ひだまりの在処

※ifシンク救済end


 太陽の光を浴び続けているような、そんな気分になるんだ。
 
 目を開けると、見知った天井と目が合った。ここにはもう、戻ってくることはないと思っていた。
 人の気配がして、寝転んだまま部屋を見渡すと、僕のベッドの隣に、椅子を三つほどくっ付けた即席ベッドのようなものの上でナマエが寝息を立てていた。
 ナマエを含む、あいつらとの最終決戦。とどめの一撃を喰らう直前、攻撃の手が緩んだかと思えばナマエが飛び出してきて、そして僕を無理矢理抱き締めた。戦場で何をやっているんだと腑が煮え繰り返ったが、必死に僕を説得するナマエは相変わらずあたたかくて、酷く凍っていた僕の心は溶かされるかのようだった。
 
 世界を恨んでいた。僕を無意味に産み落とし、そして捨てたこの世界を。
 ヴァンに利用され尽くしたら全てを終えるつもりだった。何の思い出も、後悔も持たず僕は死ぬんだと思っていた。なのに、心が揺らいだ。
 ずっと心に大きな穴が空いているようだった。けれど、ナマエといるとその穴は埋まっていくような気がした。
 抱き締められたぬくもりを、受け入れてしまった。人はあたたかさを求める生き物だ。仕方ない事なのだとこんな時でさえ言い訳を並べ立てる自分に呆れて笑えた。僕を絶対に離さないとでもいうかのように強く抱き締めるその体に腕を回したところで僕の意識は途絶えた。連日、ずっと寝ていなかったし、力を使い過ぎたんだろう。
 
 僕はどのくらいの時間眠っていたのだろうか。ゆっくり身を起こす。自室だと言うのに驚く程物が少ない。物にも、人にも執着などはしないつもりだった。眠るナマエをチラリと見る。なのに、何でこんなにも失いたくないんだろう。これが執着という事なのだろうか、分からない。レプリカであり、出来損ないである自分にこういった感情の名を教えてくれる人はナマエ以外居なかった。
 
「…アンタが教えてくれないと、分からないんだけど」
 
 寝息を立てるナマエに、そうぼやいてみる。
 参謀だと囃し立てられたところで、僕は人間としての大切な物が色々欠如している。それらは目的を遂行する上で特に必要のないものだと思っていた。けれど、今は、これからはそれが必要のないものなのかは分からない。だって、僕は生き残ってしまった。死んでしまいたいと願う程恨んだこの世界に。
 
 月の明かりが丁度ナマエの寝顔を照らしている。眉間に皺を寄せて眠るその顔は見た事がなかった。いつもナマエは腑抜けた幸せそうな顔で眠っていたのに。よく見ると頬はカサついていて、涙の跡が薄らとある。泣いていたのか。そう思うと何だかとても苛ついた。人間的物が欠如している僕でも、ナマエが何で泣いていたのか、そしてこんな険しい顔で眠っているのかを理解できない程馬鹿ではない。けれど、ずっと冷水の中を泳いでいたのに、突然あたたかい水に放り込まれた魚のように気持ち悪いような、何とも言えない気分だ。ヴァンや六神将の末路に同情するつもりは無いし、仲間意識などない。でも、僕だけが生き、意識が戻るまで付き添ってくれるような人の側でぬるま湯に浸かっていて良いのだろうかと、そう思ってしまう。
 ナマエは寝息を立てている。抜け出すなら今しかない。そっと掛け布団を捲り、音を立てる事なくベッドを下りると、自分でも驚く程体がふらついた。回復し切っていない体でどこまで行けるかは分からないが、窓を開けて外に出よう。自分でも分からないくらい、何故か僕は焦っていた。
 幸せになる事なんて許さないぞと、手にかけてきた人々が囁いているような気がした。助けてくれ、見逃してくれという人々の手を振り払ってきた。なのに、僕はナマエの手を取ってしまった。世界はフェアには作られていない。それは僕が身を持って体験している事だ。そしてそれを恨んでいたというのに、立場が違うとなると甘んじて受け入れ、こうして平気で息をしている。反吐が出そうだ。今までの自分の生き方を自分が一番否定しているじゃないか。ふらつく足に何とか力を入れて、一歩踏み出すと、僕の手に何かが触れた。
 
「……どこ行くの」
 
 いつの間にか起きていたナマエが、驚いたような顔をして僕の手を握っている。逃げ出そうとしていた事を瞬時に理解したのだろう。ナマエはぐっと眉間に皺を寄せると、僕の手を力いっぱい引いた。情けなくもナマエの方へと倒れ込むと、ナマエが僕の体をこれでもかというくらい力強く抱き締めた。
 
「痛いんだけど」
 
「…だって、力緩めたらどっか行っちゃうんでしょ」
 
 図星だった。肯定する気にも否定する気にもなれず黙っていると、僕を抱き締めていたナマエの力が緩む。僕から視線を逸らしたナマエは下を向いていてどういう顔をしているか分からない。ふと、ナマエの頬についていた涙の跡が目に入った。もしかして泣き出したのではと少し落ち着かない気でいたが、顔を上げたナマエは泣いてなんていなくて少し安心した。
 
「どこか行きたいところがあるの?」
 
「……別に」
 
 どこかに行きたいわけではない。ただこの現状から逃げ出してしまおうかと思っていただけだ。僕が嘘を吐いているわけではないと分かったのか、ナマエが困ったように眉を寄せる。心情を吐露する気にはなれず、黙り込んでいると、ナマエも何かを考えているようで、黙り込む。僕達の間に沈黙が流れる。夜は静かだ。昼ならば人の話し声、鳥の囀る音などでこの沈黙を掻き消すことができたというのに。
 
「シンクがここを離れてどこかで自由に暮らしたいって言うなら止めないよ」
 
 沈黙を破ったのはナマエの方で、しかし、その突拍子もない発言に目を見開く他ない。冗談でも言っているのかと鼻で笑ってやろうと思ったが、ナマエがあまりにも真剣に、真っ直ぐ僕を見つめるものだから冗談ではないという事を察した。
 
「…私はシンクが幸せで居てくれたらそれで良いの」
 
「黙ってよ」
 
 自分でも驚く程低い声が出た。何故僕が怒っているのか分からないといった様子でナマエが目を丸くする。それもそうだ。僕だって何故自分がこんなに腹を立てているのか分からないのだから。
 あの場で死ぬつもりだった。なのに生かされてしまった。結局のところそれを選んだのは僕の意志でもある。けれど、人の人生を変えておいて、どこにでも行けと。自由に生きろと。幸せに居てくれたらと。あまりにも身勝手じゃないか。無意識に握っていた拳が痛い。ナマエの腕を解いて、自分が寝ていたベッドへと腰を掛ける。このまま部屋を飛び出して行ってやろうかと思ったが、そうするとナマエは何か勘違いをして「幸せにね」と言って笑って見送り出しそうな気がしたのでそれは癪だからやめておいた。
 
「僕を生かしたのはアンタだろ」
 
「……うん」
 
「責任取ってよ」
 
 ナマエが驚いたかのように目を見開く。そして、暫くするとその目からはポロポロと涙が溢れ出した。口元を押さえながら首を縦に何度も振ると、ナマエは僕の腕をそっと掴んだ。まるで、どこにも行かないでと言っているような気がした。ここを離れても良い、自由に生きろと言ったのは意地を張っていただけなのかと、泣いているナマエを見て気が付いた。僕の腕を掴むナマエの手に触れると、その手は相変わらずあたたかかった。拭っても拭っても出てくる涙を何度も止めようとしては何かを言おうとしているナマエを見ていると、心臓が痛いような、擽ったいような妙な感じがする。堪らずナマエの腕を引いて自分の胸に顔を埋めさせると、ナマエがふっと笑ったような気がした。
 
「……鼻打ったんだけど」
 
「うるさい。泣き止まないのが悪いんだろ」
 
 泣き止まないと思っていたのに、今度は何故か嬉しそうに笑い出した。よく分からないなと思いながら、空いている方の手でナマエの頭をそっと撫でてみる。ナマエは昔から僕の機嫌が悪いと、こうして僕の頭を撫でていた。不快というわけでもなかったから大人しくしていたのをよく覚えている。何故今こうしてみようと思ったのかは分からない。けれど、泣き止ませようとしたのに、またしてもナマエは泣き出してしまった。何なんだよ、意味が分からない。
 
「ねぇ、シンク」
 
 ぐずぐずと泣きながらナマエが声を上擦らせながら僕の名前を呼ぶ。返事の代わりに頭を撫でる手を止めると、ナマエは涙に濡れた顔を隠そうともせずに、僕の顔を見上げた。
 
「私の為に生きて」
 
 泣いているくせに、やけにはっきりと告げられたその言葉に、頭を殴られたみたいな衝撃が走る。
 僕は今まで死ぬ為に生きていた。誰の為でもなく自分の為。いや、自分の為でもないのかもしれない。生きる意味がなかったから、無理に意味を探して、世界を恨んで、そうでもしないと生きていられなかったからだ。そんな僕に自分の為に生きろというナマエは、やはり、僕にとっての、やっと見つけたひだまりなのかもしれない。
 
「…言っただろ、責任取れって。そのつもりだよ」
 
 ナマエの表情が笑顔へと変わっていく。笑いながら泣いているなんて馬鹿みたい。でも、悪くない。
 
 とりあえず早く、泣き止んでよ。そしたら僕のこの気持ちの名前を、アンタに教えてほしいんだ。

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