そう。私とリオセスリは恋人になってもう何ヶ月も経つのに、キスから先へと進めていない。
「……なんで?」
医務室の備品をチェックしながら昨夜の事を思い返す。いや、昨夜だけではない。毎日毎日キスより先へ進む雰囲気になると、リオセスリは決まって私を部屋へと返す。明日の業務へ差し支えがある程遅い時間ではないし、私はここの職員だから執務室に多少居座ろうが何ら問題はない。なのに、なんでその先へと進んでくれないのだろう。私に魅力がないから?それとも他の理由が?はぁーと深い深い溜め息を吐き出しながら包帯の数をチェックしていると、服の裾を何かがぐいっと引っ張った。
「悩み事?ウチで良かったら聞くよ?」
「……何で分かったの看護師長…私の顔の筋肉とか観察した?」
「観察しなくてもそれくらい分かるの!溜め息吐いてたでしょ?」
あんまりウチを舐めないで!と言うとシグウィン看護師長は自分の胸をドンと得意気に叩いた。正直、看護師長は謎が多い。見た目はこんなにも愛らしいけれど、達観した物言いをする時がある。人生経験は私よりも豊富かもしれない。いや、でももし相談した後にわけがわからずきょとんとされてしまったら恥ずかしくて顔から火が出るかも!そもそもあまり人に相談するべき内容じゃない気もするし…
「公爵との事?なかなか関係が進まない事を悩んでるとか?」
「……私の心を読んだ!?」
驚いてひっくり返りそうになると、「図星なのね」と言って看護師長はにっこりと笑った。かわいい…見ているだけで癒される笑顔。でも私の悩みをピタリと当てたその観察眼はいくらかわいくたって侮れない。いつの間にか椅子に腰掛けさあさあ続きを話してごらん!といった様子の看護師長の前に恐る恐る腰掛ける。
「……実は、リオセスリがなかなか手を…」
「おっと、そこまでにしておこうか」
ぽん、と肩に手が置かれたのと同時に聞こえた聞き覚えのある声に思わず椅子から立ち上がると、やはりそこにいたのはリオセスリで、リオセスリは驚いて固まる私の頭をわしわしと撫でると、なぜか私の腕を引いて医務室を出ようとしている。
「看護師長。このお喋りなお嬢さんをちょっと借りてくぜ」
「公爵のものなんだから、好きにしたら良いわ」
ズルズルと腕を引かれながら看護師長の方を見ると、看護師長は相変わらずのかわいらしい笑みを浮かべたまま私に手を振っていた。
あっという間にリオセスリの執務室へと連れられて来てしまった。いつもなら甘い雰囲気が漂う二人きりの執務室も、あんなところを見られてしまった後というのもあり、妙な雰囲気が流れている。いつも座っているソファにそっと腰掛けると、その隣にリオセスリが無遠慮に腰掛ける。チラリと横目でリオセスリを見ると、案の定リオセスリは私の顔をジッと見ており、居た堪れなくなってそーっと顔を逸らすと、私の頬に彼の手が触れた。
「看護師長に何を言おうとしてた?」
「……」
「俺は怒ってるわけじゃない。…素直に話してみろ」
リオセスリの大きな手が私の頬を撫でる。彼の優しげな目尻に私は弱い。何を言われるか分からないけど…と観念して私は思っている事をリオセスリへと伝えた。
「……なるほどな」
数十秒の沈黙後、リオセスリは足を組み直すと少し困ったように眉を寄せている。その反応は一体どういう事なんだろう。やっぱり私が思っていたように、私に女としての魅力がないとか?それともリオセスリはモテるだろうからそういう事をする相手は別にいるとか?嫌な考えがぐるぐると頭を回る。言葉を選んでいるかのようにまたしても黙り込む彼の様子に泣きそうになっていると、そんな私に気が付いたのかリオセスリはぎょっとしたかと思うと私の体を引き寄せた。
「おいおい変な勘違いをしてるんじゃないだろうな?あんたが思っているような事じゃないから安心してくれ」
「……じゃあ、なんで?」
下唇をぐっと噛んで、リオセスリをじっと見ると、リオセスリの顔が近付いてきて私の唇をぺろりと舐めた。
「可愛い可愛い俺の小さな唇を噛んでくれるなよ」
ふっと笑うと、リオセスリは私の頬に、唇に、何度もキスをした。そんな風に、まるでお前の全部は俺のものだと言ってくれるのなら、なんで私の事を抱いてくれないのだろう。私の機嫌が直ると思っていたであろうリオセスリは、ますます泣き出しそうな顔になっている私を見てまた驚くと、観念したかのように肩を落として、自分の頭をガシガシと掻いた。
「きっと、あんたの事なら俺に他に相手がいるんじゃないか…とか考えてそうだな?」
「……よく分かったね」
「……おい…まぁ良い。……まず、俺はこう見えて一途だ」
「…うん」
「あんたの事を大切にしたいと思ってる。思ってるが故に先に進む機会を失ってた……まぁそんなとこだ」
「…………え?」
それって簡単にいうとタイミングを失ってたって事?きょとんとして固まる私とは裏腹に、リオセスリは立ち上がると、落ち着かない様子で辺りをうろうろと歩き回っている。髪の隙間からチラリと見えた耳がほんのり赤くなっていて、見た事がないリオセスリの一面に思わずソファから立ち上がると、私は彼の背中めがけて突進した。
「っ、何だ!驚いた」
「 ふふふ、天下の公爵様もタイミングを逃す事があるんだね」
「…ああ、そうだな?俺は本命にはめっぽう弱いらしい」
リオセスリの背中にぎゅっと抱き着くと、リオセスリは手を伸ばして私の頭を勢い良く撫でた。何か取り繕う言葉のひとつでも言うのかと思ったけど、どうやら恥も外聞も捨てたらしい彼は開き直ったかのように肩を竦めた。
「……私は、いつでもリオセスリに全部あげれるよ?」
ぽつりと彼の背中に呟いてみる。すると、リオセスリは自分の体に回った私の腕を剥がすと、さっきまで座っていたソファに腰掛けた。突然そんな事をするリオセスリに意味が分からず立ち尽くしていると、リオセスリがちょいちょいと手招きする。
「なに?……わあ!」
リオセスリの元へ近寄ると、彼の腕が伸びてきて私の手を掴む。すると、ぐるりと視界が反転して、気が付けば私はリオセスリにソファへと押し倒されていた。
「…良いか、ハニー?全部あげる、なんて言われて我慢ができる男なんていないって、覚えておくんだな」
リオセスリの口の端がつり上がる。うんと意地悪なその表情に、思わず唾を飲み込む。上下した私の喉に、リオセスリがそっと唇を寄せたかと思うと、そこをぺろりと舐められ、そして甘噛みされた。
「俺はデザートは腹いっぱい食べなきゃ気が済まないタチなんだ。……覚悟は良いか?」
そう言うと、リオセスリは私の唇を塞いだ。そういえば彼はデザートはなかなか食べず、ティータイムが終わるギリギリまで残しておくタイプだっけ、今更そんな事を考えても、あとはもう、食べられるだけだと目を瞑った。