狡さもぜんぶのみこんで


 こんな短期間でまさか二度も中也の家におじゃますることになるなんて思ってなかったなあ。なんて考えながら、ビルの間に顔を出しては引っ込める星空を助手席の窓からぼーっと見つめていると、車が停まり、中也が運転席から素早く降りた。もう着いたのか。と思い、少しだけ後ろに倒されたシートから起き上がると、中也がわたしの座る助手席のドアを開けた。

「着いたぞ」

 そう言うと、わたしの前で中也が腕を広げる。意味が分からず首を傾げると、怪訝そうな顔をして中也も同じように首を傾げた。

「早くしろ」

「…なにが?それどういう意味?」

「だからお前歩けねぇだろ!腕伸ばせ!」

 そう言われてやっと意味を理解した。所謂だっこ待ちのポーズを取れと、そういうことだったのか。そんなの恥ずかしくてできるわけないじゃん!と言ってやろうと口を開きかけたというのに、せっかちな中也はわたしの両腕を無理矢理引っ張り、まるで自分に抱きつかせるかのように一度引き寄せると、わたしの腰を支え、もう片方の腕でわたしの足を掬い上げた。

「わわわわ!」

「いちいち騒ぐんじゃねぇ!」

「…はい」

 深夜の閑散とした街に響き渡る自分の声と、中也の怒声にハッとして口を固く結ぶと訪れる沈黙に気まずさが込み上げる。駐車場からマンションまでの道ってこんなに遠かったっけ?なんて考えながら、情けなく中也に姫抱きをされている今の気分は、冗談でも良い気分だなんて思えなかった。


 
「っ…痛い!死ぬかも!」

「こんなもんで死ぬかよ。大体この前芥川との任務で腹撃たれてた時の方が重症だったじゃねーか」

 部屋の真ん中にどっしりと置かれている黒の革張りのソファへ腰をかけるわたしと、そんなわたしに跪くかのような体勢で手当てを施す中也。お姫様抱っこといい、まるで本物のお姫様にでもなったような気分だ。そんな都合のいい事を考えていると、隙ありとでもいうかのように中也が被弾したわたしの足へと消毒液が染み込んだコットンを押し当てた。

「いったい!」

「仕方ねぇだろ!ちったぁ黙っとけ」

 どんなに喚いたところで、しっかり手当てをしてもらわないとこの痛みからは解放されないのは事実だ。そう思い、目をぎゅっと瞑って下唇を噛んだ。さあ、来い。そんな思いで身構えているというのに、足元に座っている中也からは動く気配が感じられない。薄眼を開けて中也を見ると、なんだか少し赤い顔をしてわたしの顔を凝視していた。

「な、なに?」

「…いや、お前、その顔やめろ」

「顔?なんで?」

「…なんつーか、興奮すんだよ」

「はあ!?」

 予想外すぎる答えに思わず大きな声を出してしまった。ヤバいことを言っちまった。といったような様子で中也がそっぽを向いて口元を抑える。

「…忘れろ」

「…そうする」

 何時もならスケベ!変態!とか軽口を叩くところだけれど、状況が状況だ。わたしは先日中也に告白をされて、あろうことか今彼の家にいる。そんな時に興奮するだなんて言われたら嫌でも意識してしまう。中也と同じくらい赤くなってしまった顔を隠そうにも、顔を下に向ければ、わたしの足元にいる中也に顔がバッチリ見えてしまう。困った。

 どうしたものかと視線を泳がせていると、中也がわたしの足をポンっと軽く叩いて、わたしの隣へと座った。どうやら手当てが終わったらしい。包帯でぐるぐると巻かれた患部を見て、改めて最近怪我ばっかりしてるなあ、と溜息が出た。

「お前…」

「うひっ!…な、なに」

 中也が思ったよりも近い距離で声をかけてきたものだから変な声を出してしまった。こんなの意識してますって言ってるようなものだ。そんなわたしを見て、中也ははぁ、とひとつ溜息を吐くと、足を組み直して真剣な目でわたしを見た。

「答えはもうとっくに分かってんだよ」

「…え?」

 そう言う中也の表情には陰りが見える。哀しげな瞳に思わず息を呑んだ。

「だから、言えよ」

「…」

 もう、逃げられない。そう悟った。中也はこの前の告白の返事をわたしにさせたがっている。けれど、あまりにも哀しそうなその瞳を見ているとなにも言えなくなる。嫌だ。中也を傷付けたくない。この状況になってもまだそのような考えが頭を巡る自分に嫌気がさした。

「泣くなよ」

「…え?泣いてなんか…」

 優しく微笑むと、中也がわたしの目から溢れる雫を指ですくった。中也の指が濡れているのを見て、自分が泣いているということを知った。止めようにも、それは目からとめどなく溢れてきて、ボロボロと零れ落ちる。

「そんな顔をさせるだろうから言わないでおこうと思ってたんだよ」

「…」

「ずっとお前が好きだった。お前と初めて出会った時から好きだった」

「…そん、なにも?」

 そんなにも前から中也はわたしのことを思っていてくれたんだ。それなのにわたしはずっと知らなかった。それどころかわたしは太宰の事が無意識とはいえ好きだった。そんなわたしの思いを知りながらも、自分の思いは心の奥に押し込んで見守っていてくれてたの?嗚咽でうまく返事さえもできないわたしを見る中也の視線が、あまりにも優しすぎて涙が止まらない。思わず手で顔を覆うと、その手を中也に掴まれて、泣き顔を隠すことはできなかった。

「ああ、そんくらい前から好きなんだよ。だけどお前は太宰の事が好きだった。だから俺は身を引いた」

「…」

「お前が幸せに笑ってれば俺はそれで良かった。お前が太宰を好きで、あいつと幸せになるってんなら俺は一生この思いを伝えなくてもいいって、そう思ってた」

 まあ、酒の勢いで言っちまったが。そう言い笑う中也の顔を見ていられなくて、ギュッと目を瞑った。わたしの手を取っていた中也の手が背中に回されて、引き寄せられる。中也に包み込まれて、その温もりを感じてとめどなく流れていた涙が少しだけ引っ込んだ。

「…なんで、そんなに優しいの」

「優しいんじゃねぇ。意気地なしって言うんだよ」

「…」

「だから、早く言えよ」

「…なに、を」

「ごめんなさいって」

 その言葉を聞いた途端体がビクッと震えたのが分かった。中也の胸板に押し付けていた顔を離して、表情を窺うと、先程まで優しそうな顔をしていた中也の顔が泣きそうな顔になっているのを見て、止まりかけていた涙がまたこみ上げてきて、視界がボヤける。

「…っ…言えないよ」

「…なんでだよ」

「だって…言ったら中也は傷付くでしょ?わたしはこの前太宰を失って、すごく傷付いた。だから中也にも同じ気持ちになって欲しくない」

 こんなのは偽善であってただのわたしのエゴだ。そう分かってはいるけど言わずにはいられなかった。居た堪れない気持ちになって下を向くと、わたしを抱きしめていた中也の腕が突然わたしの両肩を勢いよく掴んで引き離した。

「はあ!?なんだそりゃあ!?」

「…へ?」

 突然大きな声を出されて目を丸くするわたしを見る中也の眉間には皺が深く刻まれている。

「俺を傷付ける?何言ってんだ手前?ずっと好きだったって言ったの聞いてなかったのか!?」

「…き、聞いてたけど」

「ならなんで分かってねぇんだよ!?もう俺はとっくの昔から傷付いてんだよ!手前が俺の気持ちに気付いてないってのも、太宰の事が好きなんだってのも全部俺を傷つけてんだよ!なのに今更傷付けたくないだぁ?巫山戯んなよ!」

 呆気に取られているわたしを見て、中也がハッとした様子でバツが悪そうに自分の頭を掻いた。

「それになぁ、俺はずっと前からフラれる覚悟くらいしてんだよ」

 言えよ。まるでそういうかのように中也はわたしの頭を優しく撫でた。気が付けばまた目からはボロボロと雫が流れ落ちていて、それに同調するかのように押し留めておこうと思っていた言葉までボロボロと口をついて出た。

「…なんで」

「あ?」

「なんでそんなに優しいの?ずっと傷付いてたって…なんで言ってくれないの?それじゃあわたしはずっと中也の事を傷付けてたってことなの?」

「いや、そういうわけじゃ…」

「そうじゃん!!」

 泣きながら大声でそう言い切るわたしはまるで駄々をこねている子供と何ら変わりない。それでも悔しかった。中也の思いに気付けなかったバカな自分と、黙って傷付く事に慣れていった中也。どちらも不器用でバカだ。だからこそ、もうどうしていいのか分からなかった。

「おい、落ち着けよ…」

「わたしは、…中也のことずっと兄とか、弟みたいに思ってた…だから今更男の人として意識しろなんてどうしていいのか、っ分かんない。それにわたしはまだっ…太宰の事が、忘れられない」

 さっきよりも激しく泣きながら嗚咽交じりにそう言うわたしの頭を中也がオロオロとした様子でひたすら撫でる。これじゃあ本当に子供になって、あやされているみたいだ。一度言ってしまえば容易いもので、今まで変に遠慮して言わないでおこうと思っていた思いが、決壊したかのように口から溢れ出す。

「傷つけたくないよ、中也のこと。どうすればいいの」

 縋るようにそう問うと、困ったような顔をした中也が一度大きく深呼吸をして、もう一度わたしを抱き締めた。

「ならお前が俺の事を好きになってくれたらいいんじゃねぇの?」

「…でも、わたしは」

「忘れられないんだろ?太宰のことが。んなこたぁ分かってんだよ」

「じゃあ、どうすればっ…うう」

「だぁー!いちいち泣くんじゃねぇ!言っとくが泣きてぇのは俺の方だからな!?」

「…ん」

「…いつか、太宰の事を俺が忘れさせてやる。これじゃダメか?」

「…」

 この後に及んでまた何も言えなくなる自分は本当にズルいと思った。結局はわたしは中也の優しさに甘えている。なのに、それでもいいと言い切る中也は本当に莫迦みたいにわたしに甘い男だ。

「…嫌なら、拒めよ」

 真剣な顔をした中也の顔が近付いてくる。反射的に目を瞑った。浮かぶのは夕日をバックに笑う太宰。そんな太宰が此方を見てこう言った気がした。

"もう、いいよ"

 唇に暖かいモノが触れて、目を開けると赤い顔をした中也がジッとわたしを見つめていた。黙って見つめ返すと、中也が目を瞑った。それを合図にわたしも目を瞑る。次に浮かんだ光景は照れた顔や怒った顔、心配そうな顔をする、中也ばかりだった。

「なあ、ナマエ」

 唇が離れると、名前を呼ばれ、ゆっくりと目を開ける。熱っぽい視線をわたしに向ける中也に胸が高鳴った。

「好きだ。愛してる」

 涙で滲んで中也の顔が見えなくなる。何も答えられなくて、只々頷くと、中也がフッと笑った気配がした。

「目、閉じろ」

 言われるがまま目を閉じると、またしても浮かんだ光景は夕日をバックに笑っている太宰。そんな太宰が此方に笑顔で手を振っている気がした。




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