06


 騎士団に入り、数ヶ月が経過した。気が付けばディルックは最年少騎兵隊隊長へと就任し、ガイアは庶務長へと就任した。戦闘に長けたディルックと戦術や裏方業務に長けたガイアがそれぞれ役職に就くのは何の違和感もなく、徐々に色んな仕事を任せられるようになった私も頑張らなくてはと背筋が伸びる思いだ。
 それに、ひとつ気になる事がある。以前冒険者協会の人達が噂していたとある事についてだ。
 
 ?ローレンス家の奴が騎士団に入団したらしいぞ?
 
 ローレンス家。所謂旧貴族の末裔で、モンドの民達からは忌み嫌われている。そんなローレンス家の者がその名を隠す事なくモンドを守る騎士団に入団したというのは本当なのだろうか。
 火のないところに煙は立たないという。…もしかして、モンドの人達に気付かれているのだろうか。冷水の中に放り込まれたかのように、全身がぶるりと震える。だめだ。この事を考えるのは止そう。頭をぶんぶんと横に振り気持ちを切り替える。今日はドラゴンスパインで任務があるんだ。気を引き締めないと。
 
 ◇
 
 ドラゴンスパインの拠点にいる調査小隊隊長に、ある小包を渡すように。そう伝えられたのみで渡された小包に何が入っているのかなど詳細は聞いていない。調査小隊隊長はドラゴンスパインに拠点を設けてそこでの活動を主にしていると聞く。こんな険しい雪山を活動拠点にしているなんて、少し変わった人なのだろう。怖い人だったら嫌だな…と考えながらサクサクと雪を踏みながら歩いていると、明らかに人が手を加えたであろう篝火を見つけた。拠点というのはここの事だろうか。拠点らしい場所に足を踏み入れると、そこには木製の棚がいくつか置いてあり、何やら怪しげな薬品などが数多く並べられている。よく見ると拠点の中心には錬金術台があり、そういえば調査小隊隊長は錬金術の才能に秀でていると聞いた事がある。
 
「ボクに荷物を届けに来てくれたって人はキミの事かな?」
 
 突然掛けられた声に体が大きく跳ねる。慌てて振り返ると、そこには淡い髪色をした、エメラルドグリーンの瞳の男が立っていた。大きな目を瞬かせている男は何をそんなに驚いているんだ?とでも言いたげに私をじっと見つめている。本当に驚いた。だって、ここは雪の降り続けるドラゴンスパイン。人が近付いてきたら雪を踏む音が必ず聞こえるというのに、この人は音だけではなく気配すらしなかった。
 
「あ、はい。そうです」
 
 私が口を開くまで何も言う気はなさそうだったので、問われた質問を思い出し返事をすると、男は無表情のままこくりと頷き、拠点の奥へと歩いていった。
 程なくして男は戻ってきた。すると、その手にはマグカップが握られており、それを私へずいと差し出した。
 
「鼻の頭が赤いね。寒かっただろう?これを飲むと良い」
 
 ふわりと漂う香りからして、これはココアだろうか。彼にお礼を言い、ふーふーと少し冷ましてからマグカップに口をつける。美味しい…体が温まる。自分では気が付かなかったけれど、思ってた以上に体が冷えていたようだ。
 
「…そういえば名乗っていなかったね。ボクはアルベド。よろしく」
 
 気が付けば椅子に腰掛けて本を読んでいた男は、簡素に自己紹介をしてくれた。
 
「ティアです。よろしくお願いします」
 
 マグカップを近くの机に置き、頭を下げると、アルベドさんは「よろしく」と言い視線を本へと戻した。あ、そういえば肝心な事を忘れていた。小包を取り出しアルベドさんの前へと持っていく。ココアを飲ませてもらってホッと一息している場合ではなかった。恐る恐る小包をアルベドさんへと差し出すと、アルベドさんは小包を受け取り、私の事を不思議そうに見た。
 
「なぜ怯えているんだい?」
 
「……任務内容である小包を先に渡す事なく、ココアをご馳走様していただいて、その、申し訳ないなと…」
 
 アルベドさんは大きな瞳を数度瞬かせると、読んでいた本を閉じて立ち上がった。え!?本当に怒らせてしまった?どうするべきかと視線を泳がせながら頭を回転させていると、アルベドさんは机へともたれかかり、「ふむ」と言って腕を組んだ。
 
「ボクがそんな事で怒るとでも?」
 
「…す、すみません」
 
「冗談だよ。キミは真面目なんだね」
 
 冗談…にしてはあまりにも真顔で落ち着いた様子で言うものだから本当に怒らせてしまったのかと思った。アルベドさんは表情は変わらず冷たいように見えるけれど、冗談を言ってみたりと意外とチャーミングな一面も持っているみたいだ。ホッとして胸を撫で下ろすと、気が付けばアルベドさんの姿がない。慌てて辺りを見回すと、アルベドさんはどこからか板のようなものを二枚取り出して、その一枚を私へと差し出した。
 
「…これは?」
 
「息抜きに絵でも描かないかい?はい、これは筆と絵の具」
 
「…ありがとうございます」
 
 突然渡された筆を握り、キャンバスを見つめるが、あまりにも急な展開に頭が混乱する。絵を描く?何を?というかアルベドさんは絵を描くのが好きなのか。ちらりと横目でアルベドさんを見ると、アルベドさんは拠点の横に聳え立つ雪山をぼんやりと見ていた。
 
「…題材は何にしよう」
 
「…そうですね」
 
「あ、あのイタチにしよう」
 
 雪山の麓をウロウロしている白いイタチを見つけると、アルベドさんはもくもくとキャンバスに絵を描き始める。負けじと私も真っ白なキャンバスに筆を乗せるが、絵なんて描くのは久しぶりで、どうにも上手く描けない。
 というより、小包を届けて帰るだけのつもりが、なぜアルベドさんと肩を並べて絵を描いているんだろう。ココアを淹れてくれたり、冗談を言ってくれたり、アルベドさんなりに私に気を遣ってくれているんだろうか。それならばとてもありがたい事だ。気を取り直して筆を進めると、まだ私は半分しか描いていないというのに、アルベドさんは「できた」と言い満足気にキャンバスを見つめている。いや、早っ!慌てて筆を走らせると、なんとも不恰好なイタチっぽい動物が出来上がった。
 
「上手じゃないか」
 
「…本当に思ってます?」
 
「お世辞は苦手なんだ。本当だよ」
 
 褒めてもらいとても嬉しいが、アルベドさんの描いたイタチはまるで絵の中から飛び出してきそうなくらい精巧でお上手だ。それに比べたら私のイタチなんてデフォルメのような仕上がりになっている。
 アルベドさんは私の膝の上に乗っていたキャンバスを持ち上げると、それを棚の側面へと立て掛けた。
 
「えっ、なぜそんなところへ…」
 
「飾っておこうと思って」
 
「は、恥ずかしい!やめてください!」
 
「ほら、ボクの絵をあげるから。交換しよう」
 
「そういう問題じゃ…」
 
 アルベドさんの宝石のような瞳に真っ直ぐ見つめられると何も言えなくなる。アルベドさんの描いた絵を受け取ると、アルベドさんはうんうんとそれで良いと言わんばかりに頷いた。
 
「また何かあったら頼むよ。帰り、気を付けて」
 
 手を上げるアルベドさんと、拠点にちょこんと居座る私の描いたイタチの絵に手を振ると、私はドラゴンスパインを下山した。
 
◇ 
 
 やっと麓が見えてきた頃、気が付けば陽も落ちかけていて、山を下る足が無意識に早くなってしまう。麓の湖はところどころ水面が凍っていて、夕日がそれに反射し、とても幻想的な景色となっている。
 
「…綺麗」
 
 そんな光景をぼんやりと眺めていると、凍っていない箇所の水面から何かがザバっと音を立てて現れた。
 敵かと思い思わず剣を構えるが、そこから現れた人物見た瞬間、手からするりと剣が滑り落ちた。
 
「………エウルア」
 
 自然と口から転がり出た名前にまるで走馬灯のように様々な記憶がフラッシュバックする。
 ぶら下がる父、血塗れの母。何が起こったのか分からないまま行われた葬儀。そしてその時に言葉を交わした澄んだ氷のような瞳をした従姉妹。
 
「…ティア?」
 
 何故か湖の中から姿を現した彼女は逆光で見えにくいのか、立ち尽くす私を見て私の名を口にした。私の名前、覚えていたんだ。葬儀の後からはすっかり疎遠になり、何をしているのかさえ分からなかったけれど、彼女が身につけている制服を見てハッとした。
 
「…騎士団の制服」
 
 ?ローレンス家の奴が騎士団に入団したらしいぞ?
 
 あの噂は、エウルアの事だったんだ。ホッとした一方で、彼女と同じ組織に属しているという事はいつか私の素性もバレてしまうかもしれない。そう考えると指先がまるで氷のように冷たくなった。
 エウルアは湖から上がると、一歩ずつ私の方へと近付いてくる。
 真っ直ぐな瞳、騎士団に相応しい覚悟を決めたかのような顔付き。そして、彼女の肩口に光る物を見てそれは確信へと変わった。
 
 ―――神の目。
 
 薄氷のような透き通る青色をしたそれを携えた彼女が私の目の前に立つ。
 色んな感情がぐちゃぐちゃになる。
 ローレンス家の名を捨てず騎士団に入ったエウルア。神の目に選ばれたエウルア。それに比べて私はどうだろうか。名を捨てたというのに出自に囚われて怯えながら生活をして、神の目を所持する事さえできやしない。彼女を前にすると全てが中途半端で、自分が嫌になる。
 私を無言で見つめるエウルアに何も言えずに視線を落とすと、エウルアが小さく溜め息を吐いたのが聞こえた。
 
「…君と従姉妹である事は誰にも言わないわ。安心して。それに、必要以上に話しかけたりしないから」
 
 「じゃあ」と言うとエウルアはびしょ濡れのまま何処かへと歩いて行ってしまった。
 彼女から掛けられた言葉を反芻する。要約すると私の事を他言する気はないし関わる気もないという事だ。少しだけちくりと胸が痛んだ。けれど、その反面安心している自分がいた。
 自分の狡さが浮き彫りになるようで吐き気がする。エウルアのように生きられたら良かったのだろうか。けれど、あんな強さを持ち合わせてはいない。私は、弱い。
 気が付けば陽は落ちて、辺りは真っ暗になっていた。こんな顔を、誰かに見られなくて本当に良かった。
 
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