meleeの行方


 とうとう言ってしまった。絶対に言わないでおこうと、ずっと前から決めていたのに。目の前で固まるナマエを見て、後悔の念が押し寄せてきやがる。

「悪りぃ。忘れろ」

 やっと口から出た言葉はそんなくだらないセリフだった。忘れろ、じゃない。お願いだ、忘れてくれの間違いだろ。と心の中でどうしようもない悪態をつく。

「…わたしが、太宰を?」

 ナマエはそう呟くと、自分の世界に引きこもるかのように黙り込んだ。何かを考えるとき、こいつはいつもこうして黙り込んでしまう。太宰が居なくなってからはずっとこんな調子だった。本人は気付いてないだろうがな。

「…もう直ぐ任務だから行く」

「待って、中也」

「………」

 じゃあな、と言って部屋を後にする。背中にあいつの視線がザクザクと刺さるが、気にしないふり。部屋を出るとき「中也」と俺を呼ぶあいつの声がしたが、これもまた聞こえないふりをした。俺はなんてズルい男なんだろう。

 ナマエとは俺がポートマフィア入りをした時からの付き合いだ。同年代ということもあって、直ぐに俺とナマエは気の許せる友人のような関係になった。ただの友人だと思っているのはあいつだけだろうがな。俺はもう何年も前からナマエに惚れている。ナマエはそのことに微塵も気付いていない。気付いていれば俺がなぜ自分が太宰の話をしただけで不機嫌になるのかくらい分かるはずだ。なのに結局あいつの中で出た結論は、俺が太宰のことを嫌っているのに太宰の話をしてごめんね。だ。俺も二十二歳。嫌いな奴の話をペラペラされたからと言って不機嫌になるほどガキじゃねぇ。

 近くにある喫煙所で一服する。吐いた煙と一緒に長い溜息が出た。ナマエは太宰のことが好きだ。長年ナマエのことを見続けてるんだ。それくらい分かる。自覚していないのは本人くらいだろう。太宰が居なくなったと聞いてからのあいつは少しおかしかった。自分では平静を装っているつもりだろうが、いつもと様子が違うのは歴然だ。太宰のクソ野郎が居なくなっちまったということに誰よりも胸を痛めているくせに、その素振りを見せようともせず、あいつが帰ってくるのを誰よりも望んでいるし信じている。面白くねぇ。

 結局はガセ情報だったが、部下からあいつが太宰のことを思い自決しようとした。と聞いたときは腸が煮えくり返る思いだった。太宰は昔から頭が良く、自分に必要なものはもちろん、自分には不必要だけれど他人には必要なものまで巧みに掻っ攫っていく。そんなクソみたいに優れているあいつからしたらナマエは不必要なもので、ナマエが太宰を追って死んだとしても太宰の心は微塵も痛まない。…もしそうなら良かった。なら俺は生き残ったナマエに「太宰はお前のことなんて毛ほども興味がねぇから馬鹿なことはやめろ。あいつのことは忘れろ」そう告げることができる。でもそう言えないのは、太宰にとって、ナマエは不必要な部類の人間ではないからだ。誰にも己の内を見せようとしない太宰だが、ナマエには他の人間より幾分かは気を許していた。これまた当人達は気付いてないだろうがな。だから言えない。生憎俺は嘘が下手だ。それにそんな俺の自分可愛さから生成された嘘で、好きなやつの傷付く顔を見るのはお断りだ。二度目の長い溜息を吐くと、聞き慣れた足音が近付いてきた。

「中也ではないか。こんなところでサボりか?いけないのう」

「紅葉の姐さん…」

「おやおや?珍しく浮かない顔をしているようじゃが?」

「それを聞くのは野暮だろ」

「ああ、ナマエのことか」

 なんで分かるんだよ。小さく舌打ちをすると、姐さんは楽しそうに俺を見て笑った。

「死のうとしたんじゃて?」

「それはガセ。敵にやられたらしい」

「なんじゃ、良かったではないか、中也」

「………」

「おお、怖い怖い。そう睨むでない。ナマエが傷を負ったことはわっちも腸が煮えくり返る思いじゃて。しかし、太宰を追って死んだ、なんてことじゃったら其方が浮かばれないからのう」

「あーそうかよ」

 姐さんとは長年の付き合いだ。俺が本当に触れてほしくないところには触れてはこないが、際どいところまで触れてくるところにはうんざりする。俺のあいつへの思いは周囲に結構バレバレらしい。そう機嫌を悪くするでない。と、とても機嫌良さそうに言う姐さんを見てタバコのフィルターを思わず噛みちぎった。相変わらず腹立つ女だ。

「無事で何より。ナマエにもよろしく伝えておくれ」

「…あいつのとこ寄ってかないのかよ」

「生憎これから任務なのでのう」

「あっそ」

 姐さんが顔出したらあいつも喜ぶんじゃねぇの、と喉まで出かかったが言わないでおいた。こんな状態の俺を見た姐さんと、今おそらく放心してるであろうナマエを突き合せるのは気が進まない。俺も仕事に戻るか、とタバコの火を消すと「中也」といつになく真剣な声色で姐さんが俺を呼んだ。

「もしもの話じゃ。もし、ナマエが男を追って死のうとしたとする。そして運良く助かったとしてもどんな道が待っているか分からぬ其方ではないであろう?」

「……殺される、だろう」

「然り」

 姐さんはまだ疑っていた。ナマエが太宰のことを思い死のうとしたのではないかという話を。この世界で男に傾倒して散々な目にあってきた女を数え切れないくらい目にしたことがある。今や飄々としている姐さんだってそのうちの一人だ。この手の話題になると姐さんが神経質になってしまうのは仕方のないことだ。

「ポートマフィアに所属しておきながら、男にうつつを抜かした者の末路はロクなものではないぞ」

「あんたが言うと説得力があるなぁ」

「…今ここでわっちが其方の大事なあやつの首を刎ねに行っても良いが」

「悪い、ふざけた。さっきの仕返しだよ。おあいこだろ?」

 身も凍るような殺気を一瞬感じたが、やれやれと言った様子で肩を竦めた姐さんがようやく踵を返そうとする。姐さんとやり合うのはごめんだ。あんなとんでもない異能力の相手をするほど今の俺は元気じゃない。

「姐さん」

「なんじゃ」

「あいつが理由はどうであれ、殺されそうになったとしても大丈夫なんだよ」

「どういうことじゃ?」

「俺が連れ出す」

 姐さんの切れ長の細い目が珍しく丸く大きく開かれる。数度瞬きしてから意味を理解したのか、肩を震わせて笑い出した。

「一途じゃのう」

「そうだっての。覚えとけ」

「覚えておく」

 そう言って姐さんは手を振り、今度こそ去っていった。長年の片思いを舐めるんじゃねぇぞ。ここまできたらもう何年目に突入しても構いやしねぇと開き直るが、肝心のナマエに爆弾発言をしてしまったことを思い出した。何度目かも分からない長い溜息が出て、またタバコに手を伸ばした。




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