元よりこうなることは承知の上だったはずだった、んだ。
「俺、好きな人できたかもしれない」
ぽつりと零した兄さんの言葉に僕は耳を疑った。
「冗談はやめてよ兄さん」
「冗談なんかじゃねぇよ」
からり、と笑い一見動じていないように振舞うったが、内心は驚愕、戸惑い、焦燥でいっぱいだったのだ。
まさか、まさか、まさか。
先ほどからぴたりとペンを走らせる音が止まり机上に存在する書類は進んでいない。
今日のうちに終わらせないといけない書類なのだけれど、一向に進む兆しを見せないようだ。
こんな状態では到底終わらないだろう。
むしろ、終わったとしてもミスがあるかもしれない。
心の中でため息をついた。
どうやら飽きたらめた方が得策のようだ。
そのくらい、兄さんの一言は僕にとって衝撃的だったというわけだ。
「…そっか。相手は誰なの?しえみさん?」
「はっ?馬鹿、なんでしえみが出てくんだよ…全然違げぇよ」
想像していた子と異なり、誰なんだと頭を捻る。
兄さんと仲が良い子。
「じゃあ、神木さん?」
「違う。あんなのありえないだろ」
きっぱり切り捨てられお手上げ状態だ。
塾のどの生徒と交流があるかはわかるが、高校となるとクラスも違うから情報は入ってこない。
わからない、と肩をすくめてみせれば、兄さんは少し肩を落としたようにもみえた。
気のせいであろう。
それに、こうなってしまってはしょうがない。
兄さんを好きになった時に決めていたのだ。
叶わない恋だってわかってるから、兄さんには決して伝えないこと。
伝えたら兄さんは優しいから、きっと困ってしまうだろう。
兄さんとぎくしゃくするなんてもっての他だったし、壊れるくらいならこのままの関係でいたかった。
そして、もし兄さんに好きな人ができた時は全力で応援しようと誓ったのだ。
知らない誰かと幸せそうに笑う兄さんを想像するだけで胸が苦しくなるし、つらいのはわかってる。
だけども僕の幸せより兄さんが幸せになってくれるほうがずっと価値がある。
大切だから、兄さんが幸せになってくれるならどんな形でも厭わないと決めたのだ。
それが今なのだろう。
「まぁ、どんな子であろうと、僕は兄さんの恋を全力で応援するよ」
言いながら書類に目を向けて、進め始める。
今はもう兄さんと話したくなかった。
今までの兄さんへの想いが溢れて来そうで怖かった。
くやしいな。
何年もずっと一緒にいたのに。
少し関わっただけで僕の兄さんを他の誰かに取られてしまうなんて。
そんな雑念と排除しようとするために、仕事を再開させただけなのだ。
現実逃避である。
ただ、書類は進んでいるかといえばまったく進んでなく、仕事をしているフリというわけだ。
「本気で言ってんのか」
「そうだよ」
視線は書類のままに振り返らず、できるだけそっけなく返事をする。
しかし、兄さんの声が鼓膜から伝わり、じんわりと身体を熱くする。
気持ち小さく頭を振り気のせいと熱を振り払うようにするが、熱の侵食は止まらない。
今は、話しかけないでくれよ。
頼むから。
「俺、好きなの雪男だ」
一瞬時間が止まったように感じられた。
「…は?」
間抜けに口を開いたまま振り返る。
熱を帯びた瞳で自分を見つめる姿に、ごくりと喉が鳴った。
「だから、俺は雪男が好きなんだ」
確かめるように、再び愛の言葉を言う。
それは、知らない誰かなんかじゃなくて、僕へ向けてで。
思わず飛び上がりそうになるくらい嬉しいのに、言葉に詰まった。
僕となんかじゃ、きっと兄さんは幸せになんかなれない。
世間がどれだけ同性愛者に厳しいかなんてわかっていないんだ。
兄さんは幸せになれない。
「僕もだ」と言いそうなるのを自分を殺して抑える。
そんなことは言っては駄目だ。
「それは駄目だ」
そう言えば、傷ついた表情をして俯き、涙が零れ落ちるのが見えた。
今すぐにでも近寄って抱き合ってキスして、愛を囁きたい衝動にかられる。
ぐっとこらえ、兄さんを傷つける言葉を吐き続ける。
「兄さんにはもっと別の人がいいと思うよ」
「いやだ」
「可愛い女の子紹介してあげるし」
「いやだ」
「兄さんの良さをわかってくれる人は必ず現れるし」
「いやだ!!!」
同時にベットにいた兄さんはばたばたと煩い足音をたてて近寄り、一気に胸倉をつかみ上げる。
強制的に立たされ、僕が兄さんを見下ろす。
服によって首を締められ、呼吸が苦しい。
「なんで断らないんだ?嫌なら断ればいいのに、しないで提案ばっか」
兄さんの瞳からまた一滴涙が零れ落ちる。
肩はわなわなと震えていて、それでも僕にはただ真っ直ぐ見つめるだけだった。
「雪男は、俺のこと好きなのか…?」
いつものハキハキした声なんかにはほど遠く、細く頼りない。
息を吹きかけただけで消えてしまいそうだ。
「…ちゃんと恋愛の意味で好きだよ」
一つ間を置いて、はっきりとそう告げれば目が見開かれ、胸倉をつかむ手が緩くなった。
その拍子にすとん、と僕は椅子に腰を落とした。
今度は兄さんが僕を見下ろした。
「じゃあ、なんで…!」
「兄さんの幸せのため」
その声には、確かな意思があり兄さんは身じろいだ。
「なんだよ、俺の幸せって…」
「僕と一緒になることは兄さんの幸せには結びつかないんだ。だから」
「だからってなんだよ!!勝手に俺の幸せを決めんな!」
間髪入れずに兄さんの怒声が降り注ぐと同時に、ぎっと睨まれる。
そして次の瞬間には悲しげな瞳に様変わりし、頬を涙が伝う。
ぽたぽたと顎から垂れる涙は、僕の顔を濡らし、僕の心を溶かす。
「俺は雪男が離れるのが不幸なんだよ…」
「うん」
俯き、両手を僕の肩に乗せ頭を寄せる。
髪質の違う紺色の柔らかい髪が僕の頬を撫で、ひどく心地がいい。
「おまえは俺を幸せにしたいんだろ?」
「…うん」
静かに、ただ頷く。
ひく、と兄さんの鼻が鳴る。
それでも変わらず涙は溢れ続けていた。
「だから」
兄さんは一度身体を離し僕を真っ直ぐ見据えた。
涙が蛍光灯の明かりを反射してきらきらしてる。
ぼろ、と大粒の涙が落ちた。
「だから、俺から離れるな」
ぽと、と涙が床に落ちると同時に僕は兄さんを抱きしめた。
すきだよ
110517
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だらだらの主観者の気持ちを延々とつづるのが好きです。
やっぱり好き同士は付き合うべきだ!
久々になんか燐が積極的な気がしないでもない。
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