「それでその依頼人は最終的にやり直せと言ったんだ!さすがの僕も何ヶ月掛かったと思ってるんだと追加で用意されたモラを床に叩きつけてやったよ!あの依頼人は美的感覚は愚か他者に対する敬意ってものさえなかったんだ!」
次から次へと酒と話題をコロコロ変えるカーヴェに相槌を打つ。アルハイゼンの家に泊めてもらう事早数日、というか泊めてもらっているのは事実だが、マハマトラの許可が下りないと外出する事ができないあたり言い方は悪いが閉じ込められているようなものだ。仕事に行き詰まったカーヴェはアルハイゼンによると酒場に足を運び飲み相手を探していたらしいのだが、家に私が居るものだから酒場に行く必要が無いらしく、毎晩私を捕まえては飲み相手にしている。カーヴェの話は面白いし(愚痴は多いけど)聞く分には問題はないのだが、こうも毎晩付き合って酒を飲んでいると堕落しているような、これで良いのかというような気がしてくる。
「カーヴェ?私そろそろ寝ようかなー…」
「そしたら彼は何て言ったと思う?自分が求めているのは君のような華々しい見た目をした建築物ではないから他を当たるよって言ったんだ!信じられないだろう!?僕の外見と僕の創造する建築物が同じ?意味が分からない!」
勇気を出して言ってみたのだが、白熱したカーヴェの耳には届かなかったらしく、私は大人しくグラスに入った残りの酒をちびちびと舐めた。時計の針は二時を指している。無論、午前だ。
仕方ない…カーヴェの気が済むまで付き合おう。どのみち私は明日もこの家から出れないんだし…と開き直り空になったグラスに酒を注ごうとしたが、私とカーヴェの間にあるテーブルの上に大きなクマのぬいぐるみがドンと置かれた。驚いてそれを置いた張本人であるアルハイゼンの顔を見ると、アルハイゼンは人差し指を自分の唇へと当てた。
「今のうちに君は逃げろ」
「……え!?てかこのぬいぐるみは?」
「カーヴェの部屋に置いてあった。また適当な事を言って騙され買わされたんだろう」
よく見るとカーヴェの目ははぼ閉じていて、口だけがそれに比例して動き続けている。え?あのぬいぐるみは私の代わりって事?そんなの流石に酔っ払っているカーヴェ相手だとしても通じないんじゃ…
「早く部屋に戻らないと一昨日のように四時まで付き合わされるぞ」
「……そ、そうだった」
朝日を見ながら飲む酒の味はあまり美味しくはなかった…そそくさとリビングから出て、部屋、もといアルハイゼンの部屋へと急ぐ。アルハイゼンは自分の部屋を私に使うよう言い、自分はもうひとつある部屋を使用しているらしい。何度も私がそっちを使う、もしくはリビングで良いと言ったのだが、私の意見が採用される事はなかった。もうすっかり慣れたアルハイゼンの部屋の扉へと触れる。そういえばアルハイゼンにお礼を言ってなかったと振り向くと、アルハイゼンもまた、使用している部屋の扉に触れたままなぜかこちらを見ていた。
「ありがとう、アルハイゼン」
「…明け方まで騒がれ睡眠妨害されるのはもう懲り懲りなんだ」
「ええ、ごめん…」
へへ、と笑うと、アルハイゼンは溜め息を吐いて「君の事じゃない」と首を振った。リビングからはぬいぐるみ相手に未だ喋り続けるカーヴェの声が聞こえてくる。結局、私が居てもいなくても騒がしい事には変わらなさそうだ。
「あっ、そういえば!アルハイゼンの部屋の本って読んでも良いの?」
「構わないが」
「やったぁ。なら明日読ませてもらうね」
「……君はどんな本を読むんだ?」
「え、本は全然読まないよ」
「……」
日中は居座らさせてもらっているから少しの家事と食事の準備くらいはしているが、それ以外の時間は退屈で仕方がない。なので明日からはアルハイゼンの部屋にある本を読ませてもらおうと思って声を掛けたのだが、普段本を読まないと言った私の言葉を聞いたアルハイゼンが黙り込んでしまったのを見て、もしかしてとても失礼な事を言ってしまったのではと全身から汗が噴き出してきた。本好きのアルハイゼンの本に、無知な私が手を出そうなんてアルハイゼンからしたら不快極まりない事なのではないだろうか。ドキドキしながらアルハイゼンの返事を待っていると、アルハイゼンはスタスタとこちらへと歩いてきて、部屋の扉をゆっくり開けた。
「あ、アルハイゼン?」
「……この棚の本は比較的読み易いだろう。しかし、この棚は…」
本棚の前まで行くと、アルハイゼンが並んでいる本に関する説明を始めた。もしかして私でも読み易い本を紹介してくれているんだろうか。アルハイゼンの隣に立ちふんふんとその説明を聞いてみるが、難しい言葉の羅列に頭がこんがらがってくる。試しに一冊の本を手に取って中をパラパラと見てみると、思っていたよりも文字がぎっしり並んでいるタイプの本でふらりと目眩がしそうになる。
「どうした?」
「いや、すごく難しそうな本だなと思って……」
「君が持っているその本なら俺が十二の時によく読んでいたものだ」
「嘘!」
「嘘を吐く必要はないと思うが」
確かに…それにしても十二歳でこんなにも難しい内容の本を読んでいたなんて、やっぱりアルハイゼンは生まれながらにしてとびきり頭が良いのだろう。すごいなぁと思いながら本棚を眺めていると、隅の方に翡翠色の立派な一冊の本を見つけた。他の本と違い、一際分厚く状態も良いその本の元へと駆け寄る。何となく、手にして良いのだろうかとアルハイゼンを見上げると、アルハイゼンは黙っていたが、私の顔を見ると静かに頷いた。読んでも良い、という事だろうか。恐る恐るその本を手に取り、パラパラとページを捲る。色んな箇所に綺麗な字でメモ書きがされている。誰の字なのだろう、と思っていたが、一番最後のページを開いた時、それは誰のものだったのか理解した。
『私の孫、アルハイゼンが平和な生活を送れますように。』
書かれている文字をそっと指でなぞる。これはアルハイゼンの祖母が書いたものなのだろう。本から視線を外して、何も言わなくなってしまったアルハイゼンを横目でチラリと見ると、アルハイゼンは腕を組んでその一文をじっと眺めていた。懐かしむかのような、哀愁を滲ませたその瞳を見て、アルハイゼンの祖母はもうこの世にいないんだという事を悟った。
「……アルハイゼンはとても愛されてたんだね」
私がそう言うと、アルハイゼンは静かに目を伏せた。彼は何も言わなかったが、その動作は私の言葉を肯定しているようで、何だか嬉しくなった。家族から沢山の愛を受けて今のアルハイゼンが居る。それはとても素敵な事だ。血の繋がりがあったとしてもその人から無償の愛を必ずしも受け取れるとは限らない。こんな世の中なのにアルハイゼンはすごく祖母から大切に思われ、愛されていたんだろう。頭が良くて、マイペースで、でもとても優しいアルハイゼン。彼を形作ったのは沢山の経験があってこそだろうけれど、家族からの愛も、彼を形作るその中に含まれているんだとしたらそれは尊くて唯一無二のものだろう。
その後も、じゃあじゃあと目に付いた本を手に取ってアルハイゼンに軽く解説をしてもらう。そんな事をしていたら、気が付けば窓からは朝日が顔を出していた。
◇
「……おはよう」
「…………おはよう」
朝日を浴び、萎びたキノコンのように顔を顰めるカーヴェに挨拶をすると、カーヴェは頭を押さえながら「昨夜僕は何を…?」と目の前にあるぬいぐるみを見つめていた。
「…おはよう」
背後から突然聞こえた声に振り向くと、これまた朝日が目に染みて仕方がないといった様子のアルハイゼンが立っていた。同じくらいのトーンで私とカーヴェが「おはよう」「…おはよう」と挨拶をすると、アルハイゼンは眠そうに眉間に皺を寄せたままジロリと私を見た。
「…君のせいで寝不足だ」
「いや、アルハイゼンだって結構ノリノリだったでしょ…」
私が手に取った本を、表情は変わりはしないが些か愉快そうに話していたというのに。拳を作ってトンっとアルハイゼンの肩を叩くと、アルハイゼンは気にする素振りもなく欠伸を噛み殺していた。
「……き、君達……」
すると、突然カーヴェが立ち上がり両手で口元を押さえた。青いのか赤いのかよく分からない顔色をしたカーヴェは私達を交互に見ると、フラフラと壁に凭れ掛かり、「何という事だ…」や「僕がついていながら…」などと何やらぶつぶつ言っている。意味が分からず首を傾げてアルハイゼンの顔を見ると、何かを察したのかアルハイゼンは「違う」と珍しくやや強めの声でそう言った。
「いや、良いんだ。僕も君達も良い大人だ…僕が口を出して良い事じゃない。でも、ナマエ…」
カーヴェはおぼつかない足取りで私の方へと歩み寄ると、私の両肩に手を乗せ、隣に立つアルハイゼンをチラリと見てから私の耳に顔を寄せた。
「泣かされたらいつでも僕のところに相談においで。分かったね?」
「え?うん…」
「カーヴェ」
何が?と言う前にアルハイゼンがカーヴェをジロリと見る。カーヴェは蛇に睨まれたカエルのように硬直したかと思えば、すぐにキッとアルハイゼンを睨み返してバタバタと自分の部屋へと走って行った。
「……まだ酔ってるのかな?」
「……」
朝を告げる鳥の鳴き声と、アルハイゼンの大きな溜め息。そしてカーヴェの部屋から聞こえてくる「聞いてくれメラックー!」という大きな声が家中に響き渡った。