13


 どれくらいの時間こうしていたのだろう。やっとゆっくり息ができるようになって、目元の涙を拭いそっとディルックの胸から離れると、私の頭を撫で続けていてくれたディルックの手が頬へと滑り落ちてくる。ディルックの赤い瞳には泣きすぎて目を腫らした私の顔が映っている。ディルックはジッと私の顔を見てから頬に残っていた涙を親指で拭うと、まるで私を安心させるかのように微笑んでくれた。
 
「帰ろうか」
 
 優しくて柔らかい声。黙って首を縦に振ると、ディルックは私と手を繋いだまま歩き出した。こんなとこ誰かに見られたら勘違いされちゃうよ。私は良いけど、ディルックは困るでしょう?でも今はそんな事はどうでも良かった。出自の事も、どうでも良いと割り切れるようになる日はくるのだろうか。ポツポツと明かりの灯るモンドの街はとても綺麗で、でもやっぱり、この街に嫌われたくないなぁ。
 
「……もう一つ、聞きたい事があるんだが」
 
 前を歩くディルックは、消え入りそうな声でそう言った。何の事だろうかと少しだけ身構えると、ディルックが振り返る。その顔はなぜだか少し赤くて、一体どうしたのかと首を捻ると、ディルックはとても言いにくそうに口を開いた。
 
「前に、ガイアが言っていただろう。失恋したというのは、本当なのか?」
 
 失恋?何の事?と言いかけたが、そういえば以前ガイアに適当な嘘を吐いたら、それをディルックの前で言われてしまった事を思い出す。「ああ!」と私が声を上げると、ディルックは眉間に皺を寄せて、握っている手に力を入れた。何でそんな顔をするのだろうか。自分でもその事に気が付いたのか、ディルックはまるで何かを誤魔化すかのように咳払いをした。
 
「あれはガイアにからかわれたから適当に言ってみただけ。失恋なんてしてないよ」
 
 少し大人な嘘を吐いてガイアをびっくりさせてみたかっただけ。まあ、ガイアには通用しなかったけれど。そういえばそんな事もあったなと思っていると、ディルックは黙って前を向いて、そして私の手を引いて歩き出す。
 
「…ディルック?」
 
 どう見たって様子がおかしい彼の名を呼ぶと、ディルックはこちらを見る事なく、蚊の鳴くような小さな声で呟いた。
 
「…なら、良かった」
 
 夜風に紛れてディルックが何を言ったのか分からなかった。「え?」と聞き返してみたが、ディルックは何も言わずに歩き続ける。
 今日は月の明るい夜。彼の耳が真っ赤に染まっている事に気付いてしまったけれど、きっと気のせいだと思って気付かないフリをした。
 
 ◇
 
 朝、目覚めたらいつもより少し気持ちが軽いような気がした。昨日ディルックに全部ではないけれど、少しだけ昔の事を話す事ができたからだろうか。
 誰にも話す気はなかった。昔、ロサリアに話した時も取り乱してしまい大変だった。それ以降絶対に誰にも言わないでおこうと、心に蓋をした。秘境でちらりと覗かれてしまったからって、なぜディルックには話そうと思えたんだろう。
 
 ディルックに理解してもらいたいと、そう思っているのだろうか。
 
 ベッドの側にあるテーブルの引き出しから伏せられていた写真立てを取り出す。その写真は少し色褪せているが、写真に写る男女は笑顔で、その真ん中にいる小さな女の子も笑顔だった。それは紛れも無い私達家族で、この写真を見るのはいつぶりだろう。笑顔の両親の顔を見て、死に顔ばかり思い出していた事に気が付く。二人の顔を見ると、あの時の事を思い出して何もかもを捨てて逃げ出したいような気持ちになる。だけど、私は確実に一歩ずつ進めている。ずっと見れなかった写真を見る事ができた。人に話す事ができた。自分を理解してもらいたいと思うようになった。
 
「…いってきます」
 
 写真立てをテーブルの上に置いて、私は部屋を出た。
 
 ◇
 
「…て事でよろしくな」
 
 次の任務の事でガイアに呼び出され、告げられたのは、ある人と二人で千風の神殿にいる遺跡守衛の調査を行うようにとの事だった。書類に書かれた自分の名と、もう一つの名を見て硬直する。様子のおかしい私に気が付いたのか、ガイアは私の見ている書類を覗き込むと、「ああ」と言って少し複雑そうな表情を浮かべた。
 
「色んな噂があるが、俺はそんなに悪い奴には思えないぜ?」
 
「……分かってる」
 
 任務遂行者という欄にある私の名前の横にはエウルア、と書かれていた。せめて複数人ならともかく、なぜよりにもよって彼女と二人きりなのだろうか。
 エウルアが騎士団内やモンド市民から色々言われている事は周知の事実だ。そんな彼女と二人で任務に行く事に私が戸惑っていると思って掛けられたガイアの気遣いの言葉も、回り回ってぐさりと心臓に刺さるようだった。
 
 エウルアとはドラゴンスパインで会ってから、姿を見ていない。お互い関わる気はないという認識だが、同じ組織に属しているのだからこういう事は必ず起こり得るだろう。くよくよしていたところで仕方がない。仕事だと割り切ろう。
 
 ◇
 
「……よろしく」
 
「ええ」
 
 神殿付近でエウルアと合流し、恐る恐る挨拶をしてみたが、エウルアは私を一瞥し頷くと、スタスタと神殿の中心へと歩いて行く。慌ててその後を着いて行くと、神殿の真ん中で遺跡守衛が座り込み停止していた。
 
「…おかしいわね」
 
 エウルアが呟く。確かに。通常、遺跡守衛に近寄ると起動して攻撃を仕掛けてくるというのに、この遺跡守衛はピクリとも反応しない。剣を出しツンツンと突っついてみてもやはり反応はない。戦うとなると厄介だけれど、このままだと神殿を守るものが居なくなってしまい、ここが悪党やヒルチャールの根城になりかねない。
 
「……壊れちゃったのかな」
 
「そうかも。帰りましょう」
 
「え?もう帰るの?」
 
「仕方ないじゃない。遺跡守衛は動かなくなっていた、そう報告するしかないわ。それとも君はこれを動かす方法でも知っているの?」
 
 勿論、私はそんな方法を知っているわけがない。首を横に振ると、エウルアはさっさと神殿の出口へと向かって行く。
 遺跡守衛が動かなくなって、まるでガラクタのように置かれているのを見た事はある。ここの遺跡守衛もそんな風になってしまったのだろうか。エウルアの後を歩きながらそんな事を考えていると、背後から小さな機械音のような音がしたので振り返った。すると、先程まで何の反応もしていなかった筈の遺跡守衛が立ち上がっており、中心の目のような所に光が集まっている。そしてそれは私ではなく先を歩くエウルアの方を見ているようだった。
 
「エウルア!」
 
 私が叫んだと同時に、遺跡守衛がミサイルのような物を発射する。振り返ったエウルアが目を見開き、剣を構えるが、間に合いそうもない。咄嗟に元素力を用いてミサイルに水元素を付与させると、私の意図に気付いたのかエウルアもスキルを使用する。すると、水元素と氷元素の元素反応で凍結したミサイルがピタリと空中で止まる。その隙に遺跡守衛の中心の目のような部分に飛び掛かり剣で刺すと、遺跡守衛が膝から崩れ落ちる。振り返り、エウルアに今だ、と目で合図を送ると、エウルアは頷き、大剣を遺跡守衛目掛けて叩き込んだ。剣術とは思えない、まるで舞のようなエウルアの動きに息を呑む。戦闘中だというのに、彼女の動きに見惚れてしまう。エウルアの一撃が効いたのか、程なくして遺跡守衛は動きを停止し、その場に座り込んだ。
 
「エウルア!怪我してない!?」
 
 遺跡守衛が動かなくなったのを確認してからエウルアへと駆け寄る。私の問いに答える事なく何故かぽかんとした顔で私をジッと見るエウルアに首を傾げると、エウルアは私から目を逸らし、少し言いにくそうに口を開いた。
 
「…君にとって、私は邪魔な存在なんじゃないの?そんな奴を気にかけるなんて、とんだお人好しね」
 
 エウルアの言葉に、心臓を握られたかのような感覚に陥る。
 ?邪魔な存在?という言葉が頭の中をぐるぐると回る。彼女にそう思われるのも無理はない。同じ立場である者同士だというのに、手を取り合う事をせず、全く違う生き方をしているんだから。以前ドラゴンスパインで彼女から関わる気はないという主旨の事を言われた。私はそれを否定もせず肯定もしなかった。けれど、正直安心していた。そんな私を、きっとエウルアは見透かしている。
 
「………ごめん」
 
 結局、ただ謝る事しかできなかった。エウルアも、私も、暫く俯いていた。陽が落ちて赤い光が私達を照らし出したのを合図に、私達は神殿を出た。
 
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