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「やー、びっくりした」
毎晩の恒例となっている甲板での万葉とのお喋り。今日あった些細な出来事などをここで話すのだが、いつもなら私の話に笑顔で相槌を打ったり、口を開いてくれる万葉の表情は心無しかどんよりしている。例の件について触れてみようと切り出したのだが、万葉は俯く一方で、口を固く結んでいる。どうしたものかと空を見上げていると、数分後、意を決したかのように万葉が顔を上げた。
「……あの者と…どういう関係だったのか聞いても?」
関係?驚いて目を見開くと、万葉は慌てて「いや、お主を疑ってなど断じてないが…」と言葉を濁らせた。それもそうだ。だって私と万葉は付き合っているのだから。だからあの人との関係を問われたところでただの船員同士としか言いようがない。
「…何回か話した事があるってくらい…ご飯食べる時に隣とかにもなった事ないし…」
「…………そうか」
そう言うとまたしても万葉は黙り込んでしまった。流石の万葉とはいえ恋人が異性から別れ際に言葉こそなくても贈り物をされていたら多少なり面白くはないのだろうか。それもそうか。私だって万葉が女の子に贈り物なんてされていたら黙り込むどころか万葉に八つ当たりしてしまいそう。
甲板の床をジッと見つめる万葉に体を寄せ、その肩に頭を乗せると、万葉はハッとしたかのように小さく跳ねると、恐る恐る私の肩を抱いた。
「……簪を贈る意味を知っているか?」
万葉にしては小さく、弱々しい声だった。簪を贈る意味?分からないと素直に首を横に振ると、万葉は「そうであろうな…」と言ってから私の肩を抱く手に力を入れた。
「お主の事を護りたい、という意味が込められている。つまり、求愛でござるな」
「……なるほど」
何となくそういう意味なんじゃないかと察してはいたが、やはりそうだったのか。
万葉はふぅと息を吐くと、自分の肩に頭を乗せる私の頭に擦り寄るかのように顔を寄せた。手を伸ばして万葉の頭をそっと撫でると、すぐに手を取られ、そして万葉が私の手に遠慮がちに口付けた。
「…お主の気持ちが拙者から動いたなどと思ってはおらぬ…しかし、異性からの贈り物、ましてや簪など、意味を知らなかったとて…その、受け取って欲しくなかったのだ…」
珍しく歯切れの悪い言い方をする万葉に驚いてその顔を見ると、なんと、あの万葉の顔が真っ赤に染まっていた。いつだって余裕綽々で私の一枚も二枚も上手の万葉がこんな顔をするなんて本当に珍しい。眉を寄せ、不満気に口を尖らせる万葉は悔し気に私をジッと見ている。そんな万葉を落ち着かせようと腕を伸ばして彼の体を包み込む。すると、すぐさま万葉が私の背中に腕を回して、まるでどこにも行くなと言わんばかりに強い力で抱き締め返してきた。
「万葉が一番好きだよ」
「……うむ」
「……てか簪受け取ってないよ?」
「……は?」
万葉は私から体を離すと、大きな目を瞬かせた。彼から簪を渡された時、あの場では空気を読んで一度受け取ったが、実はその後に丁重にお返しさせてもらった。簪を贈られる意味を理解していたわけでもないが、私には万葉という恋人がいるのだから、異性からの贈り物を受け取るなんて万葉に失礼だと思ったのと、気があるわけでもない異性からそんな高価な物を受け取るわけにはいかないと思ったからだ。その事を万葉へと伝えると、キョトンとしていた万葉の顔が見る見るうちに赤く染まっていく。万葉は片手で顔を覆うと、もう片方の手を伸ばして、掌を私へと向けた。それは今はそっとしておいてくれという意味だという事を察したが、珍しくはやとちりをして真っ赤になる万葉が可愛くて、勢いよく彼に抱きつくと、万葉は観念したかのように私を受け入れた。
「失礼した…拙者は勘違いを…」
「いや、一番に伝えなかった私が悪いよ。ごめんね」
万葉の背を摩ると、羞恥心が最高潮に達したのか、万葉が力無く私へと体を預ける。くたくたになってしまった万葉の体を抱き締めながらその顔を覗き込むと、恥ずかしいのか万葉は私と目が合うと、きゅっと目を瞑ってしまった。
「…………妬いた?」
「……当たり前であろう」
誤魔化してくるかと思ったが、意外にも素直な言葉が返ってきた。万葉が妬くなんて数年に一度の流れ星を見れたくらい貴重な事だ。とはいえ不安にさせてしまったのは私の落ち度だ。ごめんねの意味を込めて少し強めに万葉の体を抱き締めると、落ち着いてきたのか万葉が自分の顔を両手で軽く叩いて座り直した。
「……すまぬ。取り乱した」
「…珍しいものが見れた」
「…む……忘れてはくれぬか?」
「忘れないよ。あんな万葉滅多に見れないもん」
「……そんな事はない…拙者はお主の事となるといつも余裕が無くなる」
え?どこが?余裕のない万葉を見れたのなんてほぼ初めてだけれど…私が知らないだけで万葉だっていっぱいいっぱいになっている時があるんだろうか。
「ひとつ、約束してほしい」
「なに?」
さっきとは一変して元通りになった万葉が真剣な顔で私を見つめている。締まりのない顔をしていた私も万葉に合わせてキッと顔に力を入れると、それを見た万葉の顔が綻ぶ。
「そんな風に身構えずともよい」
「そ、そう?」
大事な話かと思ったからなんだけど…と言われた通り力を抜くと、いつの間にか重なっていた万葉の手が私の手をぎゅっと握り締めた。
「…拙者以外からの簪は受け取らないで欲しい」
それって、と顔を上げると、万葉の顔が近付いてきて柔らかい唇が私の唇へと触れる。楓色の瞳が細められて、耳元で万葉がそっと囁いた。
「予約、でござる」
そう言った万葉の顔は少し、赤かった。