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 まさか狼の大群と、怪我をした男の子に遭遇するなんて思わなかった。けれどよく考えればこの辺りは奔狼領の近くだから狼と遭遇する事くらい念頭に入れておかなければいけなかった。ワイナリーまでの道を小走りで急ぐ。もう空には星がくっきりと顔を出している。こんな遅くにお見舞いとはいえ、お家に訪問するなんて迷惑ではないだろうか。ガイアが一報入れてくれると言ってはいたけど不安だ。引き返した方が…と考え出したところで、気が付けば目の前には大きな木製の看板が立っていた。
 
「…ここだ」
 
 一面に広がる葡萄畑の真ん中に、赤い屋根のお屋敷が建っている。噂には聞いていたけど、すごく大きなお屋敷だ。
 モンドの酒造業の殆どを担っているアカツキワイナリー。そしてその御曹司であるディルック。同じくモンドを守る騎士とはいえこんな大きなお屋敷と葡萄畑を見ると、ディルックが違う世界に生きる人のように思えてしまう。少し後ろめたい気持ちになってぼんやり葡萄畑を眺めていると、屋敷の扉が開いて、その中から若いメイドさんが姿を現した。掃き掃除をしようとしていたのか、箒を片手に持ったメイドさんがこちらを見る。私の姿を見るとメイドさんは箒を立て掛けて私の方へと近付いてきた。
 
「あなたがティアさんですか?」
 
「…あっ、はい。そうです!夜分遅くにすみません」
 
 慌てて頭を下げると、メイドさんは「とんでもございません」と言って笑顔を見せてくれた。メイドさんに扉を開けてもらい、屋敷の中へと招いてもらうと、外装も美しかったが、内装も煌びやかで見たことがないような艶々の家具が沢山並んでいる。そしてその部屋の中心には大きな机が置かれており、そこで何やら書類仕事をしていたであろう赤髪の男性が私を見ると笑顔を浮かべ、立ち上がった。
 
「ガイアから聞いているよ。ディルックのお見舞いに来てくれたんだって?ありがとう」
 
 右手を差し出し、にこりと笑うその人の顔はとてもディルックに似ていて、この人がディルックのお父さんなのだと直ぐに理解する事ができた。差し出された手を両手で取り、頭を下げる。
 
「ティア・#name2です。夜分遅くにすみません」
 
「構わないよ、気にしないで。私はクリプス・ラグヴィンド。ディルックの父親だ。…話には聞いていたがまさかディルックにこんな可愛らしいガールフレンドがいるなんてね」
 
 ディルックの数十年後とでも言える程よく似ているお父さんに、可愛いだなんて言われてしまえばお世辞と分かってはいても顔が熱くなる。恥ずかしくなって思わず下を向くと、「旦那様!ディルック坊ちゃんに叱られてしまいますよ」とメイドさんが腰に手を当ててお父さんを叱りつけた。お父さんは楽しそうに笑うと、階段の方を指差し、「案内して差し上げなさい」とメイドさんに言う。
 
「坊ちゃんのお部屋はこちらです」
 
 メイドさんは私を手招き、階段を登って行く。
 ここに来るまでに狼の群れと少年に会ったり、ディルックのお父さんやメイドさんと初めて会ったりして自分を誤魔化せていたけれど…ディルックは大丈夫なのだろうか。お父さんやメイドさんの反応を見る限り、そこまで状態が酷いようには思えないけれど、私の前だから気丈に振る舞ってくれているだけという可能性もある。一歩、二歩とディルックの部屋へと近付いていく。メイドさんがとある扉の前で立ち止まると、扉をコンコンとノックした。すると中から聞き覚えのある声がした。メイドさんは私を見て笑みを浮かべながら頷くと、「どうぞ」と言い扉を開け、そして去って行った。
 
「……入ります」
 
 そっと扉を開け中を覗くと、ワインレッドの絨毯の真ん中に大きな一人掛けの椅子があり、そこに座っていたディルックが私を見ると笑顔を浮かべ立ち上がった。
 
「ティア!わざわざお見舞いなんて良かったのに…でも嬉しいよ。ありがとう」
 
 一見、ディルックの様子はいつもと変わらないように見える。
 ん?おかしいな?すごく、元気そうだけど…いや、元気で居てくれて勿論嬉しいし、安心はしたけれど、ならあの時のガイアの反応は一体?呆然とする私を見てディルックは首を傾げる。もしかして、私はガイアに嵌められたのでは…思わず頭を抱えると、心配そうにディルックが私の肩に手を置いた。
 
「どうかしたのかい?」
 
 ◇
 
 話を聞くと、ディルックは数日前から風邪気味で、今日と明日は休みで良いと言われ、実家であるアカツキワイナリーで療養しているらしい。
 
「完全に、君はガイアに嵌められたみたいだね」
 
 ソファに腰掛けた私の向かいに座るディルックは、苦笑いを浮かべながら肩を竦めた。頭の中に浮かぶガイアが舌を出して笑っているような気がした。今度会ったらうんと懲らしめてやらなきゃ。
 
「…ごめんね。風邪で療養中の時に押し掛けちゃって…」
 
「構わないよ。君が来てくれると聞いて嬉しくて、柄にも無く新しいシャツを下ろしたくらいだよ」
 
 そう言って笑うディルックに心臓がきゅんと音を立てる。何だそれ、嬉しすぎる。思わず赤くなった顔を慌てて隠そうとしたけれど、ディルックはそんな私を見て目尻を細めている。もう、いいや。ディルックには色んなところを見られている。情けないところや、泣き顔を散々見られてきたわけだし…
 ふと、この前の出来事が蘇る。馬鹿な事をして、ディルックに止められ、そして彼の前で泣きながら色んな事を打ち明けた。そして、受け入れてもらえた。
 ソファに座り直して、ディルックの顔を真っ直ぐ見ると、そんな私に何かを察したのか、ディルックも背筋を伸ばし、私を見た。
 
「…あの、この前は迷惑をかけてごめんなさい。あと…」
 
 続けて伝えようと思っていたのに、ディルックがあまりにも優しい笑顔を浮かべてくれているから、目頭が熱くなる。涙を堪えなきゃと両手をぎゅっと握り、もう一度真っ直ぐディルックを見る。
 
「私を、受け入れてくれてありがとう」
 
 少し、声が震えてしまったけれど、ディルックは笑顔を浮かべたままゆっくり頷いてくれた。すると、ディルックは立ち上がり私の横へと腰掛ける。ディルックと接近するのはこれが初めてではない。それでも、慣れる事はなく相変わらずドキドキしてしまう。ディルックは私の顔を覗き込むと、愛おしいものを見るようなその目を細めた。
 
「泣かないで」
 
「………今日は泣いてないよ」
 
 私がそう言うとディルックはくすりと笑った。ディルックの前では泣いてばかりだから、今日くらい笑顔でいないと。笑顔浮かべてディルックに向けようと思ったけれど、ディルックの視線が擽ったくて、なかなかディルックの顔を直視する事ができない。相変わらず速る心臓に落ち着けと言い聞かせていると、ディルックの足がトンと私の足へとぶつかった。ちらりとディルックの顔を見ると、ディルックは私の事をじっと見ていた。慌てて下を向くと、ディルックの指が私の髪の毛を一束手に取り、それにそっと口付けた。その行動に驚いて目を見開くと、ディルックは少しだけ恥ずかしそうに頬を染めていた。
 
「……どんなティアも魅力的だけれど、笑っているティアが、僕は一番好きだ」
 
 好き、という単語に頭が真っ白になる。いやいや、これはそういう意味なんかじゃ…と思ってはみても、さっきよりも顔を赤くしたディルックに勘違いしてしまいそうになる。はらりと、私の髪を手から離すと、ディルックの顔が徐々に近付いてくる。え、え!?と内心焦ってはいるが、慣れない出来事に体が動かない。どちらにせよ逃げるなんて事はしないけれど、こういう時ってどうしたら良いんだろう。ヤケになって目をぎゅっと瞑ったと同時に、コンコンと部屋の扉をノックする音がして、私達は慌ててソファから立ち上がった。
 
「お茶をお持ちしました」
 
 扉の向こうから聞こえるメイドさんの声に、我に返った私達は顔を合わせる事も出来ず、ただただお互い顔を赤く染めていた。
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