06

「昨日はごめんね……」

「それ、昨日も聞いたぜ?良いから飲め飲め」

 ガイアが私のグラスに酒を注いでいく。なかなかお互いの休みが合わず、デートらしいデートなんてあの一回きりで、結局擬似恋人同士となる前のような頻度で酒場に行くのが恒例となっている。
 昨日、ガイアの胸の中で泣きじゃくった後、ガイアも私も任務に遅刻し掛けて大変だった。なぜガイアまで遅刻し掛けた事を知っているのかというと、騎兵隊の隊員が「ガイア隊長が珍しい」と噂していたのを偶然聞いてしまったからだ。遅刻云々以前に、ガイアは仕事中だったのにわざわざそれを抜け出して私を探しに来てくれたんじゃないだろうか。本人に聞いてみようと思ったが、はぐらかされるのが目に見えているので、何も聞けずにいる。

「それを言うなら俺だってこの前はお前に醜態を晒しちまったじゃないか」

「……ああ、酔っ払い事件?」

「…お前の中で事件になってるのか…」

 ガイアはくつくつと笑うと、私が飲んでいるお酒よりももうんと強いお酒をまるで水のようにごくごくと飲んでいく。そんなペースだとまた酔っ払い事件の二の舞じゃ…あの夜の出来事を思い出しながらハラハラしていると、そんな私に気付いたのか、ガイアがニヤリと笑った。

「また酔っ払い事件が起こりそうだ、って顔に書いてあるぜ?」

「なんで分かったの!?」

「お前は分かりやすいからなぁ」

 私って、分かりやすいんだろうか…自分の両頬を手で押さえてみると、ガイアが「変な顔になってるぞ」と私の鼻の頭を指で突いた。

 ◇

「今日は大丈夫そう?」

「流石に連続で酔い潰れる程、酒に飲まれちゃいないさ」

 ガイアは得意気にそう言っているが、今日もなかなかのハイペースだったのは間違いない。午後の死という、私なら二、三口飲んだだけで眠くなってしまう度数の強い酒を何杯もおかわりしていたのだ。本当に大丈夫なのだろうか、こう見えてすごく酔っていたり?とご機嫌なガイアの横顔をまじまじと見ていると、私の手に何かが触れた。それはガイアの手で、あっという間に私の手にガイアの指が絡まっていく。

「……こんな道の真ん中で…」

「暗くて見えやしない。それに、恋人同士が手繋いでて何か不都合があるのか?」

「……ないけど」

 恋人、という単語を出されると私は弱い。観念してガイアの手を握り返すと、ガイアは宿舎までの道を歩いて行く。
 少し前を歩くガイアに気付かれないように、繋がっているお互いの手をじっと見る。
 やっぱり、嫌じゃないや。
 ガイアが私の事を好きにならないと言ったから、私は安心し切って、触れられる事が平気なのだろう。でも、なぜだかこの事について考えていると、昨日と同様に気分が沈んでいくような、妙な感覚に陥る。

「……はぁ」

「溜め息なんて吐いてどうした?」

 自分でも無意識のうちに吐いていた溜め息に、「何でもないっ」と慌てて誤魔化してみたが、暗闇でも分かるくらいガイアの視線が顔に突き刺さる。だって、こんな事ガイア本人に言えるわけないし…と言い訳を考えていたら、気が付けば私達は宿舎の前にまで辿り着いていた。

「……じゃあ」

 おやすみ、と言って手を離そうとしたのに、どういうわけかガイアの手は私の手をがっちり握ったままだ。どうかしたのかとガイアの顔を見ると、ガイアは自分の部屋がある方向を顎で差した。

「上がってくか?」

 ◇

「おじゃまします…」

「隣、人住んでないからそんなに気遣わなくて良いぞ」

「そうなの?」

 ああ。というと、ガイアは上着を脱ぎ、それを壁へと掛けた。薄着になった見慣れないガイアに思わず目を背けると、「なんでだよ」とガイアが笑った。

「まあ適当に座ってくれ」

「……」

「隣、座ったらどうだ?」

 適当に座ってくれと言っておいてベッドに腰掛けたガイアが自分の隣をポンポンと叩く。この前は酔っ払っていたから軽率にベッドに腰掛けてしまったけど、これは、色々大丈夫なのだろうか?顎に手を当てガイアのベッドをじっと見ていると、ガイアは「やれやれ」と肩を竦めた。

「俺たち、まだ手繋いだくらいだろ?お前が思ってるような事はしないから安心しろ」

「だ、抱き合ったけど…」

「……そうだったな」

 それも何回も…と続けて言うと、ガイアはバツが悪そうに頭を掻いた。でもガイアの言う通り、ガイアは色んな事をすっ飛ばして手を出すような男じゃない事くらい分かっている。おずおずとガイアの横に腰掛けて、ガイアの顔を見ると、ガイアの顔が一瞬だけくしゃりと歪んだ。え?と思ったと同時に視界が反転する。ボフッと何かがベッドに倒れ込む音がした。それは紛れもなく私で、そんな私の上にはガイアが覆い被さっている。驚いて瞬きも忘れてガイアの顔を凝視するが、前髪が丁度顔に掛かっていて、ガイアがどんな顔をしているのかが分からなかった。

「……悪い」

 謝罪の言葉を呟いたガイアがすぐに身を引くのかと思いきや、一向に体勢は変わらない。もしかして、このまま本当に?そう思うと少し緊張で体が強張ったが、やはり、嫌だとは思わなかった。しかし、いつまで経ってもガイアはぴくりとも動かない。不思議に思ってそっとガイアの垂れ下がった前髪を手で払うと、私と目が合ったガイアの瞳が大きく開かれる。室内が暗くて分かりにくいが、ガイアの顔が少しだけ、赤みを帯びているような気がする。

「……やっぱり、酔ってたんでしょ」

 あれだけ飲んでいれば当然だよね。ふっと笑ってガイアの頬をそっと撫でてみるが、ガイアは私の目を見つめるばかりで、何も言わない。てっきり「酔ってない」と言ってヘラヘラと笑って見せると思ったのに、予想外の反応に私まで固まってしまう。すると、ガイアの頬に触れていた私の手の上に、ガイアの手が重なった。ガイアは私の手を取ると、それを自分の唇へと誘った。私の手のひらにガイアの熱い唇が音を立てて触れた。

「……酔ってるって、事にしておいてくれないか?」

「……え?」

 酔ってるわけじゃないの?と言う前に、ガイアの顔が近付いてきて、そして、私の唇にガイアの唇が触れた。それは、キスなんだろうけれど、あまりにも一瞬の事すぎて自分が何をされたのか分からなかった。少し離れたかと思ったガイアの顔がもう一度近付いてくる。もう一回?と今度はぎゅっと目を閉じると、私の頭の直ぐ隣にボスっと何かが枕に沈む音が聞こえた。そーっと目を開けると、いつの間にかガイアは私の隣に寝転がっていて、ぼんやり天井を見ていた。

「ガイア?」

 ガイアは自分の髪をくしゃりと掴むと、真剣な表情を浮かべて私の方を見た。

「……怖くなかったか?…嫌じゃなかったか?」

 ガイアの瞳が小さく揺れたような気がした。それは私の気のせいだったのかも知れない。でも、そんなの関係なく、答えは決まっていた。

「ガイアになら何されても怖くないし、嫌じゃない」

 声に出したと同時に自然と顔が綻ぶ。投げ出されていたガイアの手にそっと触れてみると、ガイアが私の手を掴んで、そして引き寄せた。さっきよりもぐっと距離が近くなって、鼻先が触れてしまいそう。反射的に目を瞑ると、覚えのある感触が唇へと触れた。薄目を開けると、目の前には目を閉じたガイアの顔。私の唇に触れているそれはガイアの唇で、またキスをしているという事を実感したら一気に顔が熱くなり、体が仰け反る。しかし、ガイアはそれを許してはくれず、いつの間にか後頭部を掴まれていて、逃げる事なんてできそうにない。唇が離れたかと思えば、次は角度を変えて重なる。だんだん深くなるキスに、羞恥心でどうにかなってしまいそうだ。着いていくのに必死な私をまるでエスコートするかのようにガイアは優しく、そしてゆっくり口付けてくれている。

「あ」

 突然唇が離れたかと思えば、ガイアが突然「あ」と唇を小さく開いた。わけがわからず「あ?」と繰り返すと、もう一度キスをされて、そして半開きになった私の唇を割って、ガイアの舌が入ってくる。さっきの「あ」はそういう事だったのか。自分の経験不足が少し恥ずかしい。しかし、そんな事を考える余裕なんてもう無くて、ただただ私はガイアのキスに着いていくので精一杯だった。

「ふ、ガイア……待って」

 ガイアの胸をトントンと叩いて制止する。物足りないとでも言いたげに怪訝な顔をするガイアに心臓が速くなるが、それよりも、このままだと窒息死してしまいそう。すーはーと息を吸って吐く私を見ると、ガイアは私が中断した理由が分かったようで、さっきまでの甘い雰囲気はどこにいったのかというくらい大きな声で笑い出した。

「ははは!そういう事か!」

「……仕方ないでしょ、初めてなんだから…」

 キスをする時は鼻で息をすると何かで見た事があるが、実際キスをしてみると、そう上手くいく筈もない。というか、初めてのキスがこんなに深いキスになるだなんて思ってもいなかったし…心の中で言い訳を並べ立てていると、ひとしきり笑ったガイアが私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

「練習しないとだな?」

 そう言うと、ガイアは私の体を引き寄せた。
 
 もう、分かってしまった。体に軽く触れられても、手を握られても、抱き締められても、軽いキス、深いキスをされても嫌じゃないだなんて、きっと、私はガイアに恋をしている。なんだ、私も人を好きになれるんじゃないかと心躍ったが、ガイアに言われた事が私の心に深く深く刺さっていた。

『お前の事を好きになっちまうような男に俺が見えるか?』

 私が、自分の気持ちに気付いたところで、ガイアは私を好きにはならない。
 




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