君の赤いそれを受信
暑い、重い。
ハッとして、目を覚ますと黒い天井が目に飛び込んできた。どこだ、ここ。わたしの部屋の天井は白なはず。見慣れない風景に動揺してると左肩に妙な温かさと重みがあることに気付いた。
「…わっ!」
中也だ。わたしの左肩に頭を乗せて、というかわたしに覆い被さるかのように中也が寝ている。一体どういう状況?問おうにも中也は寝息を立てているのかさえ分からないくらい熟睡している。起き上がりたいけれど、ぐっすり寝ている中也を起こすのは気が引けたので力を抜いてベッドに身体を預けた。これは一体どういうことなんだろう。
たしか昨日は中也の車で太宰の事を少し話して、そしたらわたしが泣き出して…思い出したらぶわっと顔が熱くなった。恥ずかしい。失恋したと告げて、中也の前で泣いて慰めて貰っただなんて一生ネタにされそうだ。そしてあの後たしか猛烈に眠くなって、そのまま眠ってしまった気がする。一昨日の太宰と会った日の夜は一晩中泣いていて、一睡もできなかった。だから昨日あんな状況でも眠ってしまったんだろう。それにしても泣きながら眠ってしまうなんて、子供すぎる。自分のマイペースすぎる振る舞いに反省していると、わたしの左肩を枕に寝ていた中也が身動ぎをして、唸り始めた。
「…ん、んん」
「…中也、起きて」
小声でそう話しかけると、ぎゅっと閉じていた中也の目が驚いたかのようにパッチリと開く。そしてわたしの顔を見るなりその目はみるみると見開いていく。
「待て…どういうことだ」
「えっ」
「なんでナマエがここに…」
「え?」
「夢?」
「違うよ…」
どうやら中也は思った以上に寝ぼけているらしい。わたしに覆い被さったまま、顔だけ起こしてぼーっとしている。重いんだけど、と言う変わりにツンツンと身体を手で突っつくと、やっと我に返ったのか中也がわたしの上から飛び退いた。
「なっ…!何してんだ俺…」
「それわたしのセリフなんだけど」
「間違いを…」
「犯してないと思うよ…衣服乱れてないし」
冷静を装っているけれど実際わたしはマラソンでもしてきたのかってくらい汗をかいている。いや、何もなかったんだよね?そう信じたいが中也の慌てようを見て、まさかと思ってしまう。中也は眉間を指先で揉み必死で昨夜のことを思い出しているようだったが、答えが出たのか安堵した表情でわたしに向き直った。
「そうだ、お前が俺の車で寝こけて起きる気配を見せねぇから仕方なく俺の家に連れてきたんだ」
「なんだ、なかなかそう言ってくれないから焦ったじゃん…」
「うるせ、昨日お前をベッドに寝かせてから酒飲んで寝たんだよ。覚えてない筈だ」
「何もそんな時に飲まなくても…」
「お前なぁ!女が自分の部屋で寝てたら酒でも飲んでなきゃ理性…」
中也の言葉に目を見開く。同じように中也も目を見開いて時が止まったかのように固まる。
「あー!忘れろ!忘れろ、寝ろ」
「たくさん寝たんだから眠れないよ…てか中也、わたし相手でもそういう気遣いしてくれるんだね」
中也とは長い付き合いで、だからわたしのことなんて女として見ていないのかなと思っていた。だから少しだけ嬉しいような恥ずかしいような気持ちになる。だが、そんな少し浮かれた気持ちになったわたしとは対照的に、何かお気に召さなかったのか、中也は口をへの字に曲げて黙っている。
「なに?どうかした?」
「……お前はほんっと」
「え?…っわあ!」
荒っぽい衝撃から、反転。またしても中也がわたしに覆い被さる。今度は偶然なんかじゃない、故意だ。両腕を中也の手にガッシリと掴まれていて身動きが取れない。下唇を軽く噛んで、怒ったような表情を見せる中也はいつもの中也と違うみたいで、わたしを不安にさせた。
「お前は、俺がお前を抱かないとでも思ってんのか?」
「…へ?」
「試してやろうか?」
「え、ちょっと、待って!」
中也の唇が妖しく吊り上って、接近してくる。急な事態にどうすればいいのか分からず、手足をジタバタと動かしてみるが逆効果だったらしく、さっきよりも強い力で押さえつけられる。
「待って!中也!」
「…」
思わず目を瞑るが、フッと身体が軽くなって、閉じていた目を開ける。さっきまでわたしに覆い被さっていた中也がバツが悪そうな顔をして自分の頭を掻いている。
「悪りぃ、ビビったか?冗談のつもりだったんだけどよ」
「…冗談」
「ああ」
「…冗談…びっくり、した」
「はは、悪りぃ、悪りぃ」
「…もう!」
近くにあった枕を中也の顔めがけて投げつける。お前!と言って容赦なく投げ返してくる中也の表情はいつも通りで、少し安心した。
「つーか、お前仕事何時からだよ、大丈夫なのかよ」
「あ、ほんとだ」
バタバタしていて気付かなかったが、時刻は朝の七時を迎えていて、出勤時刻まであと一時間もない。
「中也」
「…なんだよ」
「お願いがあるんだけど」
「…当ててやろうか?」
「うん」
「仕事場まで送ってけ、だろ」
「正解」
「…はぁ、ったく。分かったから顔洗ってこい」
「ありがと!」
シャワー貸して?と以前のわたしなら言っていただろう。でも流石に冗談とはいえあんなことがあった後だ。そんな無防備な事を切り出せるほどわたしは能天気ではなかったらしい。
「冗談だ」そう中也は言ったが、わたしを押し倒した時の表情はまるで冗談のようには思えなかった。そんな考えを振り払うかのように蛇口を思いっきり捻って、勢いよく顔を洗った。
「だっせぇ…」
中也のいる寝室の方から何か聞こえたが、水音によってそれは掻き消された。