背中を蹴っ飛ばして


 ナマエを仕事場へ送り届けてからの俺の溜息の数ったらそれはもう半端ない回数だった。あの後俺も自分の任務先へ向かい芥川と他数名の部下との仕事があったので、余計な事は考えるな、と自分に言い聞かせて仕事に専念したが、らしくないミスが続いて芥川と部下にフォローされる始末。本当に、らしくない。それもそうだ。俺は今朝ナマエを押し倒した。何もかも未遂に終わったがな。本当にただ押し倒しただけ。ヘタレすぎる。思わず片手で頭を覆った。片手で運転している俺が気になるのか、助手席に座る芥川が眉間にシワを寄せて此方を見た。今時片手運転くらいでビビるなっての。

 昨日俺の車の中で寝ちまったナマエを俺の部屋まで運んでベッドへ寝かせたところまではいいが、そこからの俺の本能と理性との戦いっぷりは凄まじかった。長年片思いしていた女がフラれたと泣きじゃくってから自分の部屋で無防備に寝ている。こんなの襲わない男がいたらそいつの顔を見てみたい。まあ、俺だが。理性を保つ為に酒を飲む、という行為に至った俺は今思うとかなり動揺していたんだろう。案の定酒に飲まれて朝まで熟睡。しかも何故かあいつの上で。朝起きてあいつに覆い被さっていたときはビビった。もしかしたら酒の勢いでやっちまったのかと思い、思わず銃を取り出して自分の頭にブチかますところだった。結局何もなくて胸を撫で下ろしたが。

 この前ナマエが目をパンパンに腫らしているのを見たときは驚いた。そして太宰に会ったのだということを察したときは頭が真っ白になった。ナマエに太宰への気持ちを気付かせたのは俺だろう。それに関しては後悔していない。いつまでも戻ってこないであろう太宰の事を思ってメソメソしているあいつを見てるのは耐えられなかった。だが、太宰とナマエがこんな状況下で対面してしまうなんてことは想像していなかった。もし、太宰がナマエの気持ちを受け入れて、ナマエも太宰について行ってしまっていたら?その先の事を考えようとすると酷く頭が痛んだ。俺はナマエの笑ってる顔が好きだ。だからナマエには幸せに笑っていてほしいと、お互いこんな職業に就きながらもそう願っていた。だからもし太宰とナマエの思いが通じ合い、ナマエが幸せになれるのなら俺はそれで良かった。だから今まで手を出さずにあいつらの幼稚園児みてぇな恋路を黙って見守っていた。だが、あいつらがもし俺の前から消えて何処か遠くの知らないところで幸せになっていたらと思うと吐き気がした。幸せになってもらいたいが、俺の目の届く範囲でないと嫌だなんてどんだけ自分勝手なんだよ俺は。とどのつまり、ナマエの側にいられるならどんな形でもいい。そういうことだ。どうやら俺は自分が思っている以上に一途らしい。

「…貴方まで溜息を吐くのか」

「……まで、ってなんだ?」

 助手席にまるで置物のように座っていた芥川が、久しぶりに口を開いた。どうやら俺はまたしても無意識に溜息を吐いていたらしい。うんざりしたような物言いをする芥川を横目で見ると、どうでも良さそうに目を逸らされた。

「この前、あの人もしきりに溜息を吐いていたので」

「………ナマエか」

「………」

 無言は肯定ということだろうか。滅多に口を開かない芥川から他人の話題が出ただけでも驚くところだが、こいつは昔からナマエには周りの人間とは違う態度をとるところがある。それはおそらく自分の師である太宰が、ナマエの事を贔屓していたからだろう。

「お前、昔からナマエの事を気にするよな」

「……やつがれはナマエさんに貴方のような感情は抱いていませんよ」

「はぁ!?」

「信号、赤です」

 思わずブレーキを思いっきり踏んでしまった。車体がグラッと揺れ、危ないだろ。と言うかのように芥川が俺を睨むが、負けじと睨み返した。俺のナマエへの思いは周りに筒抜けだろうと思ってはいたが、まさか芥川にまで勘づかれているとは思ってもいなかった。何よりも気に食わないのは、さっきの発言だ。ナマエに気があると思った俺が牽制してきたので、それを芥川が仕方なく撤回した。みたいじゃねぇか。

「おい」

「はい」

「別に俺は、お前がナマエに気があるなんて思ってねぇからな」

 上手く取り繕った言葉をかけようとしたが、思っている以上に俺は焦っているらしい。なんの捻りもない、ただの強がりを見せつけてしまった。芥川は珍しく目を丸くさせると、俺の顔を見て少しだけ口角を上げた。

「…誰も気がないと言ったわけではありませんが」

「は!?」

「冗談ですよ。前見てください」

 運転中だということを忘れ、思わず芥川の顔を凝視してしまった。こいつ、何時から冗談なんて言えるようになったんだ?逆の方向に切りかけていたハンドルを正しい方向へ戻す。困惑する俺を尻目に芥川の表情は落ち着いており、その余裕が更に俺を苛立たせた。

「言わないのですか」

「…何をだよ」

「好いていると」

 思わずまたブレーキを踏んでしまいそうになったがグッとこらえた。こいつは意外と人の踏み込んでほしくない領域にズカズカと土足で踏み込んできやがる。

「…手前には関係ねぇだろ」

「太宰さんはもう居ませんよ」

「そんなことは…」

 分かってる。そう言い放った言葉が宙を舞って消えた。それくらい自分でも驚くほど小さな声だった。太宰が居なくなってもう俺のあいつへの思いを邪魔するものはない。なのに俺が踏み出せない理由はただ一つ。怖いからだ。あいつに拒絶されたら、そう思うとどうも行動に移せない。そして言葉にもできない。俺はいつからこんなにも臆病になっちまったんだ。

「根性無し」

「あ?」

「独り言です」

 窓の外を眺める芥川を睨むが、もう俺になんて興味はないという様子で、此方を見る気配はない。本当、こいつの言う通りだ。根性無し。今の俺にはピッタリな言葉だ。

「おい」

「…なんですか」

「今日飲みに行くぞ」

「……嫌です」

「パワハラしてんだよ。行くぞ」

「それはやつがれの台詞かと」

 今夜、こいつと飲む酒は不味くなりそうだ。




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