綻びをひとつまみ

 一糸乱れぬ隊列、整頓された本棚、形の揃った葡萄。
 完璧なものが苦手だった。壊してやりたいとまでは思わないけど、見たくない、そして、関わりたくないと思ってしまうのだ。

「…なぜその話を僕に?」

 向かいに座るディルック様が足を組み直す。ここまで話したら察してくれると思ったのに…私は彼に気付かれないように小さく息を吐くと、ディルック様が淹れてくれた紅茶を口にした。
 アカツキワイナリーの下っ端従業員だった私は、一ヶ月ほど前からオーナーであるディルック様の秘書をするようエルザーさんから頼まれた。お世話になっているエルザーさんの頼み、ましてやオーナーの秘書という仕事を断れる筈も無く、今に至る。しかし、問題がひとつあった。秘書としての業務や、お給料については何の問題もないのだが、私は、オーナーであるディルック様の事が苦手なのだ。なぜかというと、私は完璧なものが昔から苦手で、それは『もの』に限らず、『人』も含まれる。目を惹く容姿に、綺麗な赤い髪。元騎士団にいた事もあり、剣の腕も上等。仕事もできて、そして実家も裕福。みんなから慕われるくらい性格も良い。彼のような者を完璧と言わずして誰が完璧と言えるのか。勤め先のオーナーを苦手だなんて失礼な話だが、下っ端従業員である私がディルック様と関わる機会は少なく、私が勝手に苦手意識を持っていようがそれはどうでもいい事だったのだ。けれど、今の私はオーナー秘書。無論、ディルック様と関わる機会はうんと増え、抱える苦手意識をどうでもいいだなんて言っていられなくなっていた時に、ディルック様から問われたのだ。「僕の事が嫌いなのかい?」と。
 回らない頭を無理やり動かして口から出た言葉は、完璧なものと関わりたくない、という遠回しなようでただただ失礼な言い分で、しかし、聡いディルック様の事なら何となく分かってくれると思っていたのに、ディルック様は顎に手を当てて虚空をジッと見つめていた。

「……いや、あの、ですから、完璧であるディルック様の事を…」

「完璧?僕が?」

 眉を顰めて、驚いたかのように私を見るディルック様に、思い描いていたディルック様のイメージが少しずつ崩れていくような気がした。ディルック様は完璧なお方だ。そんな事みんな分かっているだろう。そして自身もその自覚があるのだと思っていたが、今のディルック様はどう見ても僕が完璧だなんて信じられないといった様子だ。そんな反応をされると思っていなかった私は何も言えずただ目を丸くしていると、ディルック様は私の言っていた意味をやっと理解したようで、小さな声で「そういう事か…」と呟いた。

「君は完璧なものが苦手で、そして僕のことを完璧な人間だと思っているから嫌いだと」

「……嫌いというわけではありませんが…」

「僕は完璧な人間じゃないよ」

 ディルック様はソファに深く沈むと、ふぅ、と息を吐いた。溜め息とも違う、まるで安堵したかのようなその仕草の意味が、私にはよく分からなかった。

「 まず、僕はワイナリーのオーナーなのに酒が嫌いなんだ」

「……」

「あと……そうだな…」

 ディルック様の酒嫌いはアカツキワイナリーの職員の間でよく話題にあがっていた。まあ、言われてみれば致命的な事かもしれないが、それが彼の綻びかと言われればあまりにも些細な事な気がしてならない。ディルック様は腕を組んで何やら考え込んでいる。絞り出さなければ自分の短所が出てこないなんて、やはりディルック様は住む世界が違う。淹れてもらった紅茶はもうとっくに飲み干してしまった。ディルック様の言葉を聞いたら、話題を変えて業務へと戻ろうと、この後の算段をしていると、ディルック様がゆっくり顔を上げた。篝火のような赤が揺らめく瞳と目が合う。

「……気になる女性に嫌われてしまってね。口説かせてももらえない不器用な男なんだ」

 ディルック様が頬杖をついて私の事を見つめる。形の良い唇が少しだけつりあがっていて、彼のこんな顔を見るのは初めてだ。

「…ん?………………………えっ!?」

 彼の言葉の意味を理解した私が大きな声を上げると、ディルック様はくしゃりと笑った。
 そんな、普通の男の人みたいに笑う事もできるんだと、胸の奥底で燻る思いに気がつくのは、一体いつになるのだろう。
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