吐き出したら戻らない


 先日怪我をしたのが嘘のように、すっかり体も元通りで一安心。そこそこキツめの任務を無事遂行することができ、帰りにお酒でも買って帰ろうかな、なんて考えながら帰り支度をしていると、傍に置いておいたスマホが小刻みに震えていることに気が付いた。ディスプレイには芥川と表示されている。

「……芥川!?」

 わたしのスマホのディスプレイに表示されるには珍しい名前に思わず大きな声を出してしまった。芥川の連絡先は、彼が機種変更をしたのをいい事にわたしが半ば強引に聞き出したものだ。此方から連絡することはあっても、彼方から連絡が来ることなんて今まで一切なかった。間違え電話?と思い、机に置かれたスマホを睨みつけるが、その振動が止まることはない。何かあったのだろうか。もしかして芥川が窮地に陥っていて、わたしに連絡を?でもなんでわたし?そんなことをグルグル考えていても仕方ない。思い切って電話に出る事にした。

「も、もしもし」

『芥川です』

 電話越しに聞く芥川の声は、何だか生身の声よりも低く、どこか疲れたようなそんな声色をしていた。まあでも電話越しの声なんてみんなそんなものだろう。直接会って話している時の声とは少し違って聞こえる。よくあることだ。それよりも、特に焦っている様子でもなければ、後ろから物騒な音が聞こえるわけでもないので、先程考えていたことは杞憂のようで、ホッと胸を撫で下ろした。

「お疲れ様。珍しいね、どうしたの?」

『…今どちらに?』

「え?本部だよ」

『近くの居酒屋に今すぐ来て下さい』

「居酒屋?ってちょっと芥川!」

 必死に呼びかけるも、電話口から聞こえるのはツーツーという無機質な音だけだった。居酒屋?思い当たる場所はある。けれどなんで芥川がわたしを居酒屋に呼び出すのだろう。飲みのお誘い?まず、芥川ってお酒飲めるの?頭に浮かぶのは疑問ばかりで、考えるのがもどかしくなって少し急ぎ足で本部を出た。芥川の言う居酒屋へと向かうために。



 芥川が指名した居酒屋はおそらく此処だろう。目の前に佇む、こじんまりとしていて、古くもなければ新しくもない外観の店だ。此処は特別料理が美味しいという訳でもなければ、安いという訳でもない。なのに数ある居酒屋の中からわたしがここを思いついたのかというと、裏社会の人間が良く利用する店だからだ。店内には個室が幾つか用意されており、防音。此処で秘密裏の会合やらを行う組織も数あると聞く。ポートマフィアも漏れずその数ある組織の一つに該当する。

 芥川は此処で何かの取引を行っているのではないだろうか。そんなことを辿り着くまでの道中考えていた。太もも辺りに隠した拳銃をスカート越しに撫でた。一つ深呼吸をして、入り口の扉を開け、店内に足を踏み入れる。すると、聞き覚えのある声と、見覚えのある後ろ姿が2つ、わたしの耳と目に同時に飛び込んできた。

「はぁ?俺の言うことが聞けねぇのかよ!芥川よぉ!」

「…」

 カウンターに項垂れるかのように座っている、いや、うつ伏せになっている芥川と、そんな芥川の肩に腕を回し、もう一方の手で酒の入ったグラスを芥川に押し付けている中也。そんな光景に、開いた口が塞がらなかった。店員であろうお姉さんが、お一人様ですか?と声をかけてくれるが、何と返答したら良いのか分からず目を泳がせていると、うつ伏せになっていた芥川が顔を上げてハッとした様子で此方を見るのが目に入った。

「ナマエさん」

「…帰ってもいい?」

「否、早く此方へ」

「ああ!?ナマエ?」

 店員のお姉さんに適当に笑いかけると、空気を読んでくれたらしく、どうぞごゆっくり。と笑いかけてくれた。電話口の芥川の元気のなさはこういうことか、なんて考えながら2人がいる方へと向かう足が重い。勢い良く此方を見た中也の顔は赤く、目は虚ろだ。完全に出来上がっている。わたしが呼び出された理由を何となく察した。カウンター席のど真ん中に腰掛けている二人の、どちらの隣に座ろうかなと思い、立ち止まっていると、中也がこっちにこいと言うかのように自分の隣の椅子を勢い良く引いたので、そちらへと腰を下ろした。

「…お前、なんでいんだよ」

「さあ、芥川に聞いて」

「やつがれが呼び出しました」

「はぁ!?何でだよ!?」

「…やつがれはこれから任務故、もう行かねば成りません。しかし、中原さんはまだ飲み足りない様子かと。なのでナマエさんを呼びました」

 そんな真っ赤な顔で冷静に法螺を吹かれても困る。酒を飲んでから任務に向かう奴がいるか。と突っ込みたかったが、芥川の前に並べられている、酒がいっぱいいっぱいまで注がれた複数のグラスを見て思わず口を噤んだ。これはおそらく酔った中也が無理矢理飲めと彼に勧めたものだろう。中也は酒に弱いくせに酒が大好きだ。しかも酔うと厄介というめんどくさいオプションまで付いている。うんざりとした様子の芥川に反して、先程わたしが店内に入ったばかりの時には意気揚々と芥川に酒を勧めていた中也が、なぜか今は大人しい。芥川に向けていた視線を中也へと向けると、バッチリ中也と目が合ったが、露骨に反らされてしまった。その様子を見て芥川が溜息を吐いたのが視界の端に映り、ますますわけが分からなくなる。

「なに?どうしたの?」

「…なんでもねぇよ」

「…なんでもありません」

 口を揃えてなんでもないと言う二人の目は泳いでいる。呼ばれたから来ただけなのに、なんだかこの場にわたしがいる事がすごくまずいことのように思えるのはなぜなのだろう。

「…中原さん」

「ああ?つーかお前さっきまで何聞いてたんだよ。大体…」

 わたしの目の前で堂々と顔を寄せ合って内緒話をし出した二人はやはりわたしが思っている以上に酔っているようだ。というかわたしの前でヒソヒソ話をするなんて、それってわたしのことを話しているのだろうか?聞いてはいけない話のような気がして、マスターに自分が飲むための適当なカクテルと二人分の水を頼んだ。

「どうぞ」

「ありがとう」

「お仕事仲間ですか?」

「そんな感じです」

 マスターに声を掛けられて思わず苦笑いをした。わたしたちポートマフィアなんですー!なんて言えるわけがない。察してはくれているような気がするけれど。相変わらず二人はわたしの隣で何かを話している。それは最早ヒソヒソ話の域を超えていて「良い機会じゃないですか」「そういう問題じゃねぇ!」なんて声が、聞かないように振舞っていても耳に飛び込んでくる始末だ。流石にうんざりしてきて溜息を吐くと、此方を見ていたらしきマスターと目が合った。するとマスターが此方へ顔を寄せる。

「帽子の彼、好きな人がいるらしいんだけれど、中々思いを伝えられないらしいよ」

「えっ」

「マスター!余計なこと喋るんじゃねぇ!」

 芥川と話をしていた中也が身を翻してマスターに掴みかかるような勢いでカウンターに乗り出す。運良く、マスターは別の客に呼び出され其方へと手を振りながら行ってしまった。中也に好きな人、そう聞いた途端に頭を何かで殴られたような衝撃を受けた。

「中也、好きな人いるの?」

 わたしの問いに、中也が大きな溜息を吐いた。隣にいる芥川をチラッと見ると、首を大きく振って、何か諦めたかのように肩を竦めた。

「…いたら、どうなんだよ」

「どうって…」

「俺に好きな人がいたら、お前はどう思う?」

 恐る恐る中也の顔を見る。まだ少し頬が赤く、目が虚ろな彼は酔いが覚めていないらしい。気まずそうな芥川が席を立とうか立たまいかといった様子で落ち着かない素振りを見せている。中也に好きな人、そんなこと考えたこともなかった。だって中也とは昔からずっと一緒で、今まで女性と何かがあったなんて話聞いたこともなかった。でもすごく優しいし、かっこいい。モテるんだろうなあとはぼんやり思っていた。そんな幼馴染でもあり腐れ縁でもある中也が、恐らくわたしが知らない誰かを好きでいる。なんだか胸がチクチクと痛んだ。

「…俺はずっと昔から好きな奴がいる」

 わたしが何も答えられずにいると、中也が口を開いた。頬杖をついて、体ごとわたしの方へ向けて真剣な眼差しで話す中也の目は真っ直ぐわたしを捉えていて、なんだか吸い込まれそうだった。

「ずっと好きだった。でもそいつには好きな奴がいた。俺がどう足掻いたって勝てそうにねぇ奴だ」

 心臓がドクンと大きな音を立てて脈打った。だって、中也にそんなことを言わせる人物の心当たりなんて1人しかいない。

「だが、その男は最近失踪した。その上、俺の好きな奴をフッてな」

 中也の背後にいる芥川が席を立ったのが見えた。無意識にそれを目で追いかけると、俺を見ろと言わんばかりに中也がわたしの頬に手を添えた。真剣な、熱の籠った眼差しでわたしを見つめる中也の目に映ったわたしの顔は自分でも見たことがないくらい赤く、動揺した顔をしている。

「なぁ、手前はこの話聞いても分からないなんていう奴じゃねぇよな?」

「…それって」

「ナマエ、俺はお前が好きだ」




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