エウルアとの任務から数日が経った。今日は騎士団の全体ミーティングだから、今回も彼女と顔を合わせる機会があるかもしれない。
この前の任務中の会話を思い出すと罪悪感のようなものに蝕まれる。いつまでも逃げていないで、彼女としっかり話をするべきなのかもしれない。けれど、未だ考えは纏まらない。不甲斐ない自分に自然と溜息が溢れる。とぼとぼと騎士団本部までの道を歩いていると、背中をつん、と突かれた。
「よ!朝から辛気臭い顔をしてるんだな」
「ガイ、…」
振り向くとそこにはガイアが居て、朝から何て失礼な事をという意味を込めた視線を彼に送っていると、数メートル後ろをディルックが歩いているのを見つけ、私は思わず髪の毛を手櫛で整えた。そんな私を見るとガイアの口角が徐々に上がっていく、照れ臭くなってガイアの肩を軽く叩くと、それでもガイアは嬉しそうに笑っている。
「ティア、おはよう」
「お、おはよう!…この前は、ありがとう…」
爽やかな笑顔を向けてくれるディルックに遠慮がちにこの前のお礼を言うと、「この前?」と言いながらガイアが首を傾げる。詮索モードに入りかけたガイアをディルックが睨み付けると、ガイアは「おっかないおっかない」と言いながら舌を出した。
二人と他愛ない話をしながら騎士団本部へと入ると、そこにはずらりと隊員達が集まっていた。全体ミーティングなだけあって、いつもより人口が多い。ガヤガヤと賑わう室内では色んな会話が聞こえてくる。
?鹿狩りに新しい料理が…?
?あの子とあの先輩って付き合ってるんだって?
?この前の任務で変なヒルチャールを…?
大団長も、副団長も現れていないからか皆リラックスしているようで、まるでモンドの街中にいるような気分になる。気が付けばディルックとガイアの姿は無く、二人とも役職がある身だから色々忙しいんだろうなと本部の端っこで壁にもたれかかっていると、ある話題が耳に飛び込んできた。
?あいつってローレンス家の関係者らしいぞ?
心臓がドクリと脈打つ。
周囲を見渡すと、少し離れたところにいる男女二人が私を見てこそこそと何かを話している。聞き間違えるわけがない内容に汗が噴き出す。口元を押さえてゆっくり息を吸って吐く。
何?ローレンス家って言った?視線を泳がせて周りの人達を観察する。どこにもエウルアの姿はない。それに、あの人達は私の方を見ている。すると、彼等と目が合った。女の方が顔を顰めて男に何かを言っている。耳をそば立てて内容を聞き取る。
?こっちを見たわ…怖い?
これは、完全に私の事じゃないか。口を覆っていた手がぶるぶると震えている。
何で?何で知られているの?彼等の刺さるような視線から逃げたくて、壁伝いに扉を目指す。ミーティングがそろそろ始まる時間だが、こんな状態で参加できる気がしなかった。呼吸がだんだん荒くなってきて、胃から何かが込み上げてくる。扉に手を掛けて、開いた瞬間、そこには夜明け色の瞳を丸くした彼女が立っていた。
「…ちょっと、酷い顔色よ?大丈夫なの?」
私を見るや否やエウルアは顔を顰め、声を潜めてそう言った。黙って首を縦に何度も振ると、気が付けば私の足は走り出していた。「ねぇ!」と言うエウルアの声が聞こえた気がしたけれど、完全に気が動転しているのが自分でも分かった。
どこに向かっているのか、なぜ走っているのか分からない。でも、あの場所が怖かった。今すぐ逃げなければと思った。
とうとう知られてしまった。ローレンス家の血が流れていると。旧貴族の子孫はモンドの民達からは疎まれ、軽蔑される。いつかはこうなってしまうんじゃと思い描いていた最悪の事態が起こってしまった。息が上手くできないのに、がむしゃらに走っているから酸素が脳に回らず頭がガンガンと痛む。
両親が死んだのも、ローレンス家の血縁者である事が周囲に知られてしまったからだった。父がローレンスの名を持つ者で、父はそれが嫌で仕方がなくって、実家とほぼ縁を切る形で母の姓を継いだ。モンドから少し離れたところで、ただ平和に暮らしていたというのに、何処からそんな情報が漏れたのか、近所の人が訪ねてきて父に真偽を確かめた。気が動転した父は近所の人を追い返すと、母の腹を刺して、自分は首を吊った。側の川へ遊びに行っていた私は家に帰るとその衝撃的な光景を目にした。すぐに近くの大人に目を塞がれて、そこからの記憶は曖昧だ。
私が、私達が、何をしたというのか。
生まれた時から罪人の血が流れていた。もうその時点で普通の生活は約束されていない。今までも散々苦しんできた。なら、もういいじゃないか。解放してほしい。
ドサッという音と共に地面へと倒れ込む。ここはどこだろう。無我夢中で走ってきたからどこなのかよく分からない。モンドの街並みではなく、木々が生い茂っている。いつの間にか森の中へまで走ってきてしまったようだ。
酸欠で頭が痛い。耳鳴りが止まない。意識が朦朧として、あの時の事をまた思い出す。
気が付けば私の手は剣を握っていて、その切っ先は喉元へと向いている。手が震える。でも、バレてしまったなら仕方ない。それにもう、解放されたい。
剣を持つ手に力を入れた直後、誰かに手首を掴まれる。そのまま剣を叩き落とされて、両肩を勢いよく揺さぶられる。
「何をしているんだ!」
あまりにも大きなその声に、木から鳥がバタバタと飛び出していく。目の前には燃えるような赤。ディルックが額から汗を流し、私を揺さぶっていた。
「…ディルック」
彼の名を口にした途端、ふっと視界が真っ暗になる。「ティア!」と私の名を何度も呼ぶ声がする。頭が痛い。耳鳴りが煩くてディルックの声が段々聞こえなくなっていく。そうして、私は意識を手放した。