03
「ナマエ先輩がガイア先輩と付き合ってたなんてびっくりだよ!」
「……そ、それ誰から聞いたの?」
「みんな言ってるよ!鹿狩りのサラさんとか、キャッツテールのマーガレットさんとか!」
可愛らしい耳のような髪飾りをぴょんぴょんと跳ねさせながら、アンバーは興奮気味に私の周りをうろうろとしている。噂にはなるだろうと思っていたけど、まさか翌日にもうここまで広まっているとは思わなかった。
「ナマエ先輩!悩み事ならいつでも聞くからね」
「…ありがとう。その時はお願いするね…」
じゃあね!と言って去って行く元気いっぱいの後輩の姿に、いつもなら癒されるのに、今日は何だかソワソワして仕方がなかった。
「……みんな知ってるんだな……」
「騎士団内ではその噂で持ちきりよ」
ぽつりと呟いた独り言の筈が、聞き覚えのある声によって独り言ではなくなってしまった。図書館に繋がる扉の前に佇むリサさんを見つけて私は思わず「げっ」と声を出してしまった。
「げっ、って何よ。失礼ね。恋をする乙女から発せられた言葉とは思えないわ」
「……ごめんなさい」
「いいわ。でもまさかあなたがあのガイアと、なんて意外だわ」
「そ、そうかな?」
「ええ、そうよ。ガイアに泣かされたらいつでも私が相談に乗ってあげるわね?」
「おいおい聞き捨てならないな?」
顔に影が掛かり、振り向くと、そこにはリサさんを見て不服そうに笑うガイアが居た。ガイアは私の腰に手を添えると、そのまま私を自分の方へと引き寄せた。驚いて目を見開く私と、そしてリサさん。いや、リサさんは驚いているというより喜んでいるようで、「まぁ!」と言って頬を赤らめ口元を押さえている。
「俺はこいつを泣かすつもりなんかないぜ?リサ」
「ふふふ!見せつけてくれちゃって…そのようね。私の杞憂だったわ」
ごめんなさい!とリサさんは嬉しそうに言うと、そそくさと図書館へと入って行った。
擬似恋人同士とはいえ、こういう時、スムーズに対応する事ができない私とは違って、ガイアはすごい。私の腰に腕を回したまま、何も言わないガイアを見上げると、ガイアは小さな声で「場所を変えるか」と私の手を引いた。
招かれたのは騎兵隊長であるガイアの執務室で、私を室内へと入れると、ガイアは扉の鍵を掛けた。
「……お前、前から思ってたが演技が下手だな」
「…………今まさに猛省してたところだよ…」
痛いところを突かれてガックリと項垂れる。しかしガイアは怒っているわけではないようで、「まぁ座れよ」と革張りのソファを指差した。遠慮がちにそこへと腰掛けると、思っていたよりもすぐ隣にガイアが腰掛ける。太もも同士がピッタリとくっつくくらいの至近距離に少しだけ心臓がうるさい。横目でチラリとガイアの顔を見ると、ガイアの隻眼と目が合った。まさかこちらを見ていると思わなくて驚いて少しだけ身を引くと、まるでそれを許さないとでもいうかのように、ガイアの手が私の腰に添えられる。さっきリサさんの前でされた時は何も思わなかったのに、なぜか今は心臓がやけにうるさい。ガイアの顔が徐々に近づいてきて、海の底みたいな瞳に狼狽えた顔をした私が映っている。思わずぎゅっと目を閉じると、何かが私の唇に触れた。え!?まさか!と思い勢いよく目を見開くと、私の唇の前にはガイアの人差し指がくっついていた。
「……びっくりしたか?」
「……び、びっくしたよ!」
本当にびっくりした。キスされたのかと思った。前髪を直す振りをして、熱い顔を隠す。でもこんな事をしたところで真っ赤な顔はもうすでにガイアに見られているんだけど…ガイアはそんな私を見て得意気に笑うと、私の腰をポンポンと叩いた。
「擬似恋人同士とはいえ、お前は自分の体質を治したいんだろ?なら俺の事を本当の恋人のように思ってくれなきゃ治るもんも治らないぜ?」
ガイアの言う通りだ。何も私たちは嫌々恋人同士を演じているわけではない。これは私の問題で、ガイアはそれに付き合ってくれているんだ。もっとちゃんと向き合わなくてはいけないのはどう考えても私の方だ。恋愛を理解して恐怖を克服する。それがこの関係の終着点だ。なら、私は最終的にガイアの事を好きになるのだろうか?でも、ガイアは言っていた。私の事を好きにはならないと。その事を思い出した途端、何かがズンと心臓にのしかかってきたような妙な感覚を覚えた。
「どうかしたか?」
「いや、何でもないよ。……うん。そうだね。もっと、私も頑張るね」
「そこまで気は張らなくて良いと思うが…まぁ、この調子だと長い付き合いになりそうだな」
ガイアが私の頭を豪快に撫でる。「髪がぐちゃぐちゃになる!」と抗議している間も、私は自分の中に生まれた妙な感情に狼狽えていた。
人からの好意が恐ろしい私からすれば、ガイアが私の事を好きにならないのは好条件の筈だ。なのに、どうしてこんな気持ちになるんだろう。