Only you

『リオと飯行ってくる』
 
 大きな音が応接室内に響き渡る。私の隣の革張りのソファに遠慮がちに沈む芥川くんがゆっくり背筋を伸ばしたのが視界の端に見えた。机の上に叩きつけられたスマホの画面に映る忌々しい内容のメッセージに小さく舌打ちをすると、芥川くんがわざとらしく咳払いをした。
 
「…ナマエさん、もう来られるかと」
 
「……そうだね」
 
 今から先方との取引だというのに私の頭の中はさっき届いたメッセージの事でいっぱいになってしまっていた。屈強な男を両側に従えたヒョロリとした男と武器の流通についてのやり取りを進めていく。ああもうこの取引で得たショットガンであの男、中也の頭をぶち抜いてやろうかなと考えていたが中也にショットガンなんて打ったところで効くわけがない事を思い出して舌打ちをした。そんな私の様子を見て芥川くんがまたしてもわざとらしい咳払いをした。
 
 ◇
 
「…ごめんね」
 
「いえ……任務ですか?」
 
 取引後の車中、隠し切れない苛立ちを露わにしてしまった事を芥川くんに詫びると、気遣ってくれたのであろう彼の言葉がぐさりと刺さった。私の苛立ちの原因が任務だったらどれほど良かった事か。ただ付き合っている男から異性と飯に行くという連絡を受けて腹を立てているだけと言える程女々しくも無ければプライドも無いわけではない。「うんまあそんな感じ」と不自然なくらい早口で返事をすると、芥川くんは納得したかのように小さく頷いた。
 
 リオ、という新人がポートマフィアに入って数ヶ月。中也はリオにご執心だ。教育係をしろと首領直々の命令があったからとはいえよく目にかけ、よくご飯に連れて行っている。中也と付き合って早数年、今更異性と喋った、ご飯に行った、などそんな事でいちいち嫉妬するような初々しさは持ち合わせてはいない。とはいえ、こうもしょっちゅうだと流石の私だって苛々してくる。飯行ってくるってこの前もそんな連絡来てなかったっけ?スマホを取り出し確認すると、やっぱり数日前も同じようなメッセージが来ていた。腹の底から自然と出た、まるで肉食獣の唸り声のような私の溜め息が車内に響き渡る。チラッと隣に座る芥川くんを見ると、芥川くんも横目で私の事を見ていたようで目が合ってしまった。き、気まずい…きっとなんだこの女ずっと苛々してるなと思っている事だろう。
 
「あ、芥川くんはさ、リオって子と会ったことある?」
 
 何か話題をと思い口を開いてみればとんでもない事を言ってしまった。芥川くんは私と中也の関係を知っている。リオの事を聞いたりなんてしたら私がリオと中也の関係を疑っているなどと思われないだろうか。そんな女々しい奴だったのかと思われるのは嫌すぎる!と全力で言い訳を考えていると、芥川くんは「リオ?」と首を捻っていたが、思い出したかのようにパッと顔を上げた。
 
「中也さんが面倒を見ているあの新人ですか」
 
「………そうね」
 
 ああ、絶対芥川くんに勘付かれてしまったような気がする。穴があったら入りたいという言葉を脳裏に浮かべながら芥川くんの返事を待っていると、芥川くんは私の顔をジッと見て訝しげな表情を浮かべた。
 
「やつがれは会った事はありませんが、先日中也さんが『あいつは筋が良い』と言っていましたね」
 
 その言葉に自分の血管がピシッと音を立てたような気がした。筋が良い?しかもその事を芥川くんに言っていた?もうこれって完全に黒なんじゃないの?芥川くんの顔がギョッとしたものに変わったと思えば私の手に握られていたスマホを指差した。
 
「ヒビが…」
 
 どうやらピシッと音を立てたのは血管ではなく私のスマホのようだったらしい。
 
 ◇
 
「中也が浮気?…アッハッハッハッ!!!」
 
「笑い事じゃない」
 
 ヨコハマの廃棄された港近くの工場跡地、そこにあるベンチから笑い過ぎてひっくり返りそうになっている太宰の背中を叩いて座り直させると、太宰は持っていたウィスキーの入ったグラスをぐいっと煽った。
 
「いつの間に中也はそんな器用な事ができるようになったんだい?いやぁ、私にも是非御教示願いたいところだよ」
 
「というか太宰が中也に教えたんじゃないの」
 
「浮気の仕方を?うわあ!ナマエ!君いつからそんな失礼な子になったんだい?私は悲しいよ…」
 
 大袈裟に両手で顔を覆うと、その隙間からチラリと太宰の瞳が覗く。昔の太宰ならばその仕草も可愛げがあったかもしれないが、今じゃ私より頭一つ以上も背の高い同い年のこの男に可愛げなんてあったもんじゃない。頬杖をついて太宰をじっと見返すと、観念したかのように太宰が私のグラスに酒を注ぎ込んだ。
 
「急に飲もうなんて君からのお誘いにすっ飛んで来てみれば中也の話ばかり………やだやだ!もっと楽しい話をしようよ!例えば、この前新しく見つけた自殺法なんだけど…」
 
「……それのどこが楽しい話なの?」
 
 とは言ってみたものの、浮気をされているかもしれないという私の話も決して楽しい話ではないか。ロープを使って首を絞めて…などと物騒な話を楽しそうにする太宰をぼんやり見ながら今頃中也は私を放っておいて女とご飯を食べているのかと思うと、何だか怒りを通り越して悲しくなってきた。胸の奥がすっと冷えて、ズキズキと痛む。こんな風に思うなんてきっと酒が回ったからだろう。そんな自分を誤魔化すかのように先程注ぎ込まれた酒を一気に飲み干すと、ペラペラと喋っていた太宰が目を丸くして私をジッと見た。
 
「…おやおや大ダメージじゃないか」
 
「…え?」
 
「何でもないよ。それにしたってナマエというものがありながら気の多い中也は全く贅沢な男だよねぇ…」
 
 太宰は肩を竦めると、少し腰を浮かせて私のすぐ隣へと座り直した。足と足が触れ合う程近い距離に驚いて太宰の顔を見ると、太宰は私の手からグラスをそっと取り、そのグラスに入っている酒を一口飲み込んだ。
 
「中也なんてやめて、私にしたらどうだい?」
 
 太宰の手が私の頬を撫でる。大きくて、少しカサついた手。中也とは違うその手の感触に反射的に身を引くと、太宰が「ちぇっ」と言って口を尖らせた。
 
「君は私が何度口説いても絶対頷きやしないんだから。一体全体中也のどこが良いのだい?」
 
「どこがって…」
 
「ちょっと!顔を赤らめないでくれたまえ!居た堪れないじゃないか!」
 
 中也の好きなところ…と一瞬でも考えた事で熱が集まった顔を慌てて押さえると、太宰が恨めしそうに横目で私を見て、そして大きな溜息を吐いた。
 
「次私を呼び出す時は中也と別れたっていう報告を聞きたいものだね」
 
 太宰は新しい酒瓶を開けると、べっと舌を出して笑って見せた。
 
 ◇
 
 太宰と別れ、帰宅する。気が付けばもうとっくに日付が変わっていて、明日は非番で良かったと時計を見ながら風呂に入る準備をしていると、玄関の扉が開く音がした。ポートマフィアに属するとはいえ、私だって一応女であり、玄関の鍵くらいキチンと閉めるに決まっている。それが開いたという事は鍵を閉め忘れたか、合鍵を持つ者が入ってきたかのどちらかだろう。軽く酔っているとはいえ鍵はキチンと閉めた記憶がある。という事は後者が確定で、私の家の合鍵を持っている者は一人しかいない。聞き覚えのある足音が近付いてくる。廊下からリビングに繋がる扉が開いたかと思うと、そこから顔を出したのは矢張り中也で、中也は私の姿を見ると少し驚いたような表情を浮かべた。
 
「まだ風呂入ってねぇのか。珍しいな」
 
「…飲みに行ってたから」
 
「誰と」
 
「……誰でもいいでしょ」
 
 自分は女とご飯に行っていたくせによく私にそんな事が聞けるね!と言いたかったがそこはグッと呑み込んだ。
 しかし、私の返答が気に入らなかったらしき中也の眉間に皺が寄る。このまま話していたら嫌な空気になりそうだという事を察知して着替えのパジャマを持ち風呂場に逃げようと中也の横をそそくさと通り過ぎようとしたが、中也の腕がまるでそれを拒むかのように伸ばされた。
 
「…何で怒ってんだよ」
 
 顔には出さないように心がけていたが、どうやら態度には出てしまっていたらしい。長年の付き合いだけあって流石に気付かれてしまった。「別に」と小さな声で呟いて俯くと、中也の手が私の頬を撫でる。ふとさっき太宰に撫でられた事を思い出す。やっぱり、中也に撫でられると安心する。心地良い、慣れた温度。目を閉じていつものようにその手に頬擦りをしてしまいそうになったが、リオの事を思い出してハッとした。いやいや、何を絆されているんだ。別に本気で浮気を疑っているわけではないが、いつものように素直に甘える気分になるわけにはいかない。中也の手を避けるようにくるりと身を翻すと、中也が後ろで「は?」と驚いたような声を出した。驚く中也とそんな中也に背を向ける私。そんな私達の間には気まずい空気が流れている。中也の手を避けたのは良いが、ここからどうするかなんて考えていなかった。お風呂場に逃げようにも扉のところには中也がいるし…
 
「ね」
 
「ね?」
 
「寝る!おやすみ!」
 
 持っていたパジャマをそこら辺に投げて、私は寝室までの僅か数メートルの距離を走った。もう一度中也が「は?」と言っていたような気がするがこの方法しか思い付かなかったから仕方ない。寝室に入り即座に鍵を掛けて布団の中へと潜り込む。しかし、中也の前ではそんなものは全て無駄である。鍵が派手な音を立てて壊れたと思ったら(壊されるのはもう五回目)被っていた布団を勢い良く剥がされて、両手を掴まれる。瞬く間に中也は私に覆い被さるかのような体勢を取ると、その顔には困惑と焦燥が滲んでいた。
 
「なんか手前、今日おかしいぞ?何かあったのか?」
 
「じ、自分の胸に聞いてみて!」
 
「…俺?」
 
 ふん!とそっぽを向いてみたが、組み敷かれている状態なので嫌でも中也の顔を見てしまう。中也は自分の行動を思い出すかのように目をぐるりと一周させるが、皆目見当がつかないといった様子で私を見返した。
 
「…分かんねぇ」
 
 わ、分からないの!?鈍感すぎるでしょう!
 目を見開くと、そんな私を見て中也がもう一度考え込む。しかし、結果は同じだったようで、少し眉を下げて教えてくれとでもいうかのように私を見た。
 
「…本当に分からないの?」
 
「ああ」
 
「リ、リオ!」
 
「リオ?ああ、あいつがどうした?」
 
 あいつ!そんな呼び方をする程親しいのかと頭を打ったかのような衝撃を受けていると、中也は未だ意味が分からないといった顔をしている。名前を出しても動揺しないという事は矢張りこの件は白なのだろうか?いや、でも異性としょっちゅうご飯に行く事についてはここでしっかり私の気持ちを伝えておかないと。
 
「中也がリオの教育係になって、リオの事を可愛がってるのは知ってるよ」
 
「…ああ」
 
「でも、私からするとこうもしょっちゅうリオを連れてご飯に行くのはその…おもしろく、ないというか…」
 
 面と向かってこういう事を言うのは慣れていない。口を開けば開くほど顔が熱くなって語尾が小さくなっていく。こいつ何言ってるんだと呆れられたらどうしようと思いながらもごにょごにょと中也へ気持ちを伝えると、中也は未だ頭上にハテナでも浮かべているかのように首を捻っている。ええ、ここまで言っても分からないの?こんなにも中也って鈍感だっけ?と焦っていると、私を組み敷いていた中也が起き上がって、私の手を引っ張り、私もつられて起き上がる。
 
「……何か勘違いしてねぇか?」
 
「…勘違い?」
 
「リオは男だぞ」
 
「………………はぁ!?」
 
 リオは男?深夜とは思えない程大きな声を出した私の口を中也の手が塞ぐ。ここ防音だから大丈夫…って今はそれどころではない。リオは男?本当に?目を見開きながら中也を見ると、中也は首を縦に振った。
 じゃあ何?今までごちゃごちゃ考えて、柄にも無く嫉妬なんかもしていたというのにリオは男で全部私の勘違いという事?
 
「手前も見た事あんだろ。エントランスにいた、背が高くてガタイの良い褐色の男」
 
 数ヶ月前の出来事が蘇る。ポートマフィアのビルのエントランスに確かにいた。筋肉隆々でスキンヘッドの褐色のいかにもマフィアのボディーガードですとでも言わんばかりの男。あれが、リオ?あんな見た目でこんなにも可愛らしい名前なの?驚きのあまり呆然としていると、目の前で私を見ていた中也が口元を押さえて震えている。
 
「……何」
 
「普通男と女間違えるか?」
 
 そう言うと中也は「はっ!」と噴き出すとそのまま肩を震わせて笑い出した。そんな中也を見て羞恥心で体中が熱くなるのが分かった。笑い転げる中也と、真っ赤になる私。ツボに入ったのか珍しく爆笑し続ける中也に「いつまで笑ってるの!」とその肩をまあまあの力で叩くと、笑いすぎて出た涙を拭いながら中也は「悪りぃ悪りぃ」とゆっくり深呼吸をした。
 
「で、手前はリオを女だと勘違いして俺がしょっちゅう飯に連れて行くのが気に入らなかったってわけだ」
 
「…」
 
「妬いたって事か?」
 
 顔に影がかかったと思えば、中也が目の前にいて、その顔は笑っている。それはさっきみたいに面白くて笑っているというよりかは嬉しくてニヤニヤと笑っている。妬いた、確かにそうだ。完全にただのヤキモチで、しかもそれが勘違いだったのだから尚の事恥ずかしい。中也は両腕を私の肩に乗せると、私の顔を執拗に覗き込んでくる。こんなにも赤くなっている私が珍しいのだろう。目をぎゅっと閉じて思い切り顔を背けると、中也は小さく笑って、私の事を抱き締めた。離れようとしたが、中也の腕がそれを許してはくれず、まるであやすかのようにポンポンと私の背中を叩くから益々居た堪れないような気分になる。
 
「…俺が他の女と飯行くの嫌なのかよ」
 
「……当たり前でしょ」
 
「へへ」
 
 何笑ってんだと中也の背中を叩くが、中也は嬉しそうに「痛ぇよ」と笑うだけで、ぎゅうぎゅうと私の事を抱き締め続けている。観念してその体に私もしがみつくと、中也が私の頭にちゅっちゅっと軽くキスをした。
 
「……浮気疑って損した」
 
「俺が浮気なんかするかよ」
 
「…本当に?」
 
「俺にはナマエだけだ」
 
 耳元で低く囁かれ、驚いて体がびくりと跳ねる。そんな私の反応に満足したのか、中也が私を抱き締めたままベッドへと倒れ込む。至近距離にある中也の顔は少し赤くて、口元は相変わらずニヤニヤと吊り上がっている。
 長年の付き合いだが、私がヤキモチを妬いたり、中也が妬いたりなんて事はよく考えてみたらあまり無かったような気がする。とどのつまり、中也は私がヤキモチを妬いて嬉しいのだろう。
 
「こんな事なら太宰に相談しなきゃ良かった…」
 
「…太宰?」
 
 ピタリと中也の動きが止まる。そして私達の間に流れていた甘い空気が妙な色へと変わっていくような気がした。
 
「そういえば手前、飲みに行ったって言ってたよな?あれ、誰とだ?」
 
「……太宰?」
 
「手前こそ男と飲みに行ってンじゃねぇか!!!」
 
 甘い空気から一変。私が事の経緯を中也に伝えてその誤解を解き、そして中也の機嫌が治った頃にはもう空が明るくなっていた。
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