明日のためにゆりかごを編む

『愛してる。ずっと』

 けたたましく鳴る風の音がしたかと思えば、電話は切られてしまった。急にどうしたのだとかそんな言葉さえも掛けられなかった。心臓が嫌な音を立てている。なに、どういうことなの。すっとぼけてみたところで、特務課からの呼び出しに応じた中也と、狂ったように暴れる大きな龍が、嫌な予感をこれでもかというほどわたしに思い知らせた。

「中也…」

 口から溢れた彼の名前は、轟音に掻き消される。わたしとまったく同じシルエットをした人影は、容赦無くわたしに攻撃を仕掛けてくる。異能力、すなわちもう一人の自分だ。防戦一方でなんとか逃げ延びてきたが、中也からの一本の電話により、わたしはその場から動けなくなっていた。

「嫌だ」

 スマートフォンが手から滑り落ちた。鈍色の空を見上げると、上空には不自然にビルの破片やコンクリートの塊が飛び交っていた。あれは中也の異能力によるものだ。龍が苦しそうに身を捩る。わたしの頭上を大きなビルが通過していった。重力操作の異能を持つ中也でも、こんな荒技が普段からできるわけがない。汚濁を使っているんだと理解した途端、目からボロボロと涙が溢れた。太宰の異能力でしか解除する事のできない中也の汚濁形態。太宰はどういう意図かは分からないが、澁澤側に付いていると聞く。そんな状況で太宰の手を借りる事などほぼ不可能だ。何より中也からの滅多に聞けない愛の言葉がそれを物語っていた。嫌だ、嫌だよ。あんなのが最後の言葉になるなんて。
 空を見ていられなくて俯くと、涙の雨が地面に染みを作っていく。

「…え?」

 頭に何かが触れたような気がして顔を上げると、異能力がわたしの頭をゆっくりと撫でていた。

「なんで…」

 さっきまでわたしのことを殺そうとしていたのに。わたしの問いに答えるかのように、異能力は空を指差した。

「…諦めるなってこと?」

 異能力は数度頷くと、自分の手を握り、それを思いっ切り額の赤い結晶にぶつけた。異能力が姿を消していく。消えていくと同時にわたしの中に何かが入ってくるような感覚がした。ドクリと心臓が大きく鳴ると、まるでポッカリ空いていた穴が塞がったかのような不思議な感覚に満ちていた。

「戻ってる」

 確かにある異能力の感触。そうか、わたしの元へと戻ってきたんだ。あんなにも全力で殺そうとしてきていたのに、全く我ながらお節介な異能力だ。

「あなたも中也の事、大好きなんだね」

 返事を聞かなくったって分かる。だってあなたはわたしだから。

「…なに?」

 暴れ狂っていた龍の体が徐々に消えていく。それと同時に、またしても霧が立ち込める。中也は、龍と戦っていた中也はどうなったの。不安が込み上げるが、さっきまでの心細さは不思議となかった。

「行こう」

 先の見えない霧の中、わたしは地を蹴った。倒壊した建物、でたらめに停車する運転手のいない車の列。まるでこの世のものじゃないみたいだ。それでも捜さなきゃ。ここが地獄だろうが天国だろうが、中也のいない世界なんてわたしには必要ないよ。

「おわあ!」

「痛っ」

 白い何かに躓いて転びそうになる。聞き覚えのある声にハッとした。

「太宰!?」

「奇遇だね。泣きそうな顔してどうしたんだい?」

 白い何かとは何時もと違う白い服を着た太宰で、その太腿らへんでぐったりしている人影を見つけた途端、視界が一気にボヤける。

「…中也?」

「中也起きなよ。君の本当のお姫様が迎えにきてくれたよ」

 太宰がペシペシと頭を叩くと、中也は薄っすらと目を開いた。

「……ナマエ、か?」

「…っ、莫迦!」

 中也の体に飛び付くと、太宰と中也が苦しそうな声を出した。良かった、本当に良かった。ボロボロだけど、中也はちゃんと生きている。みっともなく泣くわたしの頭を中也の手がそっと撫でる。

「…ダセェ、な。生きてん…ならあんな事言うんじゃ、なかったぜ」

 中也が力無く笑う。どんだけ心配したと思ってるのとか、あんな場面で言わないでよとか言いたい事は沢山あるけれど、今は我慢してこれだけ言っておく。

「…おかえり、中也」

 少しだけ目を見開くと、中也は得意げに笑った。

「ただいま」

 
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