話になるような番組はありがたい。
無言のまま髪に触れていたら、この俺でさえ櫂の香りにやられてしまいそうだ。
櫂は出題されるクイズを次々に答えていった。
時々間違ってるけど。
なかなか難しそうな問題に正解したときに誉め、頭を撫でると櫂は「やめろ」と柔らかく言った。
ちなみに、俺はこの放送を以前見ている。
だから、ほとんどの答えはわかっているのだけど、櫂が悩めば俺も悩み、櫂が答えれば俺はわからなかった、ということにした。
「よし、乾いた」
名残惜しいが櫂の頭を解放する。
先程までの騒音が切れた途端、テレビからは笑い声が漏れた。
軽く櫂が頭を振ると、癖のある髪の束がぴょこん、と立ち上がった。
このアンテナみたいな前髪はいつ見ても引っ張りたくなる。
「夕飯、食ってくか」
「デザートつきで!」
「ない」
一度もこちらを振り返らずに櫂は台所へ行き、キッチンスペースの電気をつけた。
ソファーにいながらその光景を見れるのがこの部屋のいいところだと思った。
シャクシャクと野菜の皮を剥く音が心地よい。
リズムよくまな板が叩かれ、料理に関しては心配ないなと改めて感じた。
とはいえ万が一の場合がない保証はなく、ついつい櫂の手元を観察しに行ってしまう。
「邪魔だ」
言われて一歩だけ離れてみる。
キッチンは整理整頓が細かいところまで行き届いていて、まるでCMや新築でみるような綺麗さだった。
「今日泊まろっかな」
「帰れ」
「あ、泊まる!」
玉ねぎの皮をパリパリと剥き始めた櫂は「勝手にしろ」と嫌そうにする。
心が読めるわけではないけど、櫂が肯定とも否定ともとれない反応をするときは決まって前者であることを俺は知っている。
そしてもし俺がその反応をノーだと取ってしまったら櫂は落ち込むのだと思う。
それに櫂は臆病ですごく怖がりだから、最初に決まって否定する。
最初から素直に頷けばいいものを、何を考えているのか一度こっちに猶予を与えるんだ。
俺は櫂の背中を撫でた。
「危ないだろう」
また軽快なリズムが刻まれる。
もっとさ、素直になれば?
俺の前でくらい怖がらなくていいんだけどな。
とは言えなかった。
たぶん、それが櫂なりの防御だから。
自分の心の領域を守るための特別な壁。
本当は小さな入り口があるのだけど、ほとんどのやつはそれを見落として帰って行く。
でも俺は違う。
小さなドアをノックする。
なにも返事は返ってこないけど鍵はかかっていない。
勝手に侵入して櫂を見つけるんだ。
でも、それにしても、
「身体が無防備なんだよなあ」
キモいとか変態とかって吹き出しがつきそうな目で見られる。
「ちょ、勘違い!」
「はぁ、やっぱり帰ってくれ」
「そんなあ!」
「帰れ帰れ」
「誤解だって!櫂ィ〜!」
盛大な笑いが遠くで起こっていた。
---正解はマルでした---
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三和くん急に泊まってどうするんだ!
すみれ様、10000付近hitリクありがとうございましたっ!!
2012.01.26
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