04


 騎士団に入団して数日が経った。
 新人に与えられる任務といえば難しいものでヒルチャールの討伐、簡単なもので人探し、猫探し、といったところだ。前者のような任務は先輩と同行するのが当たり前で、まだ一人で任せて貰えはしない。しかし、同時期に入団したものでも、ヒルチャールの討伐に一人で向かう事が許される者たちがいた。
 それは、神の目を持つ者達だ。神に選ばれ、神の目の所有者になると、与えられた元素を自由に操る事ができる。それを普段の攻撃スタイルに織り交ぜようものなら圧倒的な力となる。新団員の中にも神の目を持つ者は何人かおり、ディルックもどうやら神の目を所持しているらしい。
 
「…いいなぁ」
 
 風車の上から、討伐へと向かうディルックの後ろ姿が見える。猫探しだって大切な仕事だけれど、騎士団に入ったからにはもっと戦いを経験して、この国の人達の役に立ちたい。こんな高いところにいるというのに、人々の笑い声が聞こえてくる。本当に、良い国だ。笑顔に溢れ、自由に満ちている。私も、出自に囚われる事なくあの人達のように晴れ晴れとした顔で往来を歩けるようになれるのだろうか。心に落ちてきた影を振り払うかのように首を振ると、ふと、屋根の上に探している猫が歩いているのが見えた。
 
「い、居た!」
 
 風の翼を広げて猫の元へと降り立つと、驚いた猫が逃げようとするが、すかさず脇へと手を差し込み猫を抱き上げる。にゃーにゃー!と鳴き喚きながら暴れる猫の背をよしよしと撫でるが、シュッと何かが頬を掠める。あ、引っ掻かれたな…でもまあ仕方ない。引き続き猫の背を撫で続けると、害を成す人間ではないと理解してくれたのか、暫くするとゴロゴロと喉を鳴らし始めた。
 
 ◇
 
 「本当にありがとう!」と猫の飼い主である女性が私の手を握りぶんぶんと上下に振る。猫はというと飼い主の女性の肩に乗り、こっちを見てにゃあと鳴いた。「また何かあったらよろしく!」と言ってくれたが、この猫を探しに行ったのは入団して数日しか経っていないというのにもう二回目だ。お茶目な猫だなと、飼い主と猫に手を振ってその場を去ると、冒険者協会の男性二人がこそこそと何かを話しているのが聞こえてきた。
 
「ローレンス家の奴が騎士団に入団したらしいぞ」
 
 ――ローレンス家
 
 その言葉を聞いた途端、まるで頭を殴られたかのような衝撃を受けた。呼吸が浅くなり、汗が噴き出す。
 なんで、なんでそれをこの人達が。
 血の気が引いて、冷たくなった手足に力を入れて何とかその場を走り去る。話をしていた男達が不思議そうにこちらを見ていたが、そんな事に構っていられる余裕はなかった。
 ?ローレンス家?忌まわしき、憎らしき名。とっくの昔に捨てた名。それなのに、何であんな噂が広まってるの?
 人気のない路地裏に辿り着くと、その場にしゃがみ込む。
 違う、違う。落ち着いて。私はティア・フィンツ。ローレンス家とはもう関係がない。でも、ならあの人達が話していたのは誰のこと?朧げな記憶の中に氷のような青い瞳の彼女が浮かび上がる。確か、彼女の名は…
 
「大丈夫か?」
 
 聞こえた声に慌てて顔を上げると、そこには心配そうに顔を歪めるディルックが居た。ディルックは私の隣にしゃがみ込むと、私の背を摩った。
 
「すごい汗だ。具合が悪いのか?」
 
「…ディ、ディルック…あれ、ヒルチャールの討伐は?」
 
「終わったよ。終わって本部に帰ろうと思ったら君がここへ走って行くのが見えたんだ」
 
 後を追いかけてきてくれたのか。ディルックの優しさがじわりと胸に染みて、目頭が熱くなる。そんな私に気付いたのか、ディルックはぎょっとした顔をすると、私の背を摩る手を何故だか止めた。ディルックの手が所在無さげに宙を漂う。すると、その手は遠慮がちに私の頭をそっと撫でた。
 
「……何か嫌な事があったのだろう。落ち着くまで側にいるから、その…」
 
 私の頭を撫でる手が心地良い。半ばパニック状態になり小刻みに震えていた手は気付けば元通りになっていた。
 眉を下げ心配そうに私を見つめるディルックは何か言いにくそうに口をもごもごとさせている。
 
「…泣かないでくれ」
 
 蚊の鳴くような声で伝えられた言葉に目を見開く。
 忌み嫌われる出自の私と違って、きっと彼は色んな人から慕われている。なのに、出会って数日の女を気にかけ、任務帰りで疲れているというのにこうして目線を合わせて慰めてくれる。なんて、なんて優しいのだろう。泣かないでくれとディルックは言ったけれど、ディルックの優しさにまたしても鼻の奥がツンとする。また潤み出した私の目を見てディルックが露骨に慌て出す。その慌て方が普段スマートなディルックと違いすぎていて、なんだか笑えてくる。
 
「ふふ、ふふふ」
 
「…なっ!…笑って、いるのか?」
 
 ディルックは意味が分からないといった様子で困惑していたが、私の頬を見て眉間に皺を寄せた。
 
「…怪我をしている」
 
 ディルックの指がそっと私の頬に触れる。ああ、そういえば猫に引っ掻かれたんだった。まるで自分が引っ掻かれたかのように痛そうに顔を顰めるディルックは、やはり、本当に優しい。それにしても、頬に触れられているうえに、赤くて透き通った瞳に真っ直ぐ見つめられると、どうしたって照れてしまう。徐々に熱くなる顔をどうにか隠したくてそっと顔を背けると、赤くなった私の顔に気付いたのか、ディルックが勢いよく立ち上がった。
 
「すまない!」
 
 路地裏に響き渡るくらいはっきりとした声でそう言うと、ディルックは私から二、三歩離れて、自分の顔を片手で覆った。まるで誤ってお尻でも触ってしまったかのような反応をするものだから、私もつられて立ち上がると、頬の傷を指差してできるだけ自然にディルックに微笑み掛ける。
 
「猫探しをしてて、そしたらその猫に引っ掻かれちゃって…」
 
 あはは、と大袈裟に笑って見せると、ディルックはまじまじと私の頬の傷を見て、目を細めた。
 
「…悪戯な猫だね」
 
 冷え切っていた体は、気付いたらとっくに元の温度を取り戻していた。
 
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