01
好きです、付き合って下さい。と顔を赤らめて服の裾をギュッと握る青年は誰が見たって緊張に震えていて、どれ程の決意を胸に私にそれを伝えてくれたのか。
そんなの、分かっている。でも、無理なものは無理なんだ。
◇
「具合が悪いって聞いたが、もう大丈夫なのか?」
聞き覚えのある声にゆっくり振り向くと、同期であるガイアは私の顔を見て「おいおい…」と肩を竦めた。
「なんだ、二日酔いか?」
「違う…」
ガイアと一緒にしないでと言おうかと思ったが、沈み切った気分の中、そんな軽口を叩ける程器用でもない。
いつもの私ではない事を悟ったのか、ガイアは少し笑うと、私の耳元に顔を寄せた。
「なら今夜は思う存分飲めそうだな」
ガイアは私の顔を覗き込むと、まるで元気付けるかのようにニコッと笑った。確かに、こんな気分の時は飲むに限るのかも。小さく笑って頷くと、ガイアは私の肩をポンと叩いて「じゃあまたな」と言って去って行った。
◇
「で、何があったか聞いても良いのか?」
「……それ聞いちゃう?」
「聞いて欲しいって顔に書いてあるぞ」
全てを見透かしたかのようなガイアの瞳にたじろぐ。確かに誰かに聞いて欲しいという思いはある。けれど、こんな事を言ってしまって、人でなしだと、思いやりがないと、思われはしないだろうか。ガイアの瞳をもう一度見ると、澄んだ夜の海のようなその青が細められる。気付けば私は口を開いていた。
自分に向けられる、異性からの好意が怖いのだ。
昨日まで友人だった人、大した面識のない人から好きだと告げられるのが恐ろしくて堪らなかった。自分はそんな風に思っていないのに、自分の知らないところで心を育んで、そういう目で見られているんだと思うと気持ち悪くて仕方がない。
私は恋をした事がない。だから分からないだけなのかもしれない。人から好意を持たれる事はありがたい事なのだろう。それを受け入れ、同じように心を育み、想い合う事も素敵な事なのだろう。でも、私には無理。自分に向けられるその感情の処理の仕方が分からない。怖くて堪らない。だからこの前もあまり面識のない隊員に思いを告げられた時、体調を崩してしまったのだ。
誰にも言えなかったこの悩みをガイアに一気に話し終えると、ガイアは腕を組み直して小さく息を吐いた。
「……そいつの目の前で吐くくらいだもんな…」
「そ、それを言わないで…」
思いを告げられ、私の返事を固唾を飲み待っている隊員の前で私が取った行動はイエスやノーの返事でも、その場から逃げ出すでもなく、その場での嘔吐だった。勿論わざとなわけはない。だからこそ本当に申し訳なくて、大丈夫!?と背を摩られるのがまた恐ろしく、私はその場でただひたすら吐き続けることしかできなかった。思い出してみても最悪の光景で、そこに居合わせたのがガイアの部下だったのがまた運の尽きだ。私の醜態がこうしてガイアの耳にも入っているわけだし…
忘れたい記憶のひとつになってしまったあの時の出来事をまた思い出して目眩がしそうになる。深い深い溜め息を吐くと、ガイアが「落ち込まないでくれよ」と、私の背中をまあまあ強い力で叩いた。
「確かそいつは実家の璃月に帰るからって騎士団を退団したやつだろ?今後顔を合わせる事はまぁないだろうから良かったじゃないか」
「……そうだけどさ、返事も出来ずに申し訳なかったなって……」
「…何て返事するつもりだったんだ?」
「……ノー、だよ」
当たり前でしょ…とガイアに聞こえたのか分からないくらい小さな声を絞り出すと、私は酒を一気に煽った。大体、目の前で嘔吐したような女がイエスと言ったところであの隊員は引いてしまうんじゃないだろうか、それともそんな君も…と言って、と、そこまで考えたらまた胃液が込み上げてきた。咄嗟に口元を押さえると、ガイアが「大丈夫か?」と言って私の背を摩った。
「……う、ごめん…一瞬込み上げてきただけだから…」
「思い出しただけでもそれって、重症だな」
自分でもそう思うし、贅沢で最低な悩みだと思う。人の気持ちを踏み躙っているのだから。どうにかしたいと思っても、思いを告げてくれた人に応える事なんて到底できそうにないし、もしそれに応えてみたところで相手にも失礼な上に火に油を注ぐ気がしてならない。きっとトラウマになって私は一生人からの好意を恐れ、恋愛が出来なくなってしまうだろう。
「……さっき、俺がお前の背を摩った時、どう思った?」
「え?」
ガイアの瞳は伏せられていて、まるで夜の海のように何を考えているのか分からなかった。
さっきの出来事を思い出す。あの時の事を思い出して吐きそうになった私の背をガイアが摩った。思いを告げられ吐いてしまった時、その隊員に摩られた時はもっと悪化して大変だったけど、ガイアに触れられた時は特に何も感じなかったかも。パッと顔を上げると、ガイアが口角を上げた。
「…なんでだろう。ガイアは友達だからかな?」
「……かもな?ところで、お前はその体質を治したいと思うのか?」
今はそんなつもりはないけれど、いつか私だって騎士を辞めて結婚をして、子供を産む事になるだろう。そうならなくても別に良いけれど、そうなれる選択肢を選べるようになりたい。
ガイアからの問いにゆっくり頷くと、ガイアは指をパチンと鳴らして、「決まりだな」と笑った。決まり?何が?意味が分からず首を捻る。
「俺で練習するってのはどうだ?」
「練習?何の?」
「恋愛のだよ」
「…………え!?」
驚いて椅子から転げ落ちそうになる。慌ててテーブルの端を掴むと、ガイアは大きなリアクションを取る私がツボに入ったのか、ははは!と大きな声で笑った。何だか今日のガイアはテンションが高いように思えるけど、もしかして酔ってるのかな?さっきの発言も冗談とか?と、ガイアの顔をジッと見るが、私の考えている事が分かったのか、ガイアは酒の入ったグラスを指差して、「まだ二杯目だぜ?」と笑った。
「俺は酔ってもいないし、冗談を言ってるわけでもない。お前はそれを治したいんだろう?なら触れられても拒否反応が出るわけでもない、ただの友人である俺がお前のそれを治すのにピッタリなんじゃないか?」
「……確かに…でもなんでその方法が恋愛なの?」
「世の恋人同士の真似事をしてみて、恋だの愛だのについての理解を深めたらお前のそれも直るんじゃないかと思ってな。恐怖ってのは知らないものに対して起こるもんだって言うだろ?」
「う、うん……」
「それに、そんな事をしている最中にお前の事を好きになっちまうような男に俺が見えるか?」
「……見えないね」
恋愛を知って、好意に対する理解を深めて恐怖心を克服する。しかもその相手は私の事を好きにならないであろうガイア。確かに、試させてもらう価値はありそうだ。
「…でも、ガイアは良いの?私の事情に付き合ってもらう事になっちゃうけど…」
「水臭いじゃぁないか。お前が意を決して俺に話してくれたんだ。それに、友が困ってたら助けるのも騎士の役目だろ?」
ガイアはグラスを持つと、テーブルに置かれた私のグラスにそれを軽くぶつけた。
ガイアに話してよかった。そして、こんな私を受け入れてくれて、あまつさえ協力してくれるなんて。良い友人を持った…と鼻の奥がツンとする。そんな私を見てガイアは「おいおい何でだ?」と笑いながら私のグラスに酒を注いだ。
「じゃあ早速だが、今日から俺たちは擬似恋人同士って事で良いよな?」
「うん。で、具体的にどんな感じの事をするの?」
「どんなってそりゃぁ…」
ガイアは腕を組むと天井を仰いだ。恋人同士が何をしているか分からない程無知でも子供でもない。だからって擬似恋人同士とはいえどこまでするのだろうか。それによっては心の準備が必要だ。ガイアの返事を少しドキドキしながら待っていると、ガイアは上を向いたまま視線だけを私の方へと向けた。
「……次の休みいつだ?」
「丁度明日だよ」
「なら明日、出掛けるか」
思いもよらない提案に目を瞬かせると、ガイアは「デートだよ」と言ってグラスを掲げた。それに合わせて私も自分のグラスをガイアのグラスの近くに寄せると、チンというグラス同士がぶつかる音が店内に響き渡った。
「改めて、俺たちの関係に、乾杯…ってか?」
「……やっぱり酔ってる?」
いつになく嬉しそうなガイアはやはり酒が回ってるとしか思えない。私がそう言うとガイアはグラスに入った酒を飲み干した。少し紅潮した彼の顔は酒のせいなのか、それとも別の何かなのか、この時の私は知る由もない。