「……は?」

 数年振りに訪ねてみた幼馴染の家は、呼び鈴を鳴らすと見ず知らずの人が顔を出して「この家は私の家だよ」と煙たそうに私を見ると勢い良く扉を閉めた。
 スメールで酒造業を営む実家を継いだ私はここ数年、モンドにあるかの有名なアカツキワイナリーにて酒造業に関する様々な事を学んだ。そして、オーナーからオッケーが出た事もあり、私は生まれ故郷のスメールに戻ってきたのだが…

「…どういうこと?」

 幼馴染の実家、いや、元実家の前で立ち尽くす。私がスメールを離れていた数年間のうちに一体何があったというのだろうか。
 父親を亡くした後、一生懸命努力をして教令院に入った幼馴染、カーヴェの笑顔が浮かぶ。私が突然家を訪ねたら「どうしたんだい!?久しぶりだね!」とあの太陽のような笑顔で迎えてくれると思っていたのに。
 単純に引っ越しただけなのだろうか。彼も私も良い歳だ。自立し一人暮らしをするのは何ら不自然ではない。ならば彼の母親はどこに?
 うんうんと道の真ん中で唸っていると、通行人が訝しげに私を見ていることに気が付いて、慌ててその場を後にした。

 ◇

 結局、幼馴染の所在は突き止められないまま数日が経った。スメールに滞在していた両親に話を聞くと、カーヴェの母親はどうやらフォンテーヌ人と再婚したらしい。ならば実家を売ってどこかで一人暮らししているんだろうと納得もできるが、これが不思議な事に誰に聞いてもカーヴェが今何処に住んでいるのかを知らないのだ。建築家になり豪勢な建物を建てたという噂は耳にした。まぁ、彼が元気で過ごしてくれているなら、そのうちどこかで会えるだろう。そんな事を考えながら、注文を受けた酒が入った箱を酒場の裏口へと運ぶ。酒場は夜という事もあり賑わっており、裏口に居てもその喧騒が伝わってくる。

「ありがとうございました!」

 店主のランバドに挨拶をすると、「一杯飲んでいきな!」と声を掛けられた。仕事中だし…と断ろうと思ったが、よく考えればこの納品が終わったら直帰して良いんだっけという事を思い出して首を縦に振った。

 スメールを離れる前に来てからというもの、数年振りに訪れるこの酒場はこんなにも洒落ていただろうか?一階、二階と店内を見て、カウンター席に腰掛ける。ランバドが作ってくれた酒を一口飲むと、彼は味はどうだ?とでも言うかのように目を輝かせるものだから素直に「美味しい」と頷くと、白い歯を見せて笑った。

「素敵な店内だね。特に二階の特別席?あそこが特に素敵」

「本当かい?嬉しいよ」

 ランバドとは違う声が背後から掛けられる。私が振り向く前に、ランバドが「よお!」と手を挙げた。常連さん?と思い声の主を見ると、そこにいたのは所在の分からない例の彼の姿だった。

「カーヴェ!?」

「えっ、僕の事を知って……ナマエ!?」

 カーヴェはただでさえ大きな目をうんと大きく見開くと、信じられないものを見たかのような彼の顔が徐々に笑顔へと変わっていく。元々整った顔をしていたが、久しぶりに見るカーヴェはあの頃よりもうんとかっこよくて、そして身に付けているものもお洒落極まりない。「久しぶりじゃないか!」と興奮気味に私の横に腰掛けると、いつの間にか出てきていたグラスに入った酒を私の方へと傾けた。それに応えるかのように私もグラスを持って乾杯すると、チンというグラスがぶつかる小気味良い音が店内に響いた。

「モンドから帰って来ていたのかい?ずっとナマエに会いたかったんだよ」

「一番にカーヴェに会いに行ったんだよ。なのにまさか引っ越してるなんて思わなかった」

 私がそう言うと、ぐいぐいと酒を飲んでいたカーヴェの手がピタリと止まる。ん?と首を傾げると、カーヴェはぎこちない笑顔を浮かべて「あ、ああ…」と言葉を濁した。

「カーヴェは今何処に住んでるの?」

 すると、またしてもカーヴェの動きがピタリと止まる。え?私、何かまずい事言ったのかな…と目を瞬かせると、カーヴェは誤魔化すかのように「ランバド!おかわりを貰えるかな」と空いたグラスをランバドへと手渡した。

「そ、そういうナマエは今何処に住んでるんだい?」

「……私は実家だよ。また遊びに来てよ。お母さんもお父さんもカーヴェに会いたがってるんだ」

「そ、そうか!それは光栄だ。今度お邪魔させてもらおうかな」

 カーヴェの不自然とも取れる、質問を質問で返す話術に内心どういうこと?と疑問に思いながらも何となく聞いちゃダメな事だったのかなと思いながらも、私達はその後数時間思い出話に花を咲かせた。

 ◇

「……カーヴェ、頑張って歩いて…」

「…ううーん……」

 酒場のラストオーダーの頃にはカーヴェはすっかり出来上がっており、空いたグラスの数は数え切れない程だった。
 まさかこんなに酒を飲むタイプの男になっていたとは…と一人で歩く事も出来ないくらい千鳥足のカーヴェに肩を貸しながら歩いて行く。

「カーヴェ、次はどっち?」

「……み、右」

 結局カーヴェは住んでいるところをどんなに酒が入っても言うことはなかった。こんなになる前に場所を教えてくれていたならスマートに送り届ける事ができたと言うのに…その結果、べろべろに酔っ払ったカーヴェのナビゲーションの元、彼を引き摺りながら、彼の自宅を目指す事になっている。

「次は?」

「す、直ぐそこ…」

「……ここ?」

 力無く指差されたその家は、平屋の一軒家で、良いところに住んでいるんだなと感心すると共に、窓から漏れる灯りに胸がドキリとした。
 灯りが点いているという事は誰かがいるという事だろう。
 ………え?誰が!?
 家の前まで来たのにも関わらず、カーヴェを掴んだまま思わず後退りしてしまった。だって、こんな一軒家に住んでいるカーヴェ、誰かがいる気配、そんなの間違いなく恋人なのでは?冷静になるとこの状況はとんでもない事なのではないだろうか。酔っ払ったカーヴェを連れて私が夜分遅く恋人のいる自宅までカーヴェを送り届けるだなんて場合によっては修羅場だ。そうならそうと言ってくれたら良かったのに!とカーヴェをキッと睨み付けるが、カーヴェは目を閉じて眠りかけていた。
 どうしよう…このままカーヴェをここに座らせて、ノックだけして走って帰る?いや、そんな事したらますます怪しまれてしまう。そもそも私とカーヴェは偶然酒場で再会してただ飲んでいただけなのだからそんな事をしてしまったら見つかった時、色んな事を疑われてそれこそ修羅場だ。
 汗を滲ませながら脳をフル回転させていると、目の前にある扉がゆっくりと開いた。

「……」

 扉が開いた瞬間、心臓が止まるかと思った。ああ、終わったと頭が真っ白になったが、扉の向こうから顔を出したのは予想外の人物だった。

「……カーヴェ?」

 長身で手足の長い整った顔をした男。扉を開けたのはカーヴェの彼女…ではなくこの男性で、絶対に女性が出てくるものだと思っていた私は言葉を失う。長身の彼は私を見て誰だ?とでも言いたげに眉間に皺を寄せると、私の肩に腕を回してほぼ眠っているカーヴェを見て彼の名前をうんざりした様子で呟いた。

「……酔って酒場、もしくは道端で眠っていたこの男を君が拾った?…差し詰めそんなところだろう」

「えっと、あの、私は彼の幼馴染で…」

 説明しようと口を開きかけたが、完全に眠ってしまったのか、私の肩からカーヴェがずるりと落ちそうになる。慌てて支えようとしたが、鍛えられた白い腕が伸びてきて、カーヴェの首根っこを無遠慮に掴んだ。

「…寝かせてくる。……とりあえず上がってくれても良いが」

「え、あっ…はい…」

 彼は私越しに暗い夜道を見ると、私に家に入る事を促した。
 そそくさと家の中へ上がらせてもらうと、彼はカーヴェをずるずると引きずってソファの上に乱雑に寝かせた。くうくうと寝息を立てるカーヴェは、起きる気配がなく赤い顔を綻ばせながら夢の中だ。室内にカーヴェの寝息と時計の針が動く音だけが響き渡る。背の高い彼はくるりとこちらを向くと、私の事をジッと見た。私が話し出すのを待っているかのようなその視線にそういえば話の途中だった事を思い出して「ああ!」と思わず声が出た。

「その…夜分遅くに本当にごめんなさい…私とカーヴェは幼馴染で、久しぶりに酒場で再会したらカーヴェが酔い潰れてしまって…」

「大方そんなところだろうと思っていた」

 彼はチラリとカーヴェを見ると、大きな溜め息を吐いた。この反応からするに、カーヴェはよく酔い潰れては人にこの家まで運んでもらったりするのだろうか?

「そ、それじゃ私帰ります。お邪魔しました…」

 溜め息を吐いたかと思えば何も話さなくなってしまった彼と私の間に流れる微妙な空気に耐え切れなくなり、そろりそろりと玄関へ向かおうとすると、「待て」と彼が私を呼び止めた。な、なに?お前がカーヴェをこんなになるまで飲ませたんじゃないのか?などと叱られるのではと緊張しながら恐る恐る振り向くと、彼はどこから取り出したのか可愛らしいキーホルダーのついた鍵を手に持ちそれをカチャカチャと鳴らした。

「送って行く」

「……え!?そんなっ…大丈夫です!」

 慌てて両手を振って大丈夫だと連呼するが、彼は首を緩く横に振って、「もう外は暗いし、君は女性だ」と言って玄関の扉を開けた。

「あの、本当に大丈夫です!この辺り街灯も多いし…」

「…カーヴェの幼馴染なんだろう?君に何かあったらあいつに何を言われるか分からないし、それに俺としても後味が悪い」

 彼の言いたい事も分からなくもないが、それでも今日初めて会った友達の友達のような人に家まで送ってもらうなんてあまりにも申し訳ない…と、伝えようとしたが、彼は私の言葉など聞く気はないようで、スタスタと家の外へと出て行ってしまった。慌ててその背を追い掛けて家を飛び出すと、それと同時に扉が閉められて、カチャリと鍵を掛ける音がした。

「で?君の家はどの辺りなんだ」

「……ええーと…」

 結局、送ってもらう事になってしまった…ざっくり場所を伝えると、彼は一度頷いて、私の家がある方角へと歩き出す。

「…すみません。今日初めて会った人に家まで送り届けてもらうなんて…」

「俺も初めて会った奴を家まで送り届けるのは初めての経験だ」

 彼の言葉がぐさりと刺さる。「すみません…」と私が項垂れると、彼はそんな私をチラリと見ると意味が分からないといった様子で少し眉間に皺を寄せた。

「カーヴェの幼馴染と言ったな。君も教令院に?」

「いえ、私は教令院には行ってません。実家の酒造業を継ぐためモンドに留学していたので」

「酒造業?という事は…」

 彼は指で自分の顎を撫でると、私の家が営む店名を口にした。「そうです!」と知っていてくれた嬉しさから思わず大きな声で返事をすると、彼は「酒場で酒を買う時、君の店の酒をよく買っている」と言ってくれた。

「あ、そういえば名乗ってなかったですね。私はナマエっていいます」

「アルハイゼンだ。……君はカーヴェと同い年だろう?なら俺に敬語は不要だ」

「確かにカーヴェと同い年ですけど……」

 アルハイゼンと名乗った彼もまた私たちと同い年なのだろうか。だから敬語ではなくて良いということ?

「俺はカーヴェの二つ下だ」

「……ええ!?」

「声が大きい」

 慌てて自分の口を押さえる。今が深夜である事を忘れていた…いや、それよりアルハイゼンはカーヴェと私の二つ下?同い年でもなく年下!?むしろ年上のような落ち着きを放っていたから勘違いしてしまった。

「そうなんだ…落ち着いて見えるから年上なのかと思ってたよ…」

「よく言われる」

「へぇ、そうか…ならカーヴェとは先輩後輩って事だよね?年も違うのにルームシェアなんてとっても仲良しなんだね」

 カーヴェにこんなにも気の置ける友達、及び後輩が居たなんて何だか嬉しい。お母さんが再婚したという話を聞いた時、カーヴェは一人で寂しくないのだろうかと少し心配していたからホッとした。

「……カーヴェから何も聞いていないのか?」

「何を?」

「いや…」

 アルハイゼンが口を噤む。何も聞いていないのか、とはどういう事なのだろうか。「それって…」と口にしかけたが、気が付けば私達は私の自宅前に到着していた。

「…じゃあ俺はこれで。カーヴェには君が送り届けてくれた事を必ず伝えておく」

「あっ、それは全然大丈夫なんだけど…あの、送ってくれてありがとう!」

 アルハイゼンは頷くと、踵を返して夜のスメールの街へと消えて行った。

 アルハイゼン…なんだか不思議な雰囲気の人だった。けれど見ず知らずの私を家まで送り届けてくれるなんて優しい人だ。うちの酒をよく購入してくれていると聞いたし、今度お礼に持って行こう。カーヴェともなんだか微妙な別れ方をしてしまった事だし、また会えると良いな。



 翌日、実家の前で各所に卸す酒の振り分けをしていると、突如頭に何かがゴン!と鈍い音を立ててぶつかった。

「いった!なに!?」

 鳥でもぶつかってきたのかと頭を押さえて振り向くと、なんとそこには宙に鞄のようなものがふよふよと浮かんでいた。その謎の物体に驚いてあんぐりと口を開けて固まっていると、鞄の真ん中に液晶のようなものがあり、そこにドットで顔のようなものが表示されている。何これ?初めて見た。今のスメールにはこんな機械が散歩をしているのだろうか。
 ピッピッと忙しなく音のようなものが鳴っている。そーっと指を伸ばして触れてみようとしたが、どこかから「ナマエ!ナマエ!」と私を控えめに呼ぶ声がし辺りを見渡した。

「……カーヴェ?」

 家から数メートル程離れたところにある大きな木。その影からこちらを見ている人物。あの金髪と派手な出立ちはカーヴェだろうか。声がした方角もカーヴェと思わしき人がいる方からだったし…目を擦ってカーヴェであろう人影をジッと見ていると、鞄がまた音を立てて、私の背中にゴンゴンとぶつかってくる。

「痛い!なに?あっちに行けってこと?」

 ぶつかられるがまま移動すると、木の影からひょっこり顔を出したのはやはりカーヴェで、カーヴェは私を見て笑顔になると、私にぶつかり続ける謎の鞄を見て目くじらを立てた。

「こらメラック!君ってやつは!呼んできてくれと頼んだが、女性にそんな荒っぽい事をしてはダメだろう!」

「メラック?」

「……いや、気にしないでくれ。それより…先日はすまなかった…まさか酔い潰れて家にまで送ってもらってしまったなんて…」

「そんな!大丈夫だよ!お互い楽しくて飲みすぎちゃったよね」

 しゅんと肩を落とすカーヴェに慌ててそう伝えると、カーヴェはパッと顔を上げて「ナマエは優しいな…」と泣き出しそうな顔になる。まるで人の優しさに初めて触れた捨て猫のような彼の表情に思わず頭を撫でてしまいそうになったが、流石にそこはグッと堪えた。

「……で、なんでこんなところに私を呼び出したの?」

 チラリと店先を見ながらそう言うと、視界の端でカーヴェの肩が大きく跳ねたのが分かった。

「それは、その…」

 俯くカーヴェに何となく、私の両親と顔を合わせたくないのではという考えが思い浮かぶ。それに、アルハイゼンとのルームシェア。それも妙に引っかかるし…言葉を探すかのように視線を泳がせるカーヴェを見つめながら私も一生懸命頭を動かして推理をと思ったが……やはりこういうのは向いていないようだ。

「……カーヴェ、今夜も飲まない?」

「…えっ、昨夜の事があったのに、僕と飲んでくれるのか?」

「勿論!」

 そう言ってカーヴェの肩を軽く小突くと、カーヴェの顔に笑顔が戻る。ならまたランバドの酒場に集まろう!という事なった。今夜も納品があるし丁度良い。今夜こそ、カーヴェを纏う謎について聞き出す事ができるだろうか。

 ◇

「……本当は一刻も早く出ていきたいんだ…あいつ、アルハイゼンの奴、いつも僕に…」

「…そうなんだ」

 飲み始めて数分。意外とあっさり色んな事を喋り出すカーヴェに、こんな調子でたくさんの人に身の上話をしてしまっているんじゃと心配になる。彼が飲み過ぎないように隙を見てカーヴェのグラスにお冷を混ぜているが、薄まった酒に気付かないのも問題だが、薄めているのにも関わらずカーヴェは順調に昨日と同じようなペースで酔っていっている。もしかして、めちゃくちゃお酒に弱い?止まることのないカーヴェの口に、少しだけ後悔しつつ相槌を打つ。
 
 カーヴェは、とある仕事で失敗し、大借金を作っていた。それにより住むところがなくなり、アルハイゼンの家に住まわせてもらっているらしい。だからアルハイゼンとは仲良しというわけでも、友達というわけでもない。教令院時代の知り合いにアルハイゼンの家に住まわせてもらっている事、借金の事は知られたくないようだ。

「幼馴染であるナマエにもそんな事は知られたくないんだ…ましてや彼女の両親になんて恥ずかしくて言えるわけないよ…大体久しぶりに顔を合わせたら今何をしている?って話になるだろ…だから…」

 つらつらと話しているが、目の前にいるのはその幼馴染である私、ナマエなのだけれど…
 完全に酔っ払っているようで、カーヴェは私と話している事さえ分からなくなっているらしい。それにしても、先日久しぶりにカーヴェと会った時に感じた彼の違和感の謎が解けた。カーヴェは昔からとても頑張り屋さんで、あまり人に弱いところを見せないタイプだ。そんなカーヴェが私にこれまであった事を話すのは気が引けるのも頷ける。(今となっては全部話してしまっているけど…)
 聞いてしまって良かったのかと思うが、聞いてしまったんだから仕方ない。何かしらカーヴェをサポートできたらと思ったが、私が手を差し伸べたところでカーヴェは強がってその手を取る事はないだろうなと、酒を一口飲みながら未だ愚痴り続けるカーヴェに適当に返事をしながら考えに耽っていると、背後から大きな溜め息が聞こえた。

「君たちは懲りないな」

「あ!アルハイゼン!」

「何!?アルハイゼンだと!?」

 私達をうんざりした様子で見下ろしている人物、アルハイゼンは酒瓶の入った袋を抱えながらカーヴェと私を交互に見た。アルハイゼンの名を聞いて勢い良く椅子から立ち上がったカーヴェを何とか座らせてお冷の入ったグラスを押し付けると、まるでおもちゃを渡された赤子のように大人しくそれを受け取ってちびちびと飲んでいる。
 カーヴェから話を聞いて分かったのは、アルハイゼンとカーヴェは決して仲良くないという事だ。カーヴェは話の合間に必ずと言って良いほどアルハイゼンの愚痴を言う。こんな酔っ払った状態のカーヴェとアルハイゼンが顔を合わせては喧嘩が勃発しそうだと察した私の判断は正しかったらしく、大人しく水を酒だと勘違いして飲んでいるカーヴェを尻目にそっと席を立つ。

「昨日は送ってくれて本当にありがとう」

「…この様子だとまた君がカーヴェを家に送り届けて俺が君を君の家まで送り届ける事になりそうだが」

「……そうならないようにちょこちょこ水で酒を薄めてたんだけど、私が思ってる以上にカーヴェは酒に弱いみたいだね…」

「な、なんだと!?水で薄めてた!?それは本当なのかい!?」

 私達の会話を聞いていたようで、またしてもカーヴェが椅子から弾かれたかのように立ち上がる。ああ、酔っ払いって面倒臭い…モンドの酒場でバーテンダーの手伝いをしていた時に酔っ払いに絡まれた時の事を思い出す。
 水の入ったグラスと私とアルハイゼンを順番に見るカーヴェはすごく忙しそうで、どんな言い訳をしようかと考えていると、アルハイゼンがつかつかとカーヴェの元まで歩いて行き、彼の首根っこを掴んだ。

「ぐえ!何するんだアルハイゼン!」

「…君は酔うと本当にタチが悪いな。…いや、酔っていなくてもか」

 アルハイゼンはこちらを見ると、ギャーギャーと騒ぐカーヴェの声なんて聞こえてないかのような落ち着き払った様子で「カーヴェは俺が連れて帰ろう」と言った。確かにこれ以上酒を飲ませると手が付けられなくなりそうなカーヴェを見て、それが良いかもと頷くが、カーヴェは納得がいかないようでアルハイゼンに首根っこを掴まれながら抗議の声を上げ続けている。

「折角ナマエと飲んでいたのに君が来て興醒めだ!離してくれ!」

「相手を認識できないくらい酔っているかと思えば今になって再認識するとは、スメールが誇る天才建築家様は酔い方も独創的で素晴らしいんだな」

「な、なんだと!……兎に角!僕は君の言う通りにはしない!今日はナマエと思う存分飲むって決めているんだ!」

 私と思う存分飲むと決めていたのか…というかアルハイゼンは私達の会話を聞いていたのだろうか。
 椅子にしがみつき出したカーヴェにこのままでは埒があかない事を悟り、口論を続ける二人の間に割って入ると、アルハイゼンが持っている酒瓶を指差してカーヴェにできるだけ優しく語りかけた。

「ならカーヴェ!あなた達の家で飲み直そう?ほら、お酒ならアルハイゼンが買ってくれてるよ!」

「は?」

 唖然とするアルハイゼンにいいから話を合わせて!と必死でウインクをする。アルハイゼンの持っている酒瓶を見てカーヴェが本当に…?といった具体でしがみついていた椅子から離れて行く。まるで小さな子供をあやしているかのような気分になりながら「その調子!」「さぁお家に帰ろう!」と声を掛けていると、カーヴェはやっと立ち上がり、「さぁ、帰ろう!」と笑顔で私達二人の手を引いた。

 ◇

「……ごめん」

 あの後二人の家にお邪魔させてもらい、アルハイゼンの買った酒をカーヴェが勝手に空けてたらふく三人で飲んだ後、カーヴェは昨夜同様ソファで眠ってしまった。エンターテイナーの如く話し続けていたカーヴェが眠った事により、アルハイゼンと私の間に沈黙が訪れる。昨夜同様迷惑をかけ、アルハイゼンの酒をみんなで飲む事になってしまったのを私が詫びると、アルハイゼンはまたしても深い溜め息を吐いた。

「謝るくらいなら何故カーヴェとまた酒を飲みに行ったんだ。こうなるのは目に見えていただろう」

「……カーヴェの様子がおかしかったから、話を聞こうと思って…酒場でも言ったと思うけど、水で薄く割った酒でまさかこんなにも酔うとは思わなくて…」

 同じ事を繰り返す自分達にうんざりして頭を抱える。というか私も飲み過ぎて少し頭が痛いかも…仰向けになりスヤスヤと眠るカーヴェに近くにあったブランケットを掛けてやると、アルハイゼンが「聞いたのか?」と新しい酒をグラスに注ぎながら呟いた。

「……借金の事?ルームシェアの事?」

「その様子だとカーヴェは君に全てを話したんだな。口を開けばここに住んでいる事は言うな、借金の事は言うなと言う奴が君には存外信頼を置いているようだ」

「でも素面だったら私に話す予定じゃなかったみたい」

「…酔っ払ったのが運の尽きというわけか」

 頷きながら私も便乗して酒を自分のグラスへと注ぐ。酒場にいる時から思っていたが、この酒、アルハイゼンが買っていた酒は私の家で作っている酒だ。昨夜言っていた事は本当だったんだなと嬉しくてニヤニヤしていると、アルハイゼンがまさかこいつまで酔っているのか?とでもいうかのように顔を顰めた。

「うちのお酒本当に買ってくれてるんだね。ありがとう」

「……もう無くなってしまったがな」

「ご、ごめん……アルハイゼンには色々お世話になったから良かったら今度持ってくるよ」

「催促をしたわけじゃない」

「私が飲んで欲しいから持ってくるの」

 アルハイゼンに笑顔を向けると、アルハイゼンは居心地が悪そうに目を泳がせた。グラスに入った酒を流し込むと、視界の端に時計が見えて、日付が変わっている事に気が付いて思わず酒を噴き出しそうになった。

「……え?もうこんな時間!?」

 驚いて立ち上がると、アルハイゼンはその事に気が付いていたようで驚く私を何を今更といった風に見つめている。人様のお家にこんな時間まで長居してしまうなんて!と慌てて上着を羽織り帰る支度を始めると、アルハイゼンがゆっくり立ち上がった。

「……送って行く」

「い、いいよ!大丈夫だから!」

「…俺は同じ事を何度も言いたくないんだが」

「う……ごめん……」

 玄関へと向かうアルハイゼンの背中を追いかける。アルハイゼンはキーホルダーの付いた鍵を取り出して、扉に鍵を掛ける。昨日も思ったけど、アルハイゼンがこんなかわいいキーホルダーを鍵に付けてるなんて意外だ。すると、私の視線に気が付いたのか、アルハイゼンが鍵に付いているキーホルダーをぎゅっと握った。

「言っておくが、この鍵は俺の鍵じゃない」

「え?じゃあ誰の……」

「カーヴェだ」

「……なんでアルハイゼンが持ってるの?」

「あいつがリビングでこれを落としていた。気が付いて俺に聞いてくるまで持っていようと思っているんだが、かれこれ五日は経つがまるで気付く気配がない」

 アルハイゼンは鍵に付いたキーホルダーをじっと眺めると、「俺は基本家に居るから、鍵を開ける必要がなくて気が付かないのだろう」とカーヴェに呆れた様子だ。
 けれど、普通なら同居人が鍵を無くした事に気が付かずのほほんとしていたら激怒しそうなものだけれど…今日も酒場で酔ったカーヴェを連れて帰ろうとしたり、(私を送って行く事になるのがめんどくさかっただけなのかもしれないけど)なんやかんやアルハイゼンはカーヴェに世話を焼いてあげている印象がある。

「……アルハイゼンは優しいんだね」

 私がそう言うと、アルハイゼンがパッと顔を上げて、目を見開いた。驚いたかのような表情を見せる彼に私までつられて目を見開くと、アルハイゼンはふっと元の顔に戻って、興味深い事を聞いたかのように自分の顎を撫でた。

「……優しい?俺が?それは初めて言われたな」

「そうなの?」

「ああ、俺は人に言わせると冷たい人間のようだからな。カーヴェにもよく二言目には君は冷血だと言われている」

「私はそうは思わないけどな〜…」

 星空を見上げながら、確かにアルハイゼンは勘違いされやすそうなタイプだけど、ひとえに「冷たい」で片付けて良いような嫌な人間ではない気がするけどな…とぼんやり考えていると、少し前を歩いていたアルハイゼンがピタリと立ち止まる。

「……君は変わっているな」

 こちらを向いてそう言うと、アルハイゼンは少しだけ口角を上げた。アルハイゼンって笑うのか、と驚いていたが、彼の発言にまたしても私は夜道に大声を響かせる事となる。

「アルハイゼンに言われたくない!」

 




×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -