「アルハイゼンは?」
酒場へと入り、店主であるランバドさんに聞くと、「上にいるよ」と二階を指差した。
朝、アルハイゼンに夜酒場でと告げられてから、目を覚ましたカーヴェに「様子がおかしいぞ?」と言われるし、まるで仕事には身が入らないし、無性にソワソワしてしまうし、なんだか落ち着かない一日だった。
一歩、二歩、と階段を上がると、バーカウンターに腰掛けるアルハイゼンの後ろ姿が見え、心臓がドクンと大きな音を立てた。
「…おまたせ」
近くに寄り、アルハイゼンに声を掛けると、アルハイゼンはいつもと何ら変わらない様子で自分の隣の椅子を引いた。
あれ?なんだか普通かも。私が色々妙な事を考えて意識していただけで、アルハイゼンからしたらただ飲みに誘ってくれただけだったのかな。そんな事を思いながら酒を注文すると、先に飲んでいたであろうアルハイゼンのグラスの中の氷がカランと音を立てた。まるで、それが合図かのようにアルハイゼンの鋭い瞳が私を射抜く。
「単刀直入に言う。俺は君の事が好きだ」
「……………………へっ!?」
ガランとした酒場の二階に、私の間抜けな声が響き渡る。
好き?アルハイゼンが、私を?
もしかして、もしかしてと考えていたけれど、まさかここまで直球で来るとは思わなかった。心の準備が甘かった私は目を見開いて固まっているのに、アルハイゼンはいつもと変わらない涼しい顔で酒を飲み出した。さっきのは聞き間違いだったのだろうかと思ってしまうような冷静なアルハイゼンと私の温度差に頭が真っ白になる。
「…ここ最近、俺は君に対して特別な感情を抱いているのではないかと思う出来事が多々あった。……俺は仏頂面だとよく言われるのだが、君と居るとどうやら笑顔が多くなるらしい」
「……」
「あと、俺はいかなる時も本を読むが、先日君と二人で食事を取った時、自分でも気が付かなかったが、読書をする気になれなかった」
「……うん」
「君が食事をしてるのを見たり、君と会話をするのを好ましく思っているからだろう」
まるで他人事のように自分の事を淡々と語るアルハイゼンの顔は、やはりいつもと変わらず涼しげで、それに反して、アルハイゼンが話せば話すだけ、私の顔は赤く赤く染まっていく。「どうぞ」とバーテンダーが置いていった酒を、一気飲みして少し酔ってしまいたい気分だが、そんな事をしたところで、アルハイゼンには全て見透かされてしまいそうだ。
「それで、昨日の君宛に届いた手紙の件だが、俺はその時の事を酷く酔っ払っていてあまり覚えていない。だが、君が差出人との間にあった出来事を有耶無耶にして、酔った俺は機嫌を損ねたと言っていただろう。もし、あの時俺が酒を飲んでいなかったとしても、きっと不機嫌になっていたと思う」
「……そうなの?」
「ああ、嫉妬したんだ」
鮮やかな色彩を放つ瞳がジッと私を見つめる。その視線に耐え切れなくなって思わず俯くと、私の頬に何かが触れた。それはアルハイゼンの指先で、驚いてアルハイゼンの顔を凝視すると、アルハイゼンが目を細めてふっと笑った。
「赤いな」
「……仕方ないでしょ」
蚊の鳴くような小さな声で私がそう言うと、アルハイゼンは微笑みながら小さく頷いた。
顔が、体がとても熱い。心臓もうるさいし、頭は真っ白だし…
そっと酒の入ったグラスに手を伸ばすと、私の手をアルハイゼンの手が絡めとった。
「飲むのは君が返事をしてからだ」
「…な、なんで?」
「酒のせいにされては堪らないからな」
やっぱり、見透かされていた。おずおずと手を引っ込めようとしたのに、アルハイゼンは私の手を離そうとしない。馬鹿みたいに熱い手の温度がバレてしまうと一瞬焦ったが、私の手を握るアルハイゼンの手も同じくらい熱くて、少しずつ、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。
「……私、は」
「ああ」
「アルハイゼンの事が……」
息を吸って、吐いて、さぁ、言おう。とした直後、バタバタと騒がしく階段を登る足音がして、そしてその人物は私を見つけるや否や一目散に駆け寄って来た。
「ナマエ!店主が来てるって言ってて、丁度良かった!聞いてくれ!昨日の依頼人が……って、アルハイゼン?君も来てた、の…か……」
突如現れたカーヴェは私達を交互に見ると、アルハイゼンの手にしっかり握られた私の手を見て、言葉を失ってしまった。
「ちが、これは!カーヴェ!」
慌ててアルハイゼンの手を離し立ちあがろうとしたのに、なぜだかアルハイゼンは私の手を離そうとしない。なんで!?とアルハイゼンを見ると、まるでカーヴェなんて視界に入っていないかのようにジッと私を見続けている。
「アルハイゼン!?」
「まだ君の返事を聞いていない」
「いや、それはちょっと後でも…」
そんなやり取りをアルハイゼンとしていると、言葉を失い固まっていたカーヴェが、はぁー、と大きな溜め息を吐いた。
「君達?ここは公共の場だぞ?そういう恋人同士の戯れは二人きりの時にする事をオススメするよ」
「え?恋人同士?」
「ん?だって君達付き合っているんだろう?」
「え?」
え?と私と同じようにカーヴェもポカンと口を開ける。付き合っている?私達が?確かに今まさにそういう事が始まりそうな雰囲気ではあるけれど、カーヴェは一体何を言っているんだろうか。どういう事かとアルハイゼンを見て助け舟を出そうとしたのに、アルハイゼンは素知らぬ顔で私達のやり取りを見ている。
「あながち間違ってはいない。今から君の言うような関係になろうとしているところだ」
「えっ」
「……は?君達今まで付き合っていたわけじゃないのかい!?」
「ああ」
アルハイゼンが頷くと、カーヴェは大きな目をますます大きく見開いて、なぜか後退りをしている。カーヴェはなぜ私達が既に恋人同士だと思っていたのだろう。なんで?と聞いてみたかったが、アルハイゼンが目に見えて苛々しているのを私もカーヴェも察して、私は口を噤み、カーヴェはそそくさと階段の方へと歩いて行った。
「……邪魔をしたね。それじゃあ…」
カーヴェは階段を降りかけ、私達に手を挙げたが、ハッとしたかと思うと、ドタバタともう一度こちらへと駆け寄って来た。
「アルハイゼン!僕の幼馴染を傷付けたら僕がタダじゃおかないからな」
「君に言われなくても分かっている」
ふん、とアルハイゼンから顔を背けると、カーヴェが私の耳元にそっと顔を寄せた。
「……ナマエ。アルハイゼンは生意気で可愛くない奴だけど、決して悪い奴じゃないんだ」
「……うん」
「だから、その…よろしく頼んだよ」
カーヴェは私と目を合わせると、とてもとても綺麗な太陽のような笑顔を向けた。カーヴェの言葉に頷くと、カーヴェは私達を交互に見て「じゃあ!」と言い手を挙げ去って行った。
カーヴェが幼馴染で良かった。優しくて、少しプライドが高くて、困っている人を放っておけないカーヴェ。カーヴェが居なかったらこうして私はアルハイゼンと出会う事さえなかっただろう。
酒場の二階がまたしても私達二人だけの空間となる。カーヴェが居なくなった事でシンと静まり返るこの空間に、私の心臓の音だけが響いているような気がしてくるくらい、ドキドキとうるさくて仕方がない。チラリとアルハイゼンの顔を見ると、アルハイゼンは口を開く様子はなく、私の返事を待っているのは明白だ。
「……私も………アルハイゼンが好き」
尻すぼみに小さくなってしまった私の声は、アルハイゼンに届いただろうか。
何を考えているのか分かりにくくて、冷たく見えるけど、でもとても優しいアルハイゼンに、気付いたら私は恋をしていた。いつからなんて分からない。でも、恋とはそういうものなんじゃないだろうか。それはきっと、アルハイゼンも同じような気がする。
私の手を握ったままだったアルハイゼンの手に少しだけ力が込められる。恥ずかしくてアルハイゼンの顔が見れない。好きと言われ、返事をしたのだから、あとはよろしくお願いしますと笑って見せれば良いのに、アルハイゼンが何も言わないから顔が上げられない。あ、もしかして聞こえてなかったのかな?
恐る恐る顔を上げると、すぐそこにはアルハイゼンの顔があって、驚いた私の体が小さく跳ねる。ぐいっと手を引かれたかと思えば、私の額にアルハイゼンの唇が触れた。
「ちょっ…!」
「公共の場だと、カーヴェのような事を言うのか?」
「……そ、そうだよ」
アルハイゼンの唇が触れた額が、火が出そうなくらい熱い。慌てる私を見て、まるで悪戯っ子のように笑うと、アルハイゼンは親指で私の唇にそっと触れた。
「柄にもない事をしてしまうくらい浮かれているんだ。少しくらい許してくれないか」
アルハイゼンの瞳が弧を描く。美しいその瞳の中に、私の姿が映っている。唇に触れていた親指が離れたかと思えば、アルハイゼンの熱い唇が私の唇に重なった。その唇からはアプリコットリキュールの、甘い酒の味がした。