ゴン、という音がしたような気がする。容赦無く差し込んでくる光になんとか目をこじ開けると、床で寝ていた筈のカーヴェが向かいのソファで寝息を立てていた。
 なに、どういう状況だっけ…と、寝起きの頭を無理矢理動かして寝る前の事を思い出そうとゆっくり身を起こすと、私の肩が何かに当たった。

「……うわぁ!びっくりした!」

「……」

 そこに居たのはアルハイゼンで、アルハイゼンは私が寝ていたところのすぐ横に腰掛けていたようで、驚く私を横目で見ているが、その瞳は半分しか開いていない。きっと、アルハイゼンもさっき起きたばかりなんだろう。

「おはよう。……ってどうしたの?」

 静かに座っているアルハイゼンだが、なぜか左手をブラブラと振って動かしている。そういえば私が起きたのはゴンという音を聞いたからなんだった。どこかにぶつけたのだろうか?手を伸ばしてその手にそっと触れ、ゆっくりと撫でてみる。すると、アルハイゼンの手がピタリと動きを止めた。

「痛い?大丈夫?」

 チラリとアルハイゼンの顔を見ると、アルハイゼンは未だ眠そうに目を細めたままなぜか大きな溜め息を吐いた。その溜め息の意味は分からないが、私もまだ覚醒し切っていないようでぼんやりとアルハイゼンの手を撫で続ける。
 そう言えば、昨日寝る前に何があったんだっけ…と少しずつ昨日の事を思い出す。
 ……ん?そういえば昨日ディルックさんからの手紙を見た酔っ払いアルハイゼンが私に質問攻めをし、そしてアルハイゼンの顔が迫ってきて…
 勢い良く顔を上げ、そしてアルハイゼンの手を撫で続けていた自分の手を引っ込めてアルハイゼンから少し距離を取り座り直すと、せかせかと動き出した私を見てアルハイゼンが眉間に皺を寄せた。寝ぼけていた頭がやっと起きたようだ。昨日の事があった翌日に何をアルハイゼンの手を無遠慮に撫でているんだ私は…きっとアルハイゼンも呆れているに違いない。と、アルハイゼンを見ると、アルハイゼンは深刻な顔で眉間を揉んでいた。

「…………俺は昨日どうしていた?」

「……昨日の事、覚えてないの?」

 まさか、覚えていないとは。テーブルの上に置かれたスネージナヤの酒をチラリと見る。恐ろしい酒だ。アルハイゼンが酔ったところを見たのなんて昨日が初めてだ。しかも記憶がなくなるくらいなんてよっぽどじゃないだろうか。

「スネージナヤのお酒は強くてなかなかその国以外の人の体質に合わないってディルックさんも言ってた、から……」

 昨日酒に酔い、赤い顔をしていたアルハイゼンの事が頭をよぎる。無意識にディルックさんの名前を出してしまったが、大丈夫だろうか。ああ、でもアルハイゼンは何も覚えていないようだし、大丈夫だろう。と、彼を見ると、アルハイゼンは眉間を揉んだまま険しい顔をしていて、まさか覚えていたのかとドキリとした。

「……君がそのディルックという男からの手紙を読んだ後からの記憶が朧げだ」

「そ、そっか……」

「漠然と覚えている事といえば不快感、だろうか。……俺はカーヴェと喧嘩でもしていたか?」

「…………してない」

 昨日私がディルックさんの手紙に書いてある一文について、アルハイゼンに問い詰められても言わなかった事が、アルハイゼンの言う不快感に該当するのだろうか。そんなにもアルハイゼンは私とディルックさんの間に起きた事について興味があったということ?どうやってアルハイゼンに伝えたら良いのだろうかと言葉を探してみるが、やはり、正直に伝える他ないのではないだろうか。

「その、あのね……」

 ◇

 昨日の事について嘘偽りなくアルハイゼンに伝えると、アルハイゼンは自分の前髪をぐしゃりと握ったかと思えば項垂れるかのように俯いてしまった。私も酔っ払って人に迷惑をかけた事があるからその気持ちはよく分かる。

「……水飲む?」

「いい」

 その後、何も言わなくなってしまったアルハイゼンと私の間に気まずい空気が流れる。唯一の救いといえば向かいのソファで気持ちよさそうに眠るカーヴェがむにゃむにゃと寝言を言っている事だろうか。
 なんで、アルハイゼンは黙っているんだろう。酒のせいだ、気にしないでくれ。とでも言ってくれれば私も分かったと言って昨日の事は忘れるのに。こんな風に、まるで何かを考えているかのような彼の沈黙は心臓に悪い。ご飯を食べに行った時の事、昨日の事、このままだと私は、妙な勘違いをしてしまいそうだ。

「……言いたくなかったら良いが、結局、あの手紙の一文はどういう意味だったんだ?」

「…………えっと…」
 
 沈黙を破ったのはアルハイゼンだった。いつの間にか顔を上げてこちらを見ていたアルハイゼンの視線を掻い潜るかのように目を逸らしてみるが、昨日のようにまたアルハイゼンが機嫌を損ねたら…と思い、私はゆっくり息を吐いて、話す覚悟を決めた。

「……その、引かないでくれる?」

「ああ」

「…以前ディルックさんのところでお世話になってた時にね、私がスメールに戻る前日に送別会を開いてくれたの。…その時に、私浮かれて酔っ払っちゃって、そのディルックさんに……」

 あの時の事を思い出してまたしても顔が熱くなる。できればもう思い出したくない記憶なのに…頭を抱えながら息を吐いて、渋々続きを口にする。

「……吐いちゃって」

「吐いた?」

「そう…彼の衣服に思いっきり………酔っ払ってた私はその後その場で大泣きしちゃって、もう楽しい送別会どころじゃない騒ぎになってしまって…スメールに帰る直前まで私がその事を謝り続けてたから、きっと、ディルックさんは私が気にしていると思って手紙にああやってしたためてくれたんだと思う」

 貴公子と呼ばれているディルックさんの服に嘔吐して、周りは大騒ぎ、それに加えて私は大泣き。酒が入っているとはいえ良い大人がやってはいけない事をいくつも犯したあの夜の事は今でも忘れられない記憶となっている。話したからってスッキリできるような事でもなければ、醜態を晒すだけのこの話はできれば誰にも教えたくなかったのに…
 今度は私が項垂れる番で、顔を覆って俯いていると、私の背にあたたかい何かが触れた。顔を上げると、アルハイゼンは少しだけ口角を上げ、まるで励ますかのように私の背に軽く触れた。

「話してくれてありがとう。これで昨晩の俺も浮かばれただろう」

「浮かばれたって…昨日のアルハイゼンは死んじゃったの?」

 アルハイゼンらしくない冗談に噴き出すと、アルハイゼンも少しだけ笑って、私の背をもう一度ポンっと叩いた。

「引かなかった?」

「君よりももっとすごい酔っ払いを知っているからな。これくらい何ともないよ」

「よ、良かったー……」

 ホッとして胸を撫で下ろす。確かに毎度毎度物凄い酔っ払い方をするカーヴェに比べたら私はまだマシなのだろうか?いや、マシではないか…どちらせよアルハイゼンに幻滅されなくて良かった。へらりと、アルハイゼンに笑顔を向けると、アルハイゼンは私の顔をジッと見てから目を伏せ、ゆっくり立ち上がった。

「……出掛けてくる」

「そうなの?…教令院に?」

 今日は休みだと昨日言っていた気がするけれど、違ったのだろうか。というか、まだ起きてすぐなのに出掛けるなんて何か急用でもできたとか?目を瞬かせながらアルハイゼンの返事を待つ。アルハイゼンは黙って上着を着ると、スタスタと玄関にまで歩いて行く。その背を目で追っていると、扉に手を掛けたアルハイゼンが振り向いた。

「……考えを整理してくる。……今夜、酒場に来てくれないか?」

「……う、うん。分かった…」

 そう言うと、アルハイゼンは扉を開けて出て行ってしまった。
 考えを整理する?それと私が何か関係あるのだろうか。ひとつ、ひとつだけ、とある都合の良い考えが頭に浮かんだ。だけど、そんなのきっと、アルハイゼンに限ってそんなわけ…と私は頭を振った。




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