honey & sugar

「僕の事、忘れないで」

 意地悪くつりあがった口角と、北の大地を覆う雪のような白い肌を覚えている。

「約束だよ」

 薄い唇の前に小指が立てられる。約束、という単語に胸がずきりと痛んだ。私が首を縦に振ると彼は満足そうに微笑み、煙のように消えた。
 この白昼夢のような一場面をふとした時に思い出す。彼は一体何者だったのか、何故あんな約束を交わしたのか、それを確かめる術は確かに私の記憶の中にあるというのに、まるで粉雪のようにチラチラと断片的にしか思い出せずにいる。
 そしてこの出来事は瞬きをひとつすれば、まるで手袋の上に降り立ち染みへと変わる氷の結晶のようにどこか脳の奥底へと消えて行く。

 カチャリ、と何処かから食器の鳴るような音がし思考回路が切り替わる。一人暮らしの私の家に私以外の人間はいない。そして此処は北の大地。小動物が迷い込む訳もない。白昼堂々泥棒でもやってきたのだろうか、と冷や汗が流れる。意を決してキッチンの扉を少しだけ開いて中を見ると、とあるポットが宙へふわりと浮いていた。まるで魔法にでも掛けられているかのようにポットは窓際へと移動していく。あっ、と思った瞬間にポットは家の壁をすり抜けて外へと出て行ってしまった。
 魔法にでも掛けられているかのように、というかあれは間違いなく魔法に掛けられている。だってこの世界には魔法使いがいるのだから。私の住む村を統治しているのも魔法使いで、それ以外にもたまにこの村には魔法使いが訪れるみたいだ。しかし、この村を統治する魔法使いの力はそこそこ強く、ふらりと現れた魔法使いを退治していると他の村人から聞いた事がある。その魔法使いの悪戯だろうか、いや、そんな事をするような魔法使いではない。プライドが高く、人間を見下しているあの魔法使いがこんな回りくどい悪戯を私にする意味が分からない。それなら何故?そしてあのポットが、とそこまで考えた途端に頭が真っ白になる。

「…どうしよう」

 慌てて外に出ようとしたが、窓を叩く吹雪の音に立ち止まる。
 何故、よりにもよってあのポットを…さーっと血の気が引いていく。
 あのポットはよく晴れた日に散歩をしていると、首に縫合痕のある赤い髪をした美青年に声を掛けられ「あげます」といい貰ったものだ。ポットを受け取り顔を上げると男の姿は消えており、もしかして魔法使いだったのでは…と慌てて家までポットを抱えて帰ったのを覚えている。魔法使いから貰ったポットなんて怖くて捨ててしまいたかったけれど、そんな事をして呪われてしまったらいけないしと思い開き直って普通のポットと同じように使用していたのだ。けれど、ある日そのポットに水を入れたまま窓辺に置きっぱなしにしていたら翌日に中身が少し薄味の蜂蜜へと変わっていた。やはり魔法が掛かった持ち物だったのだと恐ろしく思ったが、何となく愛着が湧いてキッチンの愛用品の一つになっていたのだ。何故あのポットが勝手に出て行ってしまったのかは分からないが、魔法使いでもない私が魔法の掛かったポットを所持していた事がこの村を統治する魔法使いにバレてしまってはまずいような気がする。
 吹雪がガタガタと窓を揺らす。意を決して私は玄関の扉を開いた。

 まるで顔を殴られているかのような猛吹雪の中、何とか目をこじ開けると、それはまるで蝶のようにふよふよと私の自宅の前を漂っていた。あっ、と思い手を伸ばすと、ポットは村の奥へと私を導くかのように進んでいく。

「待って!」

 睫毛に雪が乗って視界が狭まる。一歩、二歩、と必死に足を進めていくと、何かにドンと頭がぶつかった。思わずよろけてしまい尻餅をつく。慌てて顔を上げると、そこには村を統治する魔法使いがポットを片手に立っていた。ただでさえ身体中が冷えているというのにこれでもかというほどさーっと体温が下がっていくような気がした。

「これは魔法使いが所持している筈の代物だ。それを何故人間であるお前が所持している」

 魔法使いの目玉がギョロリと動き私を睨み付ける。それは道端で魔法使いに貰ったもので、と言おうとしたが、あまりの寒さに声が上手く出てこない。ひゅっと息を吸い込むと、空気と一緒に雪までもが喉の奥へと張り付いてくる。喉を押さえて咽せると、魔法使いは苛立った様子で私の髪の毛を掴んだ。

「まさかお前、魔女か?魔女である事を隠して俺の寝首を掻くつもりだったんだな?」

 違う、私は人間です!と言う前に、魔法使いが私を乱暴に蹴り倒す。踏み固められた雪の地面で頭を打った事により視界が狭窄する。視界の端で魔法使いがどこから取り出したのか分からないが本のようなものを捲る。すると、そこから光が溢れる。何をしているのかさっぱり分からないが、魔法を使って私を殺そうとしているんだという事だけははっきりと分かった。逃げなきゃと思ったが、ぼんやりする頭と、冷え切って言う事を聞かない足に死を悟った。

「…助けて」

 小さく呟いた私の叫びは吹雪によって掻き消される。
 目をぎゅっと瞑ると、何かが頭の中を過った。血のように赤い双眼、薄い唇、妖しい笑み、白い装束。一体、誰?誰の事を私は思い出しているんだろう。頭の中に静かな声が響く。「約束だよ」と。

「……オーエン」

 気付くと私は聞き覚えのない誰かの名前を口にしていた。
 すると、まるで人の叫び声かのように吹き荒んでいた吹雪の音が小さくなり、頬を叩いていた雪がピタリと止んだ。何事かと顔を上げると、私の周りを白い膜のようなものが覆っていた。その膜の外側は先程と変わらない大吹雪で、目の前に立つ魔法使いはどういうわけか膝をつき私の背後を見てガタガタと震えている。

「やっと思い出したの?本当に間抜けだよね、君」

 背後から聞こえた声に振り向くと、そこには先程頭の中を過った人物と全く同じ姿をした男が立っていた。雪のように白い肌をした彼は真っ赤な双眼を細めて私を見ている。まるで白昼夢でも見ているのではと思い、瞬きを数度繰り返すと、男は呆れたかのように大きな溜め息を吐いた。

「ねぇ」

「…え?」

「何ぼーっとしてるんだよ。お前殺されそうになってたんじゃないの」

 端正な顔立ちをしているというのに、男は苛立った様子でぐにゃりと顔を歪めた。男の言葉に慌てて魔法使いを見ると、魔法使いは相変わらず男を見たまま目を見開き、小刻みに震えている。その唇は先程私が発した名前と同じ名前を口にしていた。

「…オ、オーエンだ。あのオーエンが俺の村に…一体、何を…」

―――オーエン。

 魔法使いがぶつぶつと唱えるその名前はきっと彼の事を指すのだろう。オーエンと呼ばれる彼は有名人なのだろうか。けれど一体何故私がそんな彼の名前を口にしたのだろうか。そして、彼はどうして此処に現れたのだろう。
 震える魔法使いをつまらなさそうに一瞥すると、オーエンはしゃがみこんで私と目を合わせた。真っ赤な双眼がゆっくり細められる。その笑みは決して優しさを含んでいたりだとか、人を安心させる為の笑みではなく、ただただ私の心を掻き乱し、不安にさせた。

「ねぇ、あいつの事、僕が殺してあげようか?」

 え?と思ったと同時に何もない空間からトランクが現れる。彼も魔法使いなんだとハッとした。私を守るかのように周りを覆うこの膜も、彼の魔法なんだろう。いや、それよりも彼は今何と言った?殺す?誰を?色んな事が起こり過ぎて頭が上手く回らない。混乱する私の返事など待つものかとでも言わんばかりに、オーエンはトランクを勢いよく開けた。

「《クーレ・メミニ》」

 彼が呪文のような言葉を口にすると、トランクの中から大きな大きな三つの首を持った犬が現れる。人間である私でさえも知っている。これはケルベロスという魔物だ。突如トランクの中から現れた魔物に場の空気が一気に重くなる。血と闇の匂いを放つケルベロスはゆっくり魔法使いへと近付いていく。魔法使いが慌てて本を顕現させ呪文を唱えるが、ケルベロスが威嚇するかのように咆哮すると、魔法使いは「ひぃっ」と叫び尻餅をついた。この村を統治する魔法使いである彼はそこそこの実力者だと聞いていた。なのに、オーエンの前では彼はまるで赤子のようだ。それ程オーエンの力は圧倒的という事だろうか。
 逃げ出そうとする魔法使いの服をケルベロスの前足が捕らえる。ケルベロスはもう一度咆哮すると魔法使い目掛けて牙を突き立てようと三つの顔を大きく上へと逸らした。

「や、やめて!」

 気付いたら私の足は動いていて、ケルベロスと魔法使いの間へと立ち両手を広げていた。
 ケルベロスが牙を振り下ろす。視界の端でオーエンが目を見開いていたような気がした。

「《クアーレ・モリト》」

 噛みつかれると思いぎゅっと目を瞑ると、オーエンがいる方向から呪文が聞こえた。ケルベロスから感じていた圧力が無くなったような気がして恐る恐る目を開けると、目の前にいた筈のケルベロスの姿はどこにもなかった。
 オーエンはトランクを閉じると、眉間に皺を寄せて此方へと歩み寄ってくる。私の前でピタリと立ち止まると、すらりと長い足が宙へ浮く。彼の靴底が見えた瞬間に、蹴られると思い目を瞑ると、背後から「ぐあ!」という声がした。

「…僕は機嫌が悪い。さっさと消えたら」

 蹴られたのはどうやら私ではなく私の後ろにいた魔法使いのようで、魔法使いはオーエンに蹴られた肩を押さえながら脱兎の如く何処かへと走り去って行ってしまった。
 気付いたら吹雪は止んでいて、オーエンがパチンと指を鳴らすと私の周りを覆っていた膜のようなものがすっと消えた。

「あ、ありがとう…」

「………は?」

 間の抜けたようなオーエンの声が静寂に包まれた村の中に響き渡る。オーエンは眉間に皺を刻んだまま珍獣でも見るかのような目で私をじっと見ている。その表情はまるで何で今お礼を言ったの?と言っているかのようで私は慌てて言葉を付け足した。

「さっきの膜みたいなのが無かったら、私、吹雪で息が出来なくて死んじゃってたかも」

「……死んじゃってたかもも何も、死んでただろうね。馬鹿じゃないの」

 そう冷たく言い放つと、オーエンは私の事をじろりと見た。品定めでもするような視線に体が自然と強張る。

「…何?魔力の気配が微塵も感じられないんだけどもしかしてまだ思い出してないの?」

 さっきから彼が言っている思い出しただとか思い出していないのだとかいうのは一体何の事なのだろう。わけがわからず首を捻ると、オーエンは溜め息を吐きながら私の頭に手を乗せた。

「…君の頭の中ぐちゃぐちゃになっちゃうかもね」

 うんざりした顔をしていたかと思えば、オーエンはにやりと意地悪く笑った。表情のコロコロ変わる人だなと彼の整った顔を見ながら考えていると、オーエンが呪文を唱える。その直後、頭にズキリと大きな痛みが走った。

「…い、った…なに?」

 ドクドクと心臓が脈打てば脈打つ程頭痛が酷くなる。目の前にいる筈のオーエンの顔が霞んでいって、違う映像が映し出される。

 その日は北の国では珍しく気持ちが良いくらいの晴天で、散歩に行こうと私は家を飛び出した。扉に掛けた自分の手は今よりもうんと小さくて、これは幼少の頃の記憶なのだとすぐに理解した。扉を開けると、目の前にはいつもとは違う光景が広がっていた。
 純白の雪原を彩る赤。そしてその上には小綺麗な格好をした男が薄笑いを浮かべて手にした何かを陽の光に透かせて見ている。宝石、だろうか。それに反射した光が目の中へと飛び込んできて、私は思わず目を瞑った。そして目を開けると、男は手にしていた宝石を口の中へと放り込んだ。男の喉が上下すると、男を纏っていた雰囲気がずしりと重くなったような気がした。この男はオーエンだ。しかし、記憶の中の私はオーエンを見るのは初めてで、まるで深い森の中で幽霊にでも遭遇したかのような不安感に駆られていた。オーエンの赤い瞳が私を捉える。目が合った途端に体にぞくりと何かが走った。この人は危険だと身体中が警告している。慌てて扉を閉めようとしたが、数メートル先にいた筈のオーエンがどういうわけかうんと近くにいて、扉を閉めようとしていた私の手をぐっと掴んだ。

「君、魔女だね」

 薄い唇が弧を描く。記憶の中の私と、今この光景を見せられている私の心臓がどくりと音を立てる。魔女?私が?意味が分からず混乱するが、記憶の中の私は私とは違う感情を抱いていた。しまった、バレてしまった。と。
 動揺をオーエンに悟られないように首をゆっくり横に振るが、オーエンは間髪入れずに「嘘吐き」と低い声で言い放つ。

「…小さいのに魔力が強い。良いものを見つけた」

 オーエンはまるでおもちゃを見つけた子供のように楽しそうに笑うと、小さく何かを呟いた。すると、何かが私の身体中に巻き付く。首にも巻き付いたそれを掴み解こうとすると、小さな赤い瞳と目が合う。

「…ひっ!」

 私に巻き付いていたものは白く淡い光を放っている蛇のようなもので、一体どこから出てきたのかと思ったが、目の前にいるオーエンはどこからどう見たって魔法使いで、彼の魔法によるものなのだと理解した。オーエンと同じ赤い瞳をした蛇の顔が近付いてきて、まるで味見をするかのように私の頬を細い舌がチロチロと舐める。蛇を解こうと爪を立てれば立てる程、ぎゅうぎゅうと身体中を圧迫される。オーエンはというと微笑みを浮かべたまま苦しむ私を楽しそうに見ていた。
 首を絞められ呼吸ができない。助けて、そう思いオーエンに手を伸ばすが勿論彼は私の手を取ってはくれなかった。当たり前だ。だって私をこんな目に合わせているのはオーエンなんだから。それでも私は彼に手を伸ばし続ける。オーエンが怪訝そうな顔をして呪文を口にしようとしたが、それは私の声により遮られた。

「…お父さん、お母さん…私、いい子で…待って、たのに」

 あ、意識が飛ぶ。そう思ったと同時に手に冷たい感触。まるで氷のように冷たいそれは触れたかと思うと私の手をぐいと引っ張った。

「《クーレ・メミニ》」

 圧迫されていた体がふっと軽くなる。思わずその場に崩れ落ちると、私の手を握っていたものが離れる。酸欠状態だった体が急に解放されて一気に酸素を吸った事により咳が止まらない。咳き込みながらちらりとオーエンの顔を見ると、さっきまでにやにやと笑っていたのに何故だか彼は眉間に皺を寄せ居心地の悪そうな顔をしていた。もしかして私の手を取ってくれたのはオーエンだったのだろうか。きっと、そうなのだろう。この場にはオーエンと私しか居ないし、彼は信じられないといった様子で自分の手をジッと見ている。
 咳と嗚咽が止まらない。それに何故だか涙も。それは恐怖を感じたからだとか、苦しかったからというのもあるけれど、どういうわけか私の胸の中はある感情でいっぱいになっていた。寂しい、と。
 記憶を見せられている私の頭に幾つもの疑問符が浮かび上がる。お父さん、お母さん。そしていい子で待ってたのにと言う自分。そういえば何故だか私は両親の存在について考えた事がなかった。しかし、この時の私は両親の存在について口に出している。この時の記憶を失っていたと同時に両親の記憶も失っていたのだろうか。ぼんやりと頭の中に両親の姿が浮かび上がる。「いい子で待ってたら迎えに来るからね」と言って私の頭を撫でる二人の姿。それを馬鹿みたいに信じている幼い私。自分の事なのに何故だか知らない誰かの悲しいお話を見ているような気分になる。だって、両親は私を迎えに来る事は無かったのだから。きっと私は捨てられたのだろう。
 咳き込み涙を流す私を怪訝そうに見ながら、オーエンは何かぶつぶつ独り言を呟いている。ぴたりと彼の唇が閉ざされたかと思えば、強い力で腕を掴まれ立たされる。オーエンは呪文を唱えると彼の人差し指に光が集まる。それを私の眉間に押し付けると、触れた光はすっと消えてしまった。いや、消えたというより私の中に入ったのだろうか。頭の中があたたかくなって、なんだかぼんやりとする。

「…僕の事、忘れないで」

 ぽつりと呟かれた言葉にハッとする。見覚えのある光景と台詞に、白昼夢のように感じていた記憶の霧が晴れるような気がした。

「約束だよ」

 私が反射的に首を縦に振ると、オーエンは煙のように姿を消した。

 頭が、痛い。ぎゅっと目を瞑り頭を押さえると、手に何かが触れた。覚えのある冷たい温度にゆっくり目を開くと、無表情のオーエンが私の顔をじっと見ていた。オーエンの赤い双眼と目が合った瞬間、頭が先程とは比べ物にならないくらいズキズキと痛み出す。

「…痛いっ!」

 あまりの痛みに思わず頭を抱えてその場に蹲る。何が起こっているというのだろうか。私は一体どうなってしまうの?不安に駆られ地面を覆う雪をぎゅっと握ると、自分の手がぼんやりと光っている事に気が付いた。慌てて両手を広げると、手だけではなく身体中が淡く発光している。いや、発光しているというより光に包まれている。

「な、なにこれ!?」

 蛍のように光を放つ私を、まるで品定めでもするかのように静かに見守っていたオーエンの唇の端がつり上がる。

「…《クアーレ・モリト》」

 聞こえた呪文に、後退りをするが、もう遅い。
 氷の刃のようなものが私目掛けて飛んでくる。危ない!と思ったと同時に体を覆っていた光が私の右手に集約する。気が付けば勝手に唇が動いて私は呪文のような言葉を口にしていた。右手に集まった光が氷の刃の目掛けて解き放たれる。そしてその光はオーエンが放った氷の刃を粉々にした。

「…は?」

 何、これ。
 わけがわからず自分の手とオーエンの顔を交互に見ていると、驚いたかのように目を見開いたオーエンの顔がみるみるうちに歪んでいく。

「…僕の魔法を阻止するなんて、いけない子だね。…でも、都合が良いよ。やっと全部思い出したんだから」

「ど、どういうこと?」

「まだ分からないの?君は魔女だよ。昔僕が君を見つけた時に、君と約束をして魔法を使えないようにしたんだ。大人になって益々魔力が強くなった君をマナ石にして食べる為にね」

 くつくつと笑うオーエンに、唖然とする。先程見せられていた記憶の中で自分が魔女であるという事は思い出したが、不可抗力とはいえ実際力を使ってみると自分が自分ではないような気がして恐ろしくなってくる。魔法使いである村を統治する男、そして目の前のオーエン。魔法使いは私の中では畏怖の象徴で、そんな恐れていた存在と私は同じだったのだと思うとくらりとめまいのようなものがした。それに加えてオーエンは私をマナ石にして食べると言った。マナ石が何なのかはよく分からないが、初めてオーエンと会った時に彼は血の滲む雪の上で宝石のような石を飲み込んでいた。あれがマナ石なのだろうか。ならば彼の言っている事は私を石にして殺すという事ではないか。色んな事が立て続けに起こった事による混乱と、殺されるのではないかという恐怖が湧き上がり鼻の奥がツンとした。そんな私を見るとオーエンはにやにやと嬉しそうに笑って私の顔を覗き込んだ。

「泣いたところで君が魔女である事実は変えられないよ?それに魔女の君はもうこの村にも居られないんじゃない?とても可哀想でとても愚かだね。僕が助けてあげようか?」

 まるでそこにある文章でも読むかのようにオーエンの唇が速く動く。彼の言う通り魔女である事は変えられないし、きっともうこの村にも居られないだろう。その事実が重く私にのしかかる。涙が溢れないように上を向く。助けてあげようか?と言ったオーエンは私の返事を今か今かといった様子で待っている。ちらりとオーエンを見ると、オーエンは後ろ手にトランクを抱えている。私が助けてくれと縋り付いたと同時にきっとあの中に居るケルベロスに私は食い殺されるだろう。さっきの攻撃は何故か防ぐ事ができたが、あんな魔物相手にたった今魔法を使えるようになった私が敵うわけがない。期待に満ちた眼差しを向けるオーエンから思い切り顔を背けると、「は?」という低く冷たい声がした。

「…結構です。自分で、何とかするから」

 勿論、当てなど一切無い。何をどうしたら良いのかさえ分からない。この返答が果たして正解だったのかさえ分からない。オーエンの神経を逆撫でしてどちらにせよケルベロスの牙の餌食になるかもしれない。小さく震える自分の手をぎゅっと握り締める。瞬きをひとつすると堪えていた涙が頬を伝って落ちた。何故だかオーエンは何も言わない。私達の間に沈黙が訪れて雪の降る音だけが聞こえてくる。彼がどんな顔をしているのかと思い恐る恐るオーエンの居る方を見ると、オーエンは私の事をじっと見ていた。私と目が合うとオーエンは小さく息を吐いてじろりと私を睨め上げた。

「…馬鹿みたい。お前に何ができるっていうの」

 そう吐き捨てると、オーエンは立ち上がり私の腕を乱暴に掴んだ。彼の手に引っ張られ半ば強制的に立ち上がると、オーエンは私の顔まじまじと見てからふんっと鼻で笑った。

「まぁ、良いよ。暇潰しにはなりそうだ。石にするのはもう少し後にしてあげる」

 それは、見逃してくれるという意味だろうか。目を見開くと私の考えている事が分かったのかオーエンは思い切り顔を顰めた。

「僕の話聞いてたの?お前を石にするのは決定してるんだよ。その日まで精々僕から逃げ回ると良いよ」

 オーエンは肩を竦めると、肩に少し積もった雪を鬱陶しそうに手で払い除けた。
 結局のところ今は殺さないでいてくれるという事か。ほっとして胸を撫で下ろす。
 何故オーエンの気が変わったのかは分からないが、昔の記憶でも一度蛇のようなものを使った魔法で私を殺そうとしたが、どういうわけか彼は私を殺さなかった。魔力が強くなってからがどうとか言っていたが、家畜を太らせてから食べた方が良いみたいなそんな風な意味合いだろうか。オーエンの思惑について思考を巡らせていると、細くて長い指が勢いよく私の顎を掴んだ。何事かと思うと、目の前にはオーエンの顔があって、ただでさえ近い距離だというのにどういうわけかオーエンはずいずいと自分の顔を私の顔へと近付ける。あまりの至近距離にぎゅっと目を瞑ると、頬に生暖かい感触がした。

「しょっぱい」

「……へ?」

 私が目を開けるとオーエンはもう一度確かめるかのように私の頬をべろりと舐めた。頭が真っ白になって思わずオーエンの体を突き飛ばそうとしたが、私が突き飛ばす前に彼は宙を舞い、どこから現れたのか分からない箒の上へと着地した。オーエンに舐められた頬を押さえながら唖然として箒の上に立つ彼を見ると、オーエンは私に約束を取り付けた時と同じように意地悪く笑った。

「それ、今度は甘くしておいて」

 そう言うとオーエンは煙のように姿を消した。

 彼の言うそれとは頬を伝って流れた涙の事だろうか。気まぐれで甘いのが好きな恐ろしい不思議な魔法使い。次会った時は殺されるかもしれない。けれど、殺される前に涙を甘くする魔法のひとつやふたつくらい、教えておいてはくれないだろうか。

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