愛で埋め合わせて

 行ってくる、と言って口付けをひとつ。華奢だけれど鍛え上げられたその体にマントを羽織り家を出て行った後ろ姿が懐かしい。
 恋人であるセノがマハマトラの任務によりここを離れて三ヶ月が経った。セノは大マハマトラであり実力もある。彼の安否については正直心配はしていない。セノは強く逞しいから、恋人である自分が大丈夫だって事を一番分かっている。彼が家を出て一週間経った頃は寂しさに体が焼かれるんじゃないかと思うほど辛かった。二ヶ月経った頃は会いたくて堪らなくて毎日枕を濡らしていた。そして三ヶ月が経った今、会いたくて寂しいのには変わりないが、まるで感覚が麻痺しているみたいに、涙を流すほどではなくなっていた。思いが冷めた?薄情なのかな?と思ったけれど、寂しさに呑み込まれない為の自己防衛みたいなものなのだろうと、彼の帰って来ない扉を眺めながら朝ごはんをお腹に詰めた。

「…三ヶ月、経っちゃったよ」

 三ヶ月経ったら帰って来ると言っていたのに、今日で三ヶ月と二日目。何かあったのだろうかと彼の実力を分かっていながらも柄にも無く嫌な方向へと考えてしまう。コーヒーを飲み終えて溜め息を吐くと、何の前触れもなく涙がぽろりと頬を滑り落ちた。え?と思っているうちにそれはとめどなく溢れ出して、止めようにも止まらない。何で急に…とそれを拭い続けていると、胸がジンジンと痛んでいる事に気が付いた。誤魔化していたけれど、きっと私はとうに限界を迎えていて、セノに会いたくて仕方がないんだ。

「……セノ」

 ぎゅうっと痛む胸を掴んで、泣き続ける。セノの仕事は規則性がなく、状況によっては臨機応変に対応しなければならないものだ。三ヶ月の予定が四ヶ月、五ヶ月と伸びる事だってあるかもしれない。でも、これ以上耐えられる自信がない。フラフラとベッドまで辿り着くと、仰向けに寝転がる。このベッドで一人で眠る事にもそのうち慣れてしまうんだろうか。セノが使っていた枕をぎゅっと抱き締めると、少しだけセノの匂いがして、またしても涙が溢れ出てきてしまった。
 室内に私の啜り泣く声だけが響いている。今日は泣くだけ泣いたらスメールシティに買い物に出掛けよう。そしたら少し気も紛れるかもしれない。たぶん、そうはならないだろうと思いつつも、何とか前向きになろうとセノの枕を濡らしながら考えていると、突然、家の扉がバコン!と大きな音を立てて開いた。驚いて飛び起きて、扉の方へと目を向けると、なんと、そこには私が会いたくて会いたくて仕方なかった彼の姿があった。

「セノ!?」

「……っ、ただいま」

 セノはなぜだか汗だくで、肩で息をしている。まるで全力疾走でもしたかのような彼の様子に、もしかして怪我でもしたのかと慌てて駆け寄ると、セノの手が伸びてきて、私を強い力で抱き締めた。

「会いたかった」

 セノにしては珍しい感情を滲ませたその声に、驚いて引っ込んでいた涙が一気に溢れてくる。セノの背中に腕を回して彼の首元に顔を埋めると、私が泣いている事を察したのか、セノの手が私の頭をゆっくりと撫でる。

「…私、も…会いたかったよ…」

「ああ……遅くなって悪かった」

 セノに負けないくらい強い力でセノを抱き締めるが、そんなの勿論セノはへっちゃらなようで、声を上げて泣く私を宥めるかのようにひたすら頭と背中を撫でてくれている。
 セノだ、本物のセノ。ずっとずっと会いたかった大好きなセノ。なかなか泣き止まない私の耳元で「ごめん」「悪かった」と呟くセノに申し訳なくなってきて、涙を止めるべく息を思いっきり吸って、吐く。それでも未だポロポロと目からこぼれ落ちてくる涙に何で?と必死に目元を擦ると、そんな私を驚いたように見ていたセノがふっと笑って、涙を流し続ける私の目元にそっとキスをした。まるで壊れ物に触れるかのような優しいキス。セノは眉を下げて、愛おしいものを見るかのような視線を私に注いでいる。それが嬉しくて、擽ったくて、もう一度セノに抱き着こうとしたのに、セノは私の両肩を掴むと今度は私の唇にキスをした。熱い熱いセノの唇。まるで氷に覆われたみたいに冷え切っていた私の身も心も溶かすキス。唇が離れると、勢い良くセノに抱き着いた。

「……汗臭くないか?」

「え?なんで?」

「砂漠から走ってきたから汗だくなんだ」

「さ、砂漠から走ってきたの!?」

「ああ」

 砂漠からここまでかなりの距離がある。だからセノは扉を開けた時、珍しく肩で息をしていたのか。それにしても、なんで走って帰ってきたのだろう。そう問いかけようとしたが、セノが私の顔をじっと見て、柄にも無く笑みを浮かべているものだから、そんなのわざわざ聞かなくても何の為かなんて明白だ。

「……ありがとう」

「…もう泣くな」

 また滲んできた涙をセノの指が拭う。小さく頷いてセノにくっつくと、セノがチラリとベッドのある方を見た。つられて同じ方へと視線を向けると、セノの枕が不自然な位置にドンと置かれている。無論それは私がさっきまで縋り付いて泣いていたからで、寂しさを隠すつもりはないが、セノの枕を抱き締めて泣いていたなんて事は知られたくない。「ああ、あれは…」と今から洗濯をしようとしていて…とありきたりな嘘を吐こうとしたのに、どういうわけかセノは突然私の体をヒョイと持ち上げた。

「な、なに!?」

 宙に浮いたかと思えば、すぐに下ろされる。しかし、下ろされたのはベッドの上で、すぐ隣にあるセノの枕と目を合わせて状況を整理しようとしたけれど、そんな暇は与えないとでもいうかのようにセノが覆い被さってくる。

「これは俺の枕だな」

「……そうだね」

「あれを抱いて寝ていたのか?」

「………………たまにね」

 さっきまでセノを見てわんわん泣いていたのに今更そんな事を隠したところでどうなのかという話だが、恥ずかしいものは恥ずかしい。至近距離にあるセノの顔を見る事ができずにそっぽを向いていると、まるで力尽きたかのようにセノが私の顔のすぐ横に、顔を埋めた。

「……セノ?」

 私が名を呼ぶと、なぜかセノは大きな溜め息を吐いて、私の耳元にちゅっと口付けた。驚いて体が小さく跳ねるが、そんな事など関係ないとでもいうかのように、セノは私の頭をぐしゃぐしゃと撫でると、もう一度私の耳元に唇を寄せた。

「…………堪らなくなる」

 いつものセノと違って低い艶やかな声に一気に体が熱くなる。頭を撫でていたセノの手がゆっくり下りてきて、私の頬を撫でる。そーっと隣にあるセノの瞳を覗くと、その瞳には私が映っており、熱を帯びてゆらゆらと揺れているようだった。目が合って、吸い寄せられるかのように唇と唇が触れる。セノの手が私の腰をぐっと引き寄せる。これはそういう時の合図のようなもので、久しぶりだから何だか緊張する。ぎゅっと目を閉じてセノに体を預けようとした直後、突然セノの体が勢い良く離れて、近くで感じていたぬくもりが一瞬で無くなる。

「……なに?」

 いつの間にかベッドの脇に立っているセノ。そしてベッドに寝転がり行き場をなくした手を彷徨わせている私。どういう事?とセノを見上げると、セノは苦虫を噛み潰したような顔ですっとどこかを指差した。

「汗をかいたと言っただろう。風呂に入ってくる」

 な、なるほど…セノらしい行動に思わず笑みが溢れる。ここで理性を無くさず風呂に入りに行くところがなんともセノらしい。セノのこういうところが大好きだなと思いながらベッドから起き上がると、そんなセノでもさすがにあの雰囲気を壊して風呂に行くのは若干不服なようで、少し眉がピクピクと動いているし、顔も赤い。

「……一緒に入る?」

 部屋から出て行ったセノに聞こえるか聞こえないかくらいの声量で声を掛けると、勢い良くセノが顔を出してきて、そして、頷いた。あはは!と笑う私の声と、小さく笑うセノの声が家中に響き渡る。もう当分、涙を流す必要はなさそうだ。
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