なめらかな蒼に沈むのはだれ
――太宰が消えた。
そんな噂が今ポートマフィアでは広まっている。たしかにここ何週間か太宰の姿を見ていない、連絡をしても返ってこない。でもそんなことはしょっちゅうだった。だって彼は自称自殺主義者で、自殺が趣味の変わった男だ。突然河に飛び込んで行方を眩ましたり、飛び降り自殺を図ろうとして中途半端な怪我をして療養。どうせ今回もそんなところだろうと特に何の心配もしていなかった。だが、日が経つにつれて噂は悪い方向へ。組織を裏切ったのではないか、或いは殺されたのでは、いや太宰に限ってそれはない、などといった噂が嫌でも耳に届くようになった。そんな話をBGMに廊下を歩いていると、前から見知った顔がドスドスと音を立てるかのように歩いてきた。
「中也」
「…あ?…あーお前か」
わたしを見るなり中也の眉間に深く刻まれていた皺が無くなる。太宰の不穏な噂が流れ出してから中也の機嫌はすこぶる悪い。なぜなら太宰と相棒だった彼も良くない噂をされているからだ。太宰がいなければ役立たずの能力、太宰が相棒に愛想を尽かせたのではないか、すべて太宰と中也のことを良く思っていない連中が流した私怨に満ちた噂だろう。実際中也は太宰がいなければ役立たずだなんて滅相もないくらい仕事をキッチリこなす男だし、異能力だって組織に貢献するには十分すぎるものだ。そんなことは中也のことをよく知る人間ならキチンと理解しているし、本人も自分が組織に不要な人間ではないということは理解してるだろう。それでも中也の性格はそれをうまく躱せるようにはできていない。彼の顔の端に血のようなものがついているのを見つけて拭ってやった。
「また喧嘩?」
「…気に入らねぇ奴を殴って何が悪い」
「別に悪いなんて言ってないよ」
同じような立場ならわたしも噂をする奴を殴っているだろう。こういう素行の悪さは中也とわたしは似ていると思う。いつもより苛立っている中也の表情には疲れのようなものも滲んで見える。それはそうだ。太宰が開けた仕事の穴を中也が埋めているという話だ。きっと中也はそのうち幹部に昇進するだろう。双黒がポートマフィア幹部として肩を並べる姿を見てみたかったな。と思い、ふと寂しさを感じた。
「中也はさ、太宰がいなくなって寂しい?」
「…ああ!?寂しいわけねぇだろ!清々してるっての!だが気にくわねぇ噂が広まるわ、仕事は増えるわ、愛車はなぜか爆発するわで気の休まりようがねぇ!」
そうだった。中也はこのマフィア内の誰よりも太宰のことが嫌いだった。でも最高のビジネスパートナー。この2人のおもしろおかしくも危ういやりとりがわたしは大好きだった。その時のやりとりを思い出して少し笑うと、中也の顔が「何笑ってんだ?」と言わんばかりに歪められたので、つりあがりかけた口角を慌てて元に戻した。
「そ、そっかそうだよね。中也は太宰の事が嫌いだったもんね」
「当たり前だっつーの………」
ぶっきらぼうにそう答えると、中也はわたしの顔をまじまじと見て自分の頭を掻いた。いつもならなんでも遠慮なしに言ってくるような男だが、言いたいことがあるが切り出しにくいときはいつも自分の頭を触る癖がある。長年の付き合いだ。それくらいは把握している。
「なに?なんかあった?」
「……あのさ、お前は太宰がいなくなってどうなんだよ」
「…え」
「寂しいか?」
言葉に詰まる。寂しいよ。そう無難に答えようとした。だが寂しいだなんて言ってしまえば太宰がいなくなったことを認めてしまうことになる。そう思うと上手く言葉が出てこなかった。
「わ、わかんない…」
「…そうか…じゃあな、仕事行ってくる」
すれ違いざまに頭を撫でられた。それも中也の癖だ。落ち込んでるわたしを慰める時の。落ち込んでる?わたしが?そう自覚した途端心にぽっかり穴が開いていることに気がついた。「行ってらっしゃい」小さく呟いた。中也には聞こえていないだろう。
「ちゃんと、帰ってきてね」
中也にかけた言葉なのに、頭に浮かぶのは太宰のあの小憎たらしい笑みだった。