アリアに誓って

 鳥の囀りで目が覚めた。どうやらベランダによく遊びにきている小鳥たちの囀りのようだ。ご飯を寄越せと言うかのように上下に飛び回る小鳥たちを見てふっと笑みを漏らすと、何かが私の体に巻き付いて、そのまま勢い良く引き寄せた。

「セイヤ?起きてたの?」

「……今起きた」

 寝起きの掠れたセイヤの声が耳元で響く。その声は昨夜を彷彿とさせる色っぽさで、かーっと熱くなる顔を何とか冷まそうと窓の外を可愛らしく飛び回る小鳥に意識を集中させる。

「見て、遊びに来てるよ」

「……ああ」

 どうやらまだ覚醒し切っていないらしいセイヤは腕の中に私をすっぽり収めたまま寝息を立て始めた。時計を見ると時刻は十時。心なしかお腹も空いているし、そろそろ起きて朝ご飯を食べたいところ。セイヤと違って私は比較的規則正しい生活を送っている方だけど、セイヤの家に来ると彼のペースに巻き込まれ、私まで不規則な生活になってしまいそうだ。
 お腹に絡み付いたセイヤの腕を引き剥がそうとするが、びくともしない。手を伸ばしてセイヤの頭をぐしゃぐしゃと撫でてみると、目を覚ましたのかセイヤが小さく唸った。

「セイヤ、起きて!朝ごはん食べよう」

「……良い。あんたとまだ寝ていたい」

 心臓が大きく鳴って、まるでハートが付いた矢でも突き立てられたかのようにセイヤへの愛しさが込み上げる。そりゃあ私だってセイヤとこのままダラダラと寝ていたい。でも明日は仕事だし、今日のうちに規則正しい生活に戻しておかないと辛い思いをするのは明日の私だ。心を鬼にしてセイヤの腕を引き剥がし、サッとベッドから降りると、差し込む太陽の光が眩しくて目が開けられないセイヤは目をぎゅっと瞑ったまま両手を宙にふよふよと浮かべている。うう…あの腕の中にもう一度飛び込みたいけど、ここは我慢…ぐっと奥歯を噛んでキッチンへと向かうと、私の名前を呼んでいるセイヤの声がした。ここで戻ってしまえば二度寝は不可避。心を鬼にしなきゃ。そう思いながら私はパンをトースターへと突っ込んだ。

「……昨日あんなにも食べて飲んだのに腹が減ってるのか?」

「わあ!びっくりした!」

 さっきまでベッドでむにゃむにゃと何かを言っていたセイヤが気が付けば背後に立っていた。驚いてポットに入れたお湯を溢しそうになる私を見て、セイヤは目を擦りながら微笑んだ。

「驚きすぎだ」

「だってさっきまでベッドに居たじゃない…」

「あんたと離れたくなかったから頑張って起きたんだ」

 寝癖を揺らしながらそう言うセイヤにまたしても心臓が大きく鳴った。セイヤの手が伸びてきて、私の腰に回される。なんだか今日のセイヤはいつもより甘えん坊な気がする。少し背伸びをして彼の頬にそっとキスをすると、セイヤはすかさず私の唇にキスをお返ししてくれた。

「コーヒーで良い?」

「……ああ」

 セイヤは私の首元に顔を埋めると、返事をしたきりなかなか顔を上げなかった。眠いのかと思ったが、なんだかそうではないような気がする。セイヤが身じろぎする度にぴょんぴょんと跳ねる彼の寝癖を何でもない振りをして撫でてみるが、やはりセイヤは顔を上げなかった。

「……セイヤ?」

 彼の名を口にした途端、トースターがチンと音を鳴らした。まるでそれと同調するかのようにセイヤはガバッと顔を上げると、冷蔵庫までスタスタと歩いて行き、その中からバターを手に取った。

「パンは俺に任せろ」

「バターを塗るくらいなら、セイヤでもできるもんね?」

「……今に見ていろ。あんたをあっと驚かせるようなバタートーストを作ってやる」

 あとはバターを塗るだけだというのにどう私の事を驚かせようというのか。ふふ、と思わず声を上げて笑うと、セイヤも少しだけ口の端を上げて笑顔を見せてくれた。なんだ、様子がおかしいと思ったのは私の勘違いみたい。

 ◇

 上手くバターを塗れたらしいセイヤの自信作であるバタートーストを頬張る。「おいしい」と言うと、セイヤは満足そうに頷いた。ソファに隣同士腰掛けて摂る朝食は、少し遅めとはいえ多幸感に満ち溢れている。トーストの最後の一欠片を口に放り込むと、もう既に食べ終わりソファの背もたれにもたれかかっていたセイヤの肩に頭を乗せてみる。セイヤは私の頭をそっと撫でると、その手を下へ下へと下ろし、私の腰を引き寄せた。しかし、引き寄せようにも私とセイヤの体は既にぴったりとくっついている。なのにぐいぐいと自分の方へと引き寄せようとするセイヤを不思議に思って首を傾げ彼を見ると、セイヤの瞳はいつもとは違い、熱を帯びながらも哀愁が滲んでいるような、そんな複雑な色をしていた。

「…………セイヤ?」

 やはり、様子がおかしい。
 顔を顰めて彼の頬に触れようと左手を伸ばすと、その手はいとも簡単にセイヤの手に絡め取られてしまった。セイヤは私の指先をまるで壊れ物を扱うかのようにそっと手に取ると、ちゅっと音を立ててキスをした。まるで王子様のようなその動作に顔が熱くなる。ちゅっちゅっとそのまま私の手にキスをし続けるセイヤの事を顔を赤くしながら見つめていると、セイヤの形の良い唇からチラリと白い歯が見えた。目を伏せ私の手にキスをし続けていたセイヤの瞳が動いて、私の目をジッと見る。え?と思った瞬間、セイヤは私の薬指をゆるく噛んだ。驚いて目を見開くと、私の指先を掴んでいたセイヤの手が指に絡み付いて、ぐっと私の方へと体重を掛ける。驚いて気が抜けていたという事もあり、あっという間にソファの上に押し倒された私はこの短時間に色んな事が起こりすぎてただただセイヤの下でポカンとする事しかできずにいた。

「……痛かったか?」

 自分の手と繋いだままの私の手の甲にキスをすると、少し不安そうにセイヤの瞳が揺らぐ。黙って首を横に振ると、ホッとした表情を浮かべたセイヤの顔が近付いてくる。所謂甘噛みのようなものだったから痛くなかったのは本当だ。けれど、いつもはこんな事をしないセイヤがどうしたのだろう。しかも、昨夜もしたのに…またするのだろうか。無論嫌なわけではないけれど、セイヤは毎日のように体を求めてくるようなタイプではない。至近距離にあるセイヤの瞳を見つめてみるが、目を伏せていて彼が何を考えているのか分かりそうにない。

「セイヤ?」

 小さく彼の名を呼んでみるが、セイヤは応えなかった。額にコツン、とセイヤの額が触れる。目を閉じ眉を寄せているセイヤは何だか辛そうで、私は思わず彼の体を両腕でぎゅーっと精一杯の力で抱き締めた。

「……苦しい」

 ふっと笑うと、セイヤは嬉しそうにそう言った。少し力を緩めてから彼の髪を梳かすかのように頭を撫でると、セイヤは私の頬に頬擦りをした。

「何があったか聞いても良い?」

「…………何も」

「嘘吐き」

 セイヤの頬を指で突いてみるが、セイヤはまるで顔を隠すかのように私の頬に自分の頬をピタリとくっつけて顔を上げようとしない。
 言いたくない事を無理に聞き出すのも良くないだろう。彼の頬を指で突くのを止め、手の平で撫でてやると、セイヤはおずおずと体を起こした。離れていくセイヤの体温が何だか寂しく感じて、思わず腕を伸ばすと、起こしてくれという意味だと勘違いしたセイヤが私の腕を引っ張った。甘いようで苦い、さっきまでの雰囲気とは打って変わって、ソファに座り直した私達の間に何だか気不味い沈黙が訪れる。
 様子がおかしい理由を話してくれようとしているのだろうが、セイヤは冷めたコーヒーの入ったマグカップを見つめるばかりでなかなか口を開かない。これはやはり私からもう一度切り出した方が良いのだろうか…そう思い口を開こうとしたが、セイヤがこちらをチラリと見た事で私は口を噤んだ。

「昨夜の事なんだが…」

「さっ、昨夜?」

 酔っ払ってまるでセイヤを煽るような行動を取り、いつもよりも深く濃厚な夜になった昨夜の事を思い出す。昨夜の事というと一体どれの事だろうかあれ?それともこれ?と、昼前のこの時間に思い出すには似つかわしくない出来事の数々を脳裏に思い浮かべていると、そんな私を見てセイヤが手を横に振った。

「もう少し前の話だ」

 同じように昨夜の情事を思い出したのか、セイヤの耳が薄っすらと赤い。もう少し前?確か私が足を挫いて、セイヤの部屋に運ばれて…その前というと確かライトアップを見て…
 ふと、そこで私はとあるひとつの事を思い出した。

「……もしかして」

 セイヤの顔をジッと見ると、セイヤは片手で顔を隠して深い溜め息を吐いた。

「寝る。適当に帰ってくれて構わない」

「いやいや、ちょっと待って!」

 セイヤは立ち上がると、スタスタと寝室へと歩いていく。その後を追いかけてなんとか彼の服の裾を掴むと、セイヤは首の後ろを掻いて、もう一度息を吐いた。耳だけでなく首の後ろまで真っ赤に染めているセイヤを後ろから勢いよく抱き締めると、いつもはゆっくりな彼の鼓動が忙しなく脈打っている。

「私が前に、ライトアップを一緒に見た相手の事、気になってるの?」

 黙っているという事は、図星という事だろう。昨日何気なしに言ったあの言葉をずっとセイヤは気にしていたのかな。気にならないの?と聞いたら「大切な人じゃないって事だろう」と言って、光のEvolでもう一度ライトアップを見せてくれた。あの時の出来事はあそこでもう終わっていたとばかり思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。

「…嘘だよ。誰とも見に行ってないよ。ネットで調べただけ」

「……本当か?」

「少し意地悪したくなっちゃって、ああ言っただけ」

 目に見えて嫉妬するセイヤが見てみたくて、咄嗟に彼の勘違いに乗っかってみたけれど、その分とてもロマンチックな、それこそ忘れられない光景を見せてくれた。きっと今の彼に当て嵌まる感情は嫉妬で間違いないだろう。見てみたいと思っていたけど、こんな風に、まるで捨てられた子犬のように肩を落としているセイヤを見ていると、あんなつまらない嘘なんて吐かなければ良かったと後悔した。
 ぎゅっとセイヤの体を抱き締めながらぼんやりそんな事を思っていると、セイヤの手がちょんちょんと私の腕に触れた。そっと腕を離すと、くるりとこちらを見たセイヤの顔はまだ少し赤くて、でも瞳に滲んでいた悲しげなものはもうすっかり無くなっていた。

「あんまり意地悪、しないでくれ」

 眉を下げ弱々しくそう言うと、セイヤは正面から私のことをそっと抱き締めた。さっきまで速かったセイヤの鼓動がいつものように落ち着いている。彼の背中に腕を回して体をくっつける。愛おしいという感情は今まさに抱いているこの感情の名なのだろう。

「ごめんね。……嫌だった?」

「……当たり前だ」

 顔を上げてセイヤを見ると、セイヤは穴があったら入りたいといった様子で眉を寄せて目を細めている。あまり見た事のないセイヤの顔に思わず笑みを溢すと、セイヤは私の唇に何度もキスをした。

「来年も、再来年もセイヤとしか見に行きたくないよ」

 降り注ぐキスの合間にそう告げると、一瞬目を見開いたセイヤの顔が徐々に綻んでいく。私の頭を撫でるセイヤの手が心地良い。セイヤは私を強く抱き締めると、耳元でそっと囁いた。

「ああ。俺も、ずっとあんたと一緒が良い」

 

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