09


「…印象的な過去の記憶を映す鏡だったのかもしれない」
 
 相変わらず妙な光景を繰り返す秘境を進んでいると、ディルックが遠慮がちに呟いた。私が触れた時に映った光景はディルックから見ても印象的な過去の光景だという事は分かったであろう。けれど、ディルックが触れた時の光景はただ幼い義兄弟が遊んでいる和やかな光景で、印象的なものには思えなかった。私が思っている事が分かったのか、ディルックはぽつりぽつりと話し出した。
 
「ガイアが家に来たばかりの時の光景だったんだ。弟ができたのが嬉しくて…」
 
 確かに、義理とはいえ弟ができた時の出来事は幼いながらに嬉しい事に違いない、印象的な記憶だろう。私からするとただ義兄弟が遊んでいる和やかな光景でも、ディルックからすると特別な記憶だったのだ。
 
「……小さいディルックとガイア、可愛かったね」
 
「そうだろうか。お互いヤンチャでよくメイドを困らせていたよ」
 
 メイドさんを困らせる二人か、ガイアはともかく今のディルックからするとなんだか想像ができない。ふふふ、と笑い声を漏らすと、ディルックも少し微笑んだ。
 
「…その、すまなかった。あのような状況とはいえ君の記憶を…」
 
 申し訳なさそうにディルックが俯く。さっきの光景がフラッシュバックしかけるが、頭をぶんぶんと横に振ってディルックの腕を掴んだ。
 
「謝らないで。こっちこそ、あんな…記憶を見せてしまってごめん」
 
 唇が小さく震える。両親の事を話すのは慣れていない。できるだけ、蓋をしてしまいたい記憶だったから。ディルックが私の方を見ている。けれど、その顔は前髪に隠れていてどういう表情をしているか分からない。
 
「……ここを出る事ができたら、さっきの事…詳しく、話すから」
 
 話しているだけなのに泣きそうになる。込み上げてきた涙をどうにかしたくて思い切り息を吸って吐いた。すると、繋いでいた手をディルックがぎゅっと強い力で握った。
 
「無理に話さなくて良い」
 
 どこからか風が吹いて、ディルックの顔を隠していた前髪が揺れる。はっきりとそう言ったディルックは、燃えるような赤い、真っ直ぐとした目で私を見ていた。ディルックの気遣いと優しさを感じて鼻の奥がツンとする。そんな私の顔を見てディルックの顔に動揺が走る。
 
「…泣かないで」
 
 私よりも泣きそうな顔でディルックが私の頭を撫でる。何度も頷くが、もう無理だった。溢れ出した涙はなかなか止まらなくて、私の頬をびしょびしょに濡らしていく。ディルックの手が下りてきて、私の涙を何度も何度も掬ってくれる。涙を止める事ができず、「ごめんね、ごめん」と私が言うたびにディルックは「良いんだ」と何度も相槌を打ってくれた。
 
「……話したくない事は話さなくて良い。けれど、僕はティアの事を色々知りたいと思う」
 
 あたたかく、優しい言葉にうんうんと頷く事しかできなかった。
 ディルックは、私の事を受け入れてくれるだろうか。両親が自死し、旧貴族の末裔である血が流れている私の事を知っても、彼は軽蔑しないだろうか。話してみなければ分からない。けれど、彼ならば大丈夫な気がした。そう思えただけでも少し、息がし易くなった気がする。
 
「…私、も、ディルックの事、沢山知り、たい」
 
 嗚咽混じりのみっともない声。そんな私の声なんて気にする様子もなく、ディルックは「勿論だ」と笑顔で返事をしてくれた。
 
 ◇
 
 先へ先へと進んでいくと、そこにはまたしても広い空間が広がっていて、周囲は瓦礫で囲まれており至る所が炎で燃えている。さっきの鏡があった場所と似た空間で、何かがあると勘が告げている。私達は手を離し、武器を顕現させ構える。すると、空間の中心に何かがパッと現れた。
 
「…アビス」
 
 苦虫を噛み潰したような顔でディルックが呟く。アビスの術師が三人。運が悪い事に、それらは赤いシャボン玉のようなシールドを身に纏っている。
 炎元素を操るアビスの術師三人と、炎元素の神の目を持つディルックと、神の目を持たない私。どう考えても分が悪い。けれど、考えていたところで待ってくれるような優しい相手ではない。聞いた事のない言葉で詠唱をすると、術師が消え、そして私達二人を囲むように近くに現れた。
 
「ティア!気をつけるんだ!」
 
「分かった!ディルックも、私の事は気にしないで!」
 
 術師は詠唱を繰り返すと、どこからか炎を吐く赤い生物が現れる。慌ててそれらを避け、一人の術師目掛けて剣を叩き込む。シールドには少しヒビが入ったが、瞬く間に元通りになってしまう。チラリとディルックを見るが、ディルックも奴等の纏うシールドに苦戦しているようだった。
 どうする。このままだとディルックも私も消耗してしまう。違う元素を操る者がこの場に居れば多少なりアビスの術師のシールドを壊す事ができたかもしれないのに。いくら物理ダメージを叩き込んだ所でキリがない。そんな事を考えながらもただひたすら剣で叩き割るしか方法はない。どうする、どうする。
 すると、アビスの術師達が一斉に姿を消した。どこに行ったの?辺りを見渡していると、少し離れた所に居たディルックがこちらを見て大きく目を開いている。
 
「避けるんだ!」
 
 ハッとして振り返ると、私の周囲にアビスの術師が三人現れ、全員が杖を振り下ろす。すると、そこから地面を割るかのように炎が迫ってくる。三方面からの攻撃に避けようがなく、体が硬直する。まずい、これをまともに喰らったら…思わずぎゅっと目を瞑るが、その瞬間、腕を引かれ体が宙を舞う。
 
「…!ディルック!」
 
 目を開けると、私はディルックに担がれていた。しかし、ディルックはその場に膝を突き、私もその場へとドサリと倒れ込む。慌てて起き上がりディルックを見ると、ディルックの右足の脹脛のズボンは焼け焦げ、酷い火傷を負っている。よく見ると、腹部も火傷による損傷をしており、さっきのアビスの術師の攻撃から私を庇ってくれた事は歴然だった。
 
「ディルック!大丈夫!?ディルック!」
 
 大剣を地面へと刺し、何とか起き上がろうとするが、傷が深いのかディルックの体がぐらぐらと揺れている。どうしよう、私のせいだ。傷の手当てを、いや、それよりも術師をどうにかしないと。誰か助けを…いや、無理だ。
 混乱する頭をどうにか落ち着けようとするが、四面楚歌のこの状況でまともな判断が出来るわけもなく、ただただ尋常じゃない量の汗をかきながら負傷したディルックの前に立つ事しかできない。どうする、何か策を…一人のシールドを割ったところであと二人いる。そしてそのどちらかのシールド割る事に成功したとしても最初に割った一人のシールドが復活してしまう。ディルックと二人でならできたかもしれない。けれど、ディルックが重傷を負った今、その作戦は無謀だ。ああ、私が油断したからだ。どうしよう、どうすれば…
 
「…ティア」
 
 掠れた声でディルックが私の名前を呼ぶ。半泣きのみっともない顔で振り向くと、ディルックは腹部を押さえながらゆっくりと立ち上がった。
 
「君は逃げるんだ」
 
 ディルックの言葉が頭の中で繰り返される。逃げる?ディルックを置いて私が?頭を殴られたかのような衝撃に思わず言葉を失っていると、肯定と捉えたのか、ディルックが真剣な顔をして頷いた。その顔を見た途端、ブチッと何かが切れる音がした。
 
「に、逃げるわけないでしょう!!」
 
 突然私が大きな声を出したものだから、ディルックの体がびくりと跳ねる。アビスの術師達も私の声を攻撃の合図かと思ったのか身構える。
 みっともないところを何度も見せて、挙句の果てに私を庇って負傷したディルックを置いて逃げる事なんてできるわけがない。そんな事をするくらいならここを私の墓場にした方がマシだ。
 四の五の考えていたところで埒が開かない。やるしかないんだ。そう決意して息を大きく吐く。ディルックに守られてばかりなんだから、今度は私が彼を守らないと。剣を構えて集中する。アビスの術師達をキッと睨み付けた途端、突然目の前に青の光を放った何かが現れた。
 
「な、なに!?」
 
 咄嗟にそれを手で掴むと、心臓が大きく脈打ってそこから何かが流れ込んでくるような感覚に陥る。何?何なのこれ?すると、私の異変に気付いたアビスの術師達が一斉に詠唱を始める。まずい、さっきディルックが私を庇ってくれた時に受けたあの攻撃がくる。その場から飛び退こうとしたが、瞬く間に術師三人に囲まれてしまった。そして、先程と同じように奴等が杖を振り下ろす。
 
「ティア!」
 
 ディルックの声が遠くで響く。けれど、どういうわけか私は無傷でいた。何故なら、アビスの術師が放った炎の攻撃を、私が水元素の力で相殺していたからだ。
 
「………水?」
 
 私の周りを水がふよふよと舞っている。そして、さっきアビスの術師の攻撃を防いだ際に、アビスの術師達のシールドが剥がれたようで、アビスの術師達は変な声を出して地面へどしゃりと崩れ落ちた。
 
「今だ!」
 
 ディルックの声に頷くと、私は剣先をアビスの術師達に叩き込む。よく見ると、剣の周りに水の輪のようなものが纏わりついている。一体、これは何?いや、それよりも今はこいつらの殲滅に集中しなければ。最後の一人を斬ろうとしたが、寸でのところでシールドが復活してしまった。奥歯を噛み締めて最後の一人のアビスの術師と向き合う。右手には剣、そして左手の中に何かがある。先程の光の中で掴んだ物だろうか。チラリとそれを見た瞬間、息を呑んだ。
 
「……神の目」
 
 私の左手の中には水色の神の目が握られていた。恐らくこれは水元素の物だろう。しかし、さっきは土壇場で何とか技が出せたみたいだけれど、扱い方が分からない。そんな私を見抜いたのか、アビスの術師が畳み掛けるように攻撃を仕掛けてくる。何とか避けながら元素の力で対抗しようとするが、水元素がふよふよと周りを舞っているだけで攻撃に転じる事ができない。
 
「落ち着いて。まずは深呼吸」
 
 どん、と背中が何かにぶつかったかと思えば、そこにはディルックが居て、ディルックは後ろから私の剣を持っている方の手を握った。指示通りにゆっくり深呼吸をすると、ディルックの手に力が入る。
 
「目を閉じて、集中するんだ。剣に力を乗せていくようなイメージを浮かべて」
 
 目を閉じ、頷きながら左手に持つ神の目から右手に持つ剣に力を乗せていくようなイメージを膨らませる。すると、腹の底から力が漲ってくるような感覚がした。
 
「今だ」
 
 ディルックの声と同時に目を開いて剣を前に突き出す。どこから表れたのか大量の水が私の剣の周りを渦巻き、まるで竜巻のような勢いでアビスの術師目掛けて襲い掛かる。アビスの術師のシールドが一瞬で割れ、何も守るってくれるものが無くなったアビスの術師は竜巻に巻き込まれ、そして消滅した。
 
「………終わっ、た?」
 
「ああ、良くやった……」
 
「ディルック!?」
 
 緊張と疲労でその場に座り込むと、私へ労りの言葉を掛けてくれたと同時にディルックが倒れ込んだ。
 
 
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