先日から、どうにも調子がおかしい。具合が悪いとか、気分が落ちているとか、そういうわけではないのだが、この前アルハイゼンと食事をした時のことばかり考えてしまうのだ。ふとした時、夜寝る前、そして仕事中。今も店の前で卸した酒の検品作業をしているのだけれど、どうにも身が入らない。突然うわのそらになって、あの時のアルハイゼンの言葉、そして態度を繰り返し思い出してしまう。私はどうしてしまったんだろう。アルハイゼンとはカーヴェが居たとはいえ一つ屋根の下で暫く暮らしていたくらいだし、すっぴんも、酔っ払ったところも、パジャマ姿だって見られている。それが今更「君のその癖が好きだ」と言われたくらいでどうしてこんなに胸がざわざわと落ち着かないのか。うーん、と店先で唸っていると、どこかから「おーい!」という聞き覚えのある声がした。

「ナマエ、おつかれ!」

「カーヴェ!どうしたの!」

「見てくれ!依頼人から上等の酒を貰ったんだ!今夜家で飲まないかい?」

 突如現れたカーヴェはいかにも高級そうな箱に詰められた酒を私に見せると、ニッと笑った。確かにこの酒は上等な物だ。スネージナヤでのみ製産されていて、なかなか手に入らないうえに値段も驚く程高い。いつも変な依頼人に引っ掛かり愚痴を溢しているカーヴェが、珍しく良い依頼人を引き当てたようで少し安心した。

「ありがとう。飲む飲む!」

「なら仕事が終わったら来てくれ!楽しみにしているよ」

 カーヴェは私に手を振ると、風のようにその場を後にした。あれ…そういえばお酒を飲める嬉しさに二つ返事してしまったけど、無論、カーヴェの言う家にはアルハイゼンも居るわけで…というかあそこはアルハイゼンの家なわけで…いや、こんな事ばかり考えていても仕方ない。何気なく言ったであろうアルハイゼンの言葉に振り回されるなんてらしくない。アルハイゼンは何も思っていないわけだし、こんな風に勝手に気まずさを感じるのはやめよう。
 ふぅ、と息を吐いて両頬を軽く叩くと、私の頭上に一瞬だけ影が掛かる。何事かと慌てて上を向くと、そこにいたのは伝書鳩で、反射的に手を伸ばすと、鳩は私の手にそっと手紙を置いて、飛び去っていってしまった。
 手紙?一体誰から?差出人を確認しようとしたが、店先から「すみませーん」というお客さんの声がして、私は手紙をポケットに突っ込み、慌てて声の方へと走った。

 ◇

「……炎水がベースって書いてある」

「炎水とはどんな酒なんだい?」

「スネージナヤのものすごく強いお酒」

「それは飲み甲斐があるな!」

 カーヴェが「グラスを取ってくる!」といそいそとリビングを出て行くと、部屋の中にアルハイゼンの溜め息が響き渡った。

「ごめんね?お邪魔しちゃって…」

「……それは構わない。だがカーヴェは帰って来てからあの調子だ。うるさくて本を読むのに集中できない」

 アルハイゼンは前髪を掻き上げると、もう一度溜め息を吐いた。その手にはやはり本があり、この前ご飯を食べに行った時に本を読んでいなかったアルハイゼンの事を思い出してはたまた妙な気持ちになっていると、グラスと氷を持って現れたカーヴェが酒の箱を開けていく。

「君は飲まない方が良いんじゃないか」

「僕が貰った酒だぞ!?僕が飲まないでどうするんだ!」

「…ナマエが言っていただろう。強い酒だと。先に言っておくが酔い潰れた君の介抱を俺はしない」

「誰が君の世話になんてなるものか!まったく…」

 そう言いながらカーヴェは酒を箱から取り出すと、栓を開けて、グラスへと注いでくれた。強い酒特有のツンとした香りが広がる。アルハイゼンの言ったように、これを飲んでカーヴェは大丈夫なのだろうかとチラリとアルハイゼンの方を見ると、なぜかアルハイゼンも私を見ていたようで、目が合った事に驚いて咄嗟に目を逸らしてしまった。いや、なんで逸らしたんだ、私!あれは単にカーヴェが飲みすぎないようにどうにか二人で上手い事するぞという合図のようなものじゃないか。そーっと視線をアルハイゼンへと戻すと、勢いよく目を逸らした私が不思議だったのか、少し眉を寄せてまだこちらを見ていた。その視線に応えるかのように小さく頷くと、大好きな酒を前にしてテンションの高いカーヴェが「乾杯をしよう!」と立ち上がった。

 ◇
 
 スネージナヤの酒はやはり度数が高く、二杯目ですっかりカーヴェは酔っ払ってしまった。この酒をくれたらしき依頼人の話や、今日施した柱のデザインは素晴らしい出来だったという話を楽しそうに話すカーヴェに相槌を打ちつつチビチビと酒を飲んでいく。まだ少ししか飲んでいないけど、強い酒なだけあって、いつものペースで飲んでいると酷い酔い方をしてしまいそうだ。

「……ん?」

 つまみに手を伸ばして、ソファへと座り直した時に、ズボンのポケットから何やらカサリという音がした。何だこれ?と取り出すと、それは白い封筒で、そういえば昼に伝書鳩から手紙を受け取った事をすっかり忘れていた。ペラペラと喋っていたカーヴェと、本を読んでいたアルハイゼン、二人の視線が私の手紙へと突き刺さる。一体誰から…と差出人を確認したと同時に、私は勢い良く立ち上がっていた。

「ディルックさん!」

「…………誰だい?」

 カーヴェが首を傾げる。ニヤニヤと締まりのない表情を隠す事なく、ポカンとしている二人に私はディルックさんの話をした。
 
 ディルック・ラグヴィンド。モンドにあるアカツキワイナリーのオーナーで、私がモンドに酒の勉強をしに行っていた時にとてもお世話になった男性だ。ディルックさんは仕事ができて、剣の腕も素晴らしく、性格も良くて優しい、まるでこの世の女性の理想を詰め込んだかのような人なの。と、息継ぎさえ忘れてディルックさんの事を説明すると、興味深そうな顔で私の話を聞いてくれていたカーヴェとは違い、どこか冷めた表情のアルハイゼンは私の手に握られている手紙を見て口を開いた。

「…その彼からなぜ手紙が?」

「あ、今から開けるね」

 封を切り手紙を読むと、その内容は「元気にしているかい?」「仕事は順調だろうか」といったディルックさんらしい細かな優しさが散りばめられた文章だった。嬉しいな。数年の間お世話になっただけだというのに、こうして手紙までくれるなんて。さすがディルックさんは貴公子と呼ばれるだけあるお人だ。手紙を読みうんうんと一人頷いていると、視界の端でカーヴェが一杯、アルハイゼンが一杯酒を飲んだのが映った。アルハイゼンは兎も角、カーヴェはこんなハイペースで飲んで大丈夫なのだろうか。手紙をテーブルの上に置き、カーヴェのグラスを何とか奪い取り水を入れて薄めなくてはとその隙を伺っていると、そういえばアルハイゼンに聞かれていたのに手紙の内容について伝えていなかったと思いアルハイゼンを見ると、いつもはとても色白なアルハイゼンの頬が薄っすらと赤く色付いているような気がする。

「そういえば手紙の内容は…って、アルハイゼン!?」

 アルハイゼンはテーブルに置いてあった手紙を手に取ると、なぜか難しい顔をして読み出してしまった。別に見られて困る事は書いていないから良いのだけれど…と、アルハイゼンらしくない行動に驚いていると、アルハイゼンが勢い良く顔を上げ、手紙を私の目の前にずいと突き付けた。

「これは何だ?」

「何?」

 アルハイゼンの指がとある文章をなぞっていく。

『君はあの時の事を酷く気にしていたようだけど、本当に大丈夫だから気にしないでくれ』

 その文章を見た途端、一気に体が熱くなる。そして、そんな私を見たアルハイゼンの眉間にぐっと皺が寄る。その意味が分からず火照った頬を両手で押さえながら瞬きを繰り返していると、向かいに座っていたアルハイゼンは、私の隣に座りもうほぼ寝ているような状態のカーヴェの首根っこを掴むと、床へと投げ捨てた。「へぶ」とカーヴェは言ったかと思うと、そのままスヤスヤと寝息を立て始めてしまった。カーヴェの居なくなった私の隣にアルハイゼンは腰掛けると、持っていたままだった手紙をテーブルに置いて、私の事をジッと見た。

「言えないような事をしたのか?」

「え?」

「この男と君の関係はなんだ?人には言えないような関係なのか?」

「……え?え?」

 いつもはキリッとしているアルハイゼンの目がいつもより力無いような気がする。頬もさっきよりうんと赤くなっているし、もしかしてアルハイゼン…酔っている?加えて彼らしくない考えを放棄したかのような質問責めに動揺していると、アルハイゼンの顔が徐々に近付いてきている事に気が付いた。

「アルハイゼン!?」

「なぜ答えない」

 詰まる距離に後退するが、こんな狭いソファの上で逃げ場などある筈もなく、気が付けば私はソファの端へと追いやられてしまった。不服そうな表情で「なぜだ」とまるでうわ言のように繰り返すアルハイゼンに、ディルックさんが書いていたあの文章の意味を告げようかと迷うが、あの時の事を思い出してまたしても顔が一気に熱くなる。そんな私の反応が気に入らなかったのか、アルハイゼンが忌々しそうに息を吐く。どうしてこんなにもアルハイゼンがこの事を気にしているのかは分からないけど、これ以上話さずにいると、アルハイゼンの機嫌がすこぶる悪くなりそうだ。えっと、と口を開きかけた直後、私の腕を、アルハイゼンの大きな手がぐいと引っ張った。

「君はこの手紙の男に気があるのか?」

 耳元でアルハイゼンの低い声が響く。至近距離にあるアルハイゼンの顔と、酒が入り艶っぽいその声にたださえ熱い体がうんと熱くなる。熱を帯びたアルハイゼンの瞳がゆっくりと閉じていく。それと同時に徐々に近くなる距離に反射的にぎゅっと目を閉じると、アルハイゼンの吐息が鼻先に掛かったような気がした。え、このまま、本当に?速る心臓を落ち着けるかのように自分の胸をぎゅっと握ると、突然、肩に何かがどしりと落ちてきた。謎の重みにゆっくり瞳を開けると、アルハイゼンが私の肩に顔を埋めて寝息を立てていた。

「……え?」

 強い酒の匂いに、健やかな寝息が二つ。そして私の気の抜けたような溜め息が部屋中に響き渡った。
 




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