08


「各自、気を引き締めるように」
 
 謎の秘境の前で、ディルックの凛とした声が響き渡る。星拾いの崖の穏やかな景色に似つかわしくない禍々しい秘境への入り口は、どう考えたって何者かが無理矢理作り出した物である事は明らかだ。
 ディルックの率いる騎兵隊の隊員がディルックを含め三名、私含むその他隊員が三名、総員六人が抜擢されたこの任務は、恐らくアビスの術師との対戦が不可避であると判断し、神の目を持つ者ばかりで形成されているようだ。その中に神の目を持たない私が何故参加しているのかは分からないが、ただの人数合わせといったところだろう。
 そんな事を考えていると、いつの間にやら不気味な音を立てて秘境の扉が開いた。ディルックがテキパキと指示を出し、二列になり進んで行く事となった。
 秘境の中は瓦礫が散乱しており、その至るところが燃えている。その影響で温度もとても高く、隊服を脱ぎたくなるくらい暑い。かと思えば進んで行くと、上から氷柱のようなものが落ちてきたり、雷元素の塊のようなものがどこかから発射されたりと、色んな元素が合わさってごちゃごちゃになっている秘境のようだった。
 ディルックのすぐ後ろを歩く事になった私は、周囲を警戒しつつもチラリと前を歩くディルックを見る。敵が出てこない事に気が抜けて雑談をし出す隊員がいるというのに、ディルックは気を抜く事は無く鋭い目付きで周囲を警戒している。流石だ。やっぱりこういう人だからこそ隊長に就任する事ができるんだろうな。ディルックに負けじと私も周囲を観察していると、何処かから轟々と妙な音が聞こえたような気がした。
 
「…何の音だ」
 
 ディルックが歩みを止めると、それに釣られて他の隊員達も立ち止まる。敵襲か?と剣を構え、一分ほどその場で立ち尽くしてみたが、何も起こらない。気のせいだったのかな。そう思ったのは私だけではなかったようで、ディルックの隣を歩いていた隊員が二、三歩先へと進み出す。すると、秘境内にディルックの大きな声が響き渡った。
 
「危ない!」
 
 ガシャンという音と共に、地面に亀裂が走る。何事かと思っているうちに、私の立っていたところにも亀裂が入り、崩壊する。
 
「ティア!」
 
 名を呼ばれ、差し出された目の前の手にしがみつくと、物凄い力で引き上げられる。体をぎゅっと抱き締められ、ドサッという音と共に崩壊していない方の地面に居る事に気が付いた。そして、私を抱き締めているのがディルックであるという事にも。
 
「わ、わ!」
 
「我慢してくれ」
 
 ディルックにのし掛かるような形で抱き締められており、羞恥心から咄嗟に離れそうになるが、今はそんな場合じゃない。チラリと横を見ると、すぐ側にはぽっかりと黒い大きな穴があり、その周りには氷の砕けた破片のようなものが散乱している。恐らく大きな氷柱が落ちてきて、地面に穴を開けたのだろう。そして、他の隊員たちはこの穴の中に落ちてしまった、という事だろうか。
 地響きが収まり、ディルックの力が緩む。そっと彼の腕の中から抜け出すと、私たちが来た道の前が崩落しており、後戻りができないような状況になっていた。
 
「……僕がもう少し早く気付いていれば」
 
 悔やむようにディルックが地面を殴る。穴の中を覗いてみたが、真っ暗で何も見えない。落ちていった隊員達はどうなったのだろうか。嫌な事ばかりが頭を過ぎる。下唇を噛み、地面をジッと見つめているディルックを見て泣きそうな気持ちになるが、ここで私まで折れてしまってはダメだ。すくっと立ち上がり、ディルックに向けて手を差し伸べる。
 
「…まだ分からないよ。とにかく進もう」
 
 私何かが言えた事ではないのは分かってる。だけど、後戻りができない今、足踏みをしているくらいならば進まなくては。ディルックに差し出した手が小刻みに震える。強気な事を言ってしまったが、落ちていった隊員達の顔が次から次へと蘇る。どうか、無事でいてほしい。ぼやける視界にディルックが映る。彼がどんな顔をしているのかは分からなかった。
 
「………そうだな、行こう」
 
 大きな手が私の手を握る。ディルックの手から伝わる温もりに、込み上げてきていた涙が引いていくのが分かった。ディルックは私の手を握ったままずんずんと先へ進んで行く。一回り以上大きな彼の背中は逞しくて、不安で仕方なかった気持ちが小さくなっていくようだった。
 
 先を進むと、辿り着いたのは大きな空間で、その真ん中にはディルックの二倍程大きな鏡のようなものが置かれていた。あの中から敵が出てくるのではと思い武器を構えると、同じ事を思ったのか、ディルックも大剣を取り出し構えていた。
 しかし、一向に敵は現れない。痺れを切らして少しずつディルックと共に鏡の前へと近付いていく。
 
「…何なんだこれは」
 
 恐る恐るディルックが鏡面へ触れると、鏡面がぐにゃりと歪み、鏡の前に立っている私達が映し出されていた筈なのに、鏡の中には小さな赤い髪をした男の子が青い髪をした男の子と遊んでいる光景が映し出されている。よく見ると、赤髪の男の子はディルックで、青髪の男の子はガイアのように見えなくもない。ディルックの方を見ると、ディルックは腕を組んで何かを考えているようだった。
 どういう事?幼い日の記憶が映し出される鏡って事?手を伸ばし鏡面へと触れる。すると、私が触れた箇所から鏡面がぐにゃりと歪む。さっきディルックが触れた時と同じ現象だ。父と母が生きていた頃の、幼い光景が映し出されるのだろうかだなんて、こんな状況なのに両親の影に追い縋ってしまう自分がいる。すると、そこに映し出されたのは思い描いている穏やかな光景ではなかった。
 
「……ひ、い、いやぁ!」
 
 咄嗟に鏡から手を離す。すると、鏡は何事もなかったかのように目の前に立つディルックと私を映した。しかし、さっきと違う光景といえば、私がしゃがみ込んでいるという事だろう。
 
「…大丈夫かい?」
 
 ディルックの心配を他所に、私の頭の中はさっき見た光景でいっぱいになっていた。
 首を吊り、宙にだらりと浮いた父の足。腹から止めどなく血を流す母。私が見た光景は、両親が自死した時の光景だった。何で、何であんなものが。おかしいじゃないか、ディルックが触れた時は穏やかな光景だったのに、何で私の時はあんな、二度と見たくもないような光景だったの。
 まるであの時に戻ったかのように心臓が痛くて、息が上手くできない。身体中がぶるぶると震えて自然と涙が溢れてくる。最悪だ。何であんなものをまた見せられなきゃいけないんだ。こんな事なら鏡に触れなければ良かった。自分の両腕をぎゅっと抱いて蹲ると、その上からあたたかいものに体を包み込まれる。ハッとして顔を上げると、私の体は後ろからディルックに抱き締められていた。
 
「……落ち着くんだ。今見たものは忘れよう」
 
 背中からじんわりと感じる温もりに上手くできていなかった呼吸が整っていく。「大丈夫だ。大丈夫…」と繰り返しディルックが呟く。抱き締められながら頭を撫でられて、徐々に正気を取り戻していく。
 
「……あり、がとう」
 
 自分でも驚く程小さく、掠れた声だった。ディルックに聞こえただろうかと不安になったが、私を抱き締める力が強くなったので、きっと、届いていただろう。
 辛い時、悲しい時、気が付けば側にディルックが居て、こうして触れてくれているような気がする。すると、いつも私は落ち着く事ができる。この秘境を生きて出る事ができたら、改めてお礼をしなくちゃ。
 私がもう大丈夫な事を察したのか、ディルックは私から体を離し、立ち上がる。そして私に向かって手を差し伸べてくれた。
 
「行こう」
 
 さっきとまるで逆の光景に少し笑えてくる。ディルックの手を取り頷くと、ディルックもまた少し笑った。
 強い力で手を繋いで、私達は先へと進んだ。
 
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