気がすむまで溺れてよ

 所謂超過勤務というやつだろう。はぁ、と息を吐くと、もたれかかった車の窓ガラスが白く曇った。ヨコハマのど真ん中を勢い良く走る車の外に広がるイルミネーションはプライベートで見る分にはそれはそれはロマンチックだけど、今から交渉が決裂した場合、相手の生死は問わない、という物騒な任務に向かう途中なのだと思うとチカチカしていて鬱陶しいなくらいにしか思わなかった。
 カーテンを閉めて背もたれに体を預けると、運転手である立原とバックミラー越しに目が合った。

「ナマエさん、疲れてんなぁ」

「…三日くらい仮眠しか取ってないよ。本当にブラック企業だよね」

「この車にドライブレコーダー付いてなくて良かったっスね」

 確かに。こんな愚痴が首領の耳に入れば厄介だ。まぁ、笑って許してはくれるだろうけど出来れば避けたいところ。ははは、と車内に立原と私の笑い声が響く。チラリと隣に座る、まるで置物のように窓の外をずっと眺めている芥川くんを見るが、やはり彼が談笑に入ってくる事はなかった。

「芥川くんも最近忙しいんじゃない?」

 とはいえ私は彼の上司であり年上だ。彼は確かに取っ付きにくいが、可愛くない後輩というわけではない。空気の読めないフリをして話題を振ると、微動だにしなかった芥川くんがゆっくりこちらへと顔を向けた。

「ナマエさん程では」

「……私って今そんなにも忙しいって有名なの?」

 芥川くんは目を伏せ頷くと、視線を窓の外へと戻した。
 私の異能力は限定的な面もあるけれど、汎用性が高い。脅し程度のものから抹殺まで幅広く使う事ができる。他の幹部達も忙しい日々を送っているのは間違いないが、色んな条件が重なって、私は今ここ数年で一番の忙しさを誇ってしまっているのだろう。

「あと四十分くらいあるんで仮眠取っといて下さい」

「……ありがとう、立原」

「安全運転するんで安心して下さい」

 立原が親指を立てる。まさか立原の口から安全運転という言葉が飛び出るとは思ってなかった。ほくそ笑みながらお言葉に甘えて目を閉じる。芥川くん側の窓から入ってくるイルミネーションの光が瞼の裏越しでも分かるくらいチカチカとしていて少し気になったけれど、思っていた以上に睡魔はすぐそこまできていたようで、意識が徐々に微睡んでいく。
 イルミネーション、か。そういえば中也が新しい車を買ったって言っていたけど、結局乗せてもらえてないや。だって、気付けば一ヶ月くらい会えてない。仕事の合間に連絡を取ったりしているけど、私も中也もお互い忙しくてその頻度は少なめだ。今度会った時はドライブに連れて行ってもらおう。もっと派手で素敵なイルミネーションを中也の新車の助手席で眺めたいな。
 はあ、中也に会いたいよ…
 一ヶ月前に私の家で映画を見て笑っていた中也の顔が思い浮かぶ。その直後に私の意識は夢の中へと消えていった。立原の「え?」という声がしたような気がしたけど、たぶん、気のせいだろう。

 ◇

 結局、こちらの無理なお願いは通る事はなく交渉は決裂した。多少拷問してみたが、首を縦に振る事はなかった相手先の意思の固さには拍手を送りたい。私の異能により静かに息を引き取った者。芥川くんの異能により見るに耐えない姿になっている者。それらを尻目に私達は部屋を出た。

「ナマエさん!芥川さん!」

 外で待機していた筈の立原が私達の方へと小走りで近寄ってくる。どうかしたのだろうか。何か問題があった?と、眉間に皺を寄せながら私も立原へと歩み寄る。いつもならこういう時率先して「何があった」と問う芥川くんが何の反応も示さず、落ち着いているのが少し不思議だった。

「お疲れ様です。急遽決まった事で申し訳ないんスけど、俺と芥川さんは別の任務にこのまま直行する事になったんでナマエさんは裏に呼んだ車に乗ってもらって良いっスか?」

「そうなんだ。分かった。二人とも気を付けてね」

 自分ばかり忙しい気でいたけれど、二人もこんな深夜に追加任務なんて大変だ。足早に去る二人に手を振って、立原が言っていた裏口を目指す。
 えっと、確かこの後は本部に戻って資料を取って、また別の交渉先に向かわなければいけないんだっけ。職業柄任務内容を紙にメモするわけにもいかないから全てを頭の中に詰めておくのは結構大変だ。秘書が欲しいなぁ。首領みたいにエリスちゃんのような存在がいたら私なら秘書へと任命するのに。そんなくだらない事を考えていると、裏口へと辿り着いた。建て付けの悪いドアを開けて道へと出ると、そのすぐ側に立原が言っていたであろう車が停まっている。ポートマフィアの社用車にしてはあまり見た事がない車種だ。多少警戒しつつも車へとひっそり近付くと、停まっている車の反対側からプカプカと煙草の煙のようなものが漂っている。

「遅ェよ」

 聞き覚えのある声に目を丸くすると、その人物は煙草を地面に投げ付け、そして踏み付ける。車の影から現れた帽子を被ったシルエットに、一瞬で心に火が灯ったかのようなあたたかい気持ちになった。

「中也!?」

「おう」

 私が駆け寄ると、中也は助手席のドアを開けた。車内から香る嗅ぎ覚えのある香りにもしかしてこれって中也の新車?と中也の方を見ると、中也は得意気に頷いた。私が助手席に乗ったのを確認すると、中也も運転席へと乗り込んで、車が発進する。中也の香りと中也が好きなロックアーティストの音楽。え?もしかして私は疲れ過ぎて夢でも見ているんだろうか。ぐっと自分の頬を引っ張ってみたけれど、ちゃんと痛かった。

「何やってんだ?」

「……夢でも見てるのかと思って」

「ンだそれ」

 ンだそれも何も急に中也が現れたから驚いているんだけど。ジッと中也を見ると、中也は車を走らせながら横目でチラリと私を見た。

「お前、ちゃんと寝てんのか?すげぇ隈だぞ」

「……仮眠は取ってる」

 中也の手が伸びてきたかと思うと、その手は私の目元を拭った。何かが付いているわけじゃないと思うけど、これは意味もなく中也が私に触れたかっただけな気がする。きゅっと小さく心臓が痛む。一ヶ月ぶりの中也だ。会えてすごく嬉しいのにそれを素直に表に出す事が出来ない自分の可愛くなさには嫌になるが、こんな事、中也はきっとお見通しだろう。

「立原から連絡があって、手が空いてるんだったらお前を迎えに来てやってくれないかって言われてな」

「そうなの?」

「ああ。丁度夕方に仕事が片付いたとこだったからな」

 だから来た。とぶっきらぼうに言う中也の横顔を呆然と見つめる。
 確か、立原の運転する車内で私が眠る直前、立原が「え?」と言っていたような気がする。まさかまさかと考えないようにしていたけど、あの時私は中也に会いたいなぁと思っていて、もしかしてそれを口に出してしまっていたのではないだろうか。…もしそうだったのなら恥ずかしすぎる!思わず頭を抱えて座席へともたれかかると、そんな私の様子を見た中也がふっと笑った。

「部下の前で俺に会いたいって漏らすなんて泣かせるじゃねェか」

「うわー!言わないでよ!」

 中也の肩をバシッと叩いて顔を覆う。中也の言葉により、もしかして…から確信に変わってしまった。部下の前で恋人に会いたいという事を無意識とはいえ呟いてしまうなんて、いくら疲れ切っていたからといっても消えてなくなりたいレベルで恥ずかしい。顔を覆いながら一体どんな言い訳を立原と芥川くんにしようかと考えるが、何を言っても立原はニヤニヤして、芥川くんは呆れたような顔で私の事を見てくるのが目に見えている。

「うぅ……」

「眠いなら寝てて良いぞ」

 私が眠くて目を擦っていると勘違いしたらしき中也は音楽のボリュームを下げると、私の頭をくしゃりと撫でた。

「……大丈夫。寝ない」

 本音を言うと、すごく眠い。今にも寝てしまいそう。でも、折角の部下達からの計らいと、一ヶ月ぶりに会えた中也との時間を寝て消費などしたくない。座席から背を離して、背筋を伸ばすと、信号待ちで私をぼんやり見ていた中也がブッと噴き出した。

「……何?」

「…………いや?」

 信号が青に変わる。中也は口元を緩ませながら車を発進させた。…絶対勘付いている。久しぶりに会えたんだからと一生懸命寝ないでいる私の事。もう恥ずかしさのピークなんてとうに超えてしまっている私は開き直って赤い顔を隠す事もなく口を尖らせていると、窓の外の景色が煌びやかなものへと変わっている事に気が付いた。

「……あ」

 ここ、行きに通った道だ。街路樹に電飾が巻かれたイルミネーション。行きの時は本当に疲れていてまともに見ていなかったけど、改めて見るとカップルと思わしき男女が身を寄せ合ってそれを眺めている。そういえば、中也の新車に乗ってイルミネーションを見たいなってぼんやり思っていたけれど、今のこの状況はまさに思い描いていたシチュエーションじゃないか。なんだか得した気分だなと思っていると、膝の上に置いていた私の手に何かが重なった。それは中也の手で、驚いて中也の顔を見たけれど、中也は片手でハンドルを持って、何事もなかったかのように運転を続けている。手をひっくり返して中也の手に指を絡ませると、中也の口角が少しだけ上がった。

「……この車にお前を乗せてイルミネーションでも見せてやりてェなって思ってたんだ」

「え」

「あ?」

「…………私も、さっきの任務に行く時に思ってた…」

 まさに以心伝心。長い付き合いとはいえ驚いた。丁度赤信号という事もあり、お互い目を見開いて固まっていると、耐え切れなくなった私がぶっと噴き出すと、中也も同じように大きな声で笑い出した。

「ふふふ、すごい!同じ事考えてたんだ!」

 なんだか嬉しいな。一ヶ月も会えなくてしんどくてふと思い付いた事を中也も同じように考えていてくれたなんて。嬉しいのと可笑しいので笑い続けていると、突然繋いだままの手を引かれて、そのまま私の体は中也の方へと倒れ込んだ。

「な、」

 ちゅ、と音がしたかと思うと、目の前には中也の顔。驚いて反射的に身を引こうとしたのに、いつの間にか頭の後ろに手を回されていて戻る事が出来ない。驚いて目を丸くする私を見て満足そうに中也が目を細めると、もう一度唇が触れ合う。煙草と、珈琲の味がするキス。一ヶ月ぶりの中也とのキスに体の奥から何かが湧き上がってくるようなそんな感覚がした。寂しさとか、愛おしさとか、色んな感情。とにかく、中也の事が欲しくて堪らなくて、もっと、と中也の服をくしゃりと掴むと、そんな私に気付いた中也の眉間にぐっと皺が寄った。きっと、中也も同じ気持ちなんだろう。頭の後ろに添えられた中也の手に力が入る。そっと目を閉じて唇を薄く開いたその瞬間、どこかからパーーーッ!と大きな音がした。

「…………チッ」

 目の前の信号は青色で、さっきの音の正体は後続車の鳴らしたクラクションだろう。そういえばそうだった。ここは走行中の車内。何をこんなところで盛りかけているんだと羞恥心でいっぱいになっていると、車を発進させた中也が「なぁ」と苛々した様子で言った。

「……この後の任務誰かに任せられねェのか?」

「なんで?」

 中也は横目で私を見ると、はぁー、と大きな溜め息を吐いた。何で溜め息?と、首を捻ると少しだけ顔を赤くした中也がガシガシと帽子越しに自分の頭を掻いた。

「……今すぐお前を抱きたい」

「な!?」

 だ、抱き!?珍しくストレートな物言いをする中也に驚いて体がビクリと跳ねる。ハンドルにかけた中也の指先が苛立った様子でトントンとハンドルを叩いている。
 そりゃ、私だってこの後中也と過ごしたい。だけど、今からの任務は何ヶ月も前から綿密な予定を立て、書類を作り、シミュレーションをしてきた大事な任務だ。誰かに代わってもらうことは可能だろうかと、中也に対する邪な感情をとりあえず隅に置いて脳をフル回転させてみる。

「……無理かな。適性者が私しかいないや…」

「……そう言うと思ったぜ」

 中也は不貞腐れたみたいに笑っているが、私がそんな風に返事をするのは分かっていたようだった。別の人に任せられるかというのは、まぁとりあえず言ってみただけなのだろう。
 気が付けば車は目的地である本部付近まで来ており、車を路肩に停めると、中也は背もたれへと体を預け、どこかから取り出した煙草に火を点けた。

「……いつ仕事落ち着くんだよ」

 シートベルトを外す私に中也はジトっとした視線を向ける。いつになったら俺に構うんだよと言われているみたいで少し嬉しくなって笑ってしまいそう。

「この後の任務が終わればとりあえずは家に帰れると思う」

「そうかよ…俺は明日休みだ」

「じゃあ、私の家で待ってて?」

「ああ」

 中也は軽く手をあげると、助手席のドアのロックを外した。ドアに手を掛けて降りようとしたけれど、くるりと中也の方を向いて、身を乗り出し、指に持っていた煙草を奪って、彼の唇目掛けて勢い良くキスをした。煙草の、苦い味。驚いて半開きになっていた中也の唇に舌を滑り込ませて中也の舌をぺろりと舐めてみる。中也の手が私の腰に添えられた事に気が付いて、私は咄嗟に身を引いて、持っていた煙草を中也の口に捩じ込んだ。

「続きは帰ってから。………中也の好きなようにして良いよ?」
 
 中也は目を見開くと、「おッ前……」と、散々煽りやがってとでも言いたげに私を睨んだ。車のドアを開けると、夜の風がびゅうっと吹き込んできた。ああ、行きたくないな…でもこの任務が終わったら待望の中也との時間だ。

「怪我すんなよ」

「誰に向かって言ってるの?」

 そう言って不敵に笑って見せると、中也も私につられてニヤリと笑った。車のドアを閉めて中也に手を振ると、中也は煙草を咥えたまま私に手を振りながら車を発進させた。
 さぁ、もう一踏ん張り、頑張ろう!
 

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