「風の噂で聞いたわ」
「…早く教えてよ」
「教えたところでどうなるの」
西風大聖堂の裏にある墓地前のベンチに座り、眠そうに目を擦るロサリアを睨むが、彼女の言う事はごもっともだった。エウルアが騎士団に入った事をロサリアは知っていた。何故教えてくれなかったのかと思ったが、確かに彼女の言う通りそれを聞いたところで私はただパニックを起こしてメソメソするだけだっただろう。しゅんとした気持ちになって下を向くと、ロサリアのヒールの先が私のくるぶしを小突いた。
「痛い!」
「仕方ないじゃない。それに向こうも話しかけないって言ってるんでしょ。なら気にしないでおきなさい」
私を拾い育ててくれた西風大聖堂の人達の中でも、ロサリアは私の事情を全て知っている所謂理解者だ。確かに、エウルアは関わる気はないと言っていた。人の事情を他言するような人にも思えない。ロサリアの言葉に小さく頷くと、椅子から立ち上がったロサリアは私の頭をくしゃりと撫でた。
「…もう少し肩の力を抜きなさい」
そう言うとロサリアは日陰を歩きながら去って行った。
罪人の血が流れているのに、どう肩の力を抜けっていうの?もし、ローレンス家の血縁者であるとバレたらどうなるの?そうなったら騎士団には居られない。みんなにも軽蔑されるのだろうか。ガイアと、そしてディルックにだって…私は、私達家族はエウルアのように強くない。父のように首を吊る?母のように腹を刺される?そんな事を考えていたら、地面にぽつりぽつりと染みが広がっている事に気が付いた。雨が降ってきたのかと思ったが、今日はロサリアが嫌がるくらいの晴天だ。
「……無理だよ」
私の小さな小さな呟きは風の音に掻き消された。
◇
「秘境?」
「突然現れてな。どうせアビス連中の仕業だろう」
面倒臭そうに溜息を吐くと、ガイアは机の上に書類を放り投げた。以前は至る所でぶらぶらしているガイアを見掛けていたが、庶務長に就任してからというもの忙しいのか、あまりガイアを見掛ける機会は少なくなっていた。
星拾いの崖に突然現れた秘境の調査が次の任務のようだ。ディルックが率いる騎兵隊をメインに、私含めて数人が同行する事となっている。
ガイアが放り投げた書類に目を通していると、纏わり付くような視線を感じた。その視線の主であるガイアをちらりと見ると、ガイアはいつもより控えめな笑顔を浮かべながら私の顔をまじまじと見ている。
「今日は元気がないんだな」
さすが瞬く間に庶務長に就任した男、鋭い。私なんかの変化にも気付くなんて、やはりガイアは周りをよく見ている。図星を突かれて何と誤魔化そうかと色んな言い訳を考えるが、なかなか思い付かない。沈黙が流れるが、ガイアが書類をパラパラと捲る音が気まずい空気を誤魔化してくれているようだった。
「まあ、分かるぜ?人には言えない事の一つや二つくらいあるよな」
「……ガイアにもあるの?」
「あるさ、例えばこれだ」
ガイアの人差し指が眼帯に覆われた右目を指す。確かに、なぜガイアは眼帯をしているのか気になっていたが、何となく触れられずにいた。どうして眼帯をしているの?という意味を込めて首を傾げると、ガイアは得意気に腕を組んで話し出した。
「俺の祖父が海賊でな。この眼帯は祖父から遺伝したものなんだ」
「………へぇ」
嘘だ。こんな嘘に騙される程子供でもない。私が頬を膨らませると、ガイアは、俺は話したぞさぁ次はお前の番だというかのように机の上に腰掛け興味津々といった様子で私を見つめた。
「…昨日失恋しちゃって。立ち直れてないの」
勿論、真っ赤な嘘だ。どうだ!と引き攣った笑顔をガイアに向けると、ガイアはぽかんとした顔をしてからははは!と大きな声を上げて笑った。
「なんだ?俺の知らない内にディルックに振られたのか?」
突然出てきたディルックという名に飛び跳ねそうになる。
「な、なんでそこでディルックが出てくるの!?」
「……違わないだろ?」
「なにが!」
ガイアと二人きりで良かった。こんな会話を誰かに聞かれていたらどうなっていたか。ガイアの肩を軽く叩くと、ガイアはまたしても嬉しそうに大きな声を出して笑った。すると、コンコンと扉をノックする音がし、ガイアが慌てて机から降りて「どうぞ」とよそ行きのような声を出した。
「…失礼する」
遠慮がちに扉を開けたのはディルックで、さっきの会話を聞かれてはいなかっただろうかと全身から汗が噴き出す。「なんだディルックか」とガイアはもう一度行儀悪く机に持たれ掛かると、私の方を見てニヤリと笑った。キッとガイアの事を睨み付けるが、それよりも何やらディルックの元気がないように思える。
「…ディルック、大丈夫?」
思わず口を突いて出た言葉にしまったと思うがもう遅い。ディルックが目を瞬かせながら私を見る。私だって元気がないと指摘されて言い訳に困ったように、ディルックにだって事情があったかもしれないのに。
「ティア、ありがとう。最近任務続きで疲れていてね」
よく見るとディルックの目の下には彼の白い肌に似つかわしくない隈が刻まれていた。できるだけ心配をかけさせないかのようにふわりと笑うディルックに、心臓が少し煩くなった。
ディルックが騎兵隊長に就任し、街でガイアを見掛けなくなったと同様にディルックを見掛ける事も無くなった。以前から話題にはなっていたが、騎兵隊長になってからというもの、騎士団内では男女問わずディルックの話題で持ち切りになっている。最年少騎兵隊隊長、アカツキワイナリーの御曹司、眉目秀麗。一団員にさえ人気があるディルックは勿論先輩、上司にも気に入られ、一目置かれている。それに伴い仕事量も尋常ではないだろう。
そんな色んな人達から慕われる彼が、少し顔見知りである私に笑顔を向けてくれるのは、まるで夢のような事で、落ち込んでいた気持ちが少しずつ浮上していくような気がした。
「…あんまり無理しないでね」
「ああ、ありがとう」
ディルックの手が伸びてきて、私の頭にポンと触れる。前から思っていたが、ディルックは結構スキンシップが多い。こんな事をしたらそりゃ色んな女の子から人気が出るのも頷ける。できるだけ平静を装おうとゆっくり息を吐くと、それを見ていたガイアが頬杖をつきながらニヤニヤと笑っている。なんだか嫌な予感がする…
「なぁ、ディルック。ティアは先日失恋したみたいだぜ?お前も慰めてやってくれよ」
「ちょ!ガイア!」
ニヤリとガイアが笑う。失恋云々は嘘だって絶対気付いてるくせに!ハッとしてディルックの顔を見ると、ディルックは何ともいえない複雑そうな表情を浮かべていた。それもそうだろう。失恋した女を慰めてやれなんて言われて、ディルックからしたらどうすれば良いんだという話だ。
「違う、違うの!気にしないで!」
失恋なんてしていない、嘘だ。と言ったところでじゃあなぜ元気が無かったのかと聞かれればそれは本当に困るし、言えるわけがない。適当な嘘を吐いてもいいが、嘘を重ねれば重ねるほどディルックはともかく、ガイアの目は誤魔化せそうにない。気にしないで!を連呼しながら摺り足で扉の方へと移動する。
「何でもないの!それじゃあ!」
ぽかんとした様子のディルックに手を振り、すかさずガイアを睨み付ける。ガイアは悪戯っ子のようにウインクをしていたような気がする。…眼帯をしているから分からないけれど、何となく。
扉を閉めると居た堪れなくなって私は走り出した。最悪!失恋したなんて適当な嘘吐くんじゃなかった!ディルックに勘違いされたらどうしよう!と心の中で叫びながら私は騎士団本部の廊下を駆け抜けた。
何でディルックにそう思われたくないのかなんて事に気付きもせずに。