ピンク泥棒


 好きな人とイチャイチャしたいというのは誰しも持っている欲望なのではないだろうか。漏れず私もその中の一人で、しかし、私の恋人はそんな不特定多数が共感する意見に「俺はそうは思わないが」と言い退ける少数派であったりもする。
 私とアルハイゼンは付き合ってかれこれ一年が経つ。恋人同士というと二人でいる時は常にべったりくっつき、他の人には見せないような顔や会話をしたりするものだと私は思っている。けれど、私達はそうではない。二人きりの時だって、他の人がいる時と同じような距離感だし、会話も至って普通だ。ならキスやそれ以上は?というと、する時はするが、しない時は全然しない、という何とも珍しくも変なカップルだと自負している。だって私がアルハイゼンに猫撫で声で甘えたところでアルハイゼンは「頭でも打ったのか?たんこぶはできていないようだが」と言って読んでいた本の続きを読む事だろう。

「……どう思う?」

「あの男は恋人である君の前でもああなのかとある意味感心したよ」

 グラスの中に入った酒をくるくる回しながらカーヴェは溜め息を吐いた。まだ二杯目なのにしっかりできあがってしまったカーヴェは舌足らずな様子で「マスター!もう一杯!」と追加で酒を注文した。それに便乗して「私も!」と手を挙げると、マスターは肩を竦めて酒を作り出す。
 カーヴェとは教令院時代からの友人だ。飲まなきゃやってられない!もしくは暇だなと感じた時にこの酒場に訪れると、決まってカーヴェがいるものだから、ここに来ると気が済むまでカーヴェと飲むのは恒例行事のようになっている。今日も偶然出会い、そして恋人への不満をカーヴェにぶつけていると、アルハイゼンと長い付き合いである彼は私の言葉に何度も頷いていた。

「つまり、君はアルハイゼンとその…イチャイチャしたいわけだ?」

「……言葉にすると馬鹿っぽくって恥ずかしいね……」

「そんな事ないさ。この世の女の子が持つ当たり前の願望なんじゃないか?」

「そうなのかな……」

 肩を落とす私の背を、カーヴェが元気付けるかのようにまあまあ強い力で叩く。その後、カーヴェと私は良い解決策が出るまで酒場で飲み明かした。

 ◇

「……来てたの?」

「ああ」

 遅くに家に帰ると、家の鍵が開いているものだからまさかと思うと、リビングのソファで寛ぎながら本を読むアルハイゼンが居た。合鍵を渡してあるからアルハイゼンが私の家に居ることはそこまで驚く事ではないが、自発的に来ることなんて滅多にないから、まるで酒場での会話を聞かれていたかのような気分になり勝手に気不味くなる。

「……飲みすぎだ」

 アルハイゼンに近付くと、アルハイゼンが顔を顰める。そ、そんなにも酒臭いだろうかと自分の体を嗅いでみたがよく分からなかった。
 酒場でのカーヴェとの会話を思い出す。これはグッドタイミングというやつなんじゃないだろうか?カーヴェから貰ったアドバイスを今こそ試すべきだと、ソファに仰向けに寝転んでいるアルハイゼンの側にそっと腰掛ける。アルハイゼンは本を閉じると、突然近くに来た私を驚いた様子でジッと見ている。

「あの…そのー…」

「何?」

「……ぎゅってして」

 空気が固まったようなそんな気がした。 酒場で「これで全てが上手くいく!」と赤い顔で笑っていたカーヴェを思い出すが、言い放ってしまってからあんなの結局酔っ払いの戯言なのではという事に気が付くがもう遅い。アルハイゼンはというと、基本ノーリアクションである彼が珍しく目を見開きながら私の顔をジッと見て固まっている。
 や、やってしまった!木のうろがあったら入りたい!一気に噴き出した汗と羞恥心に赤くなったり青くなったりしていると、アルハイゼンがソファから起き上がろうとしているではないか。もしかして何言っているんだこいつと呆れて家から出て行こうとしている?どうする事もできずに汗を流しながら固まっていると、起き上がったアルハイゼンの腕が伸びてきて、私の体を包み込んだ。

「……え?」

「……なぜ君が驚く」

 アルハイゼンの不服そうな声が耳元で聞こえる。体に回ったアルハイゼンの腕の温もりに、やっと私はアルハイゼンに抱き締められている事に気が付いた。

「……あ、ありがとう?」

 そっとアルハイゼンの背に腕を回して、とりあえず抱き締めてくれた事に対して礼を述べると、アルハイゼンは一度私を引き剥がし、訝しげに私の顔を見てからもう一度ぎゅっと抱き締めてくれた。
 なぜ私の顔を確認したのかその行動の意味は分からないが、まさかもう一度抱き締めてくれるなんて思わなかったから、驚きと嬉しさで鼓動が速くなる。アルハイゼンの背中に無遠慮に抱き付くと、アルハイゼンは私の頭をゆっくり撫でた。

「…何かあったのか?」

「え!?」

「いや、やはり何もなさそうだな」

 確かにいつもはそんな事を言わない恋人が「ぎゅっとして」なんて言い出したら何か嫌な事でもあったのかと思うだろう。けれどアルハイゼンは驚く私の声を聞くと、大丈夫そうだなといった様子でふうと息を吐いた。

「…君は今夜誰かと飲んでいた……という事はカーヴェの入れ知恵か」

「う……」

「図星か。君が珍しく俺に甘えてきた理由は?」

 どうやらアルハイゼンはカーヴェと私が何かを企んでると思っているようだ。甘い雰囲気になると思っていたのに、抱き合ったまま尋問される事になるなんて…しかも、甘える事に理由なんてない。ただアルハイゼンに甘えたいから、それだけなのに。上手な言い訳や嘘なんて思い付かないし、思い付いたところでアルハイゼン相手にはバレてしまうだろう。そっとアルハイゼンから離れ、観念した私は酒場でカーヴェに相談した内容について打ち明けた。

 ◇

「なるほど」

 端的にいうと「あなたとイチャイチャしたい」という事を伝えたのだが、アルハイゼンはまるで論文に目を通した後のような一言を放つと、顎に手を当てて何やら考え込んでしまった。
 アルハイゼンは淡白な男だ。今更あんな事を言ってめんどくさい女だと思われてしまうだろうか。イチャつく時間があるなら読書をしていたいのに、と思ったりしていないだろうか。考え込むアルハイゼンの顔を眺めながらハラハラしていると、アルハイゼンは目を伏せたまま「俺は…」と呟いた。

「君の提案には賛成だ」

「……提案?」

「俺と触れ合いたいという事についてだ」

 そう言うと、アルハイゼンは私の腕を掴んだ。そしてあれよあれよといううちに、私はアルハイゼンの膝の上に乗せられた。瞬く間の出来事に驚いていると、私とは裏腹に表情を変える事のないアルハイゼンの顔が目の前にある。彼と向き合うような恥ずかしい体勢であるということを自覚して慌てて膝の上から退こうともぞもぞしてみるが、逃がさないとでもいうかのようにアルハイゼンは私の背中に腕を回した。

「どうして逃げるんだ?」

「は、恥ずかしいからだよ!」

「君がしたいというのはこういう事じゃなかったのか?」

 首を傾げるアルハイゼンの言葉に、そう言われてみるとそうかもしれないと納得する。おずおずと自分の手をアルハイゼンの首の後ろに回してみる。私の一挙一動を観察するかのように目を動かしていたアルハイゼンだが、私が首の後ろに手を回し終えると、アルハイゼンはぐっと私の体を引き寄せた。アルハイゼンと私の体が密着する。そして、鼻先が触れる距離にはアルハイゼンの顔。やけに整っているその顔は見慣れている筈だが、至近距離だと直視するのが恥ずかしくて仕方ない。思わずぎゅっと目を閉じると、何を思ったのかアルハイゼンの唇が私の唇に触れた。

「す、ストップ!」

「……何だ」

 アルハイゼンを突き飛ばし、彼の膝の上から脱兎の如く抜け出す。イチャイチャしたいと言ったのは私だが、急にこんな展開になるなんて思ってもいなかったし、アルハイゼンが応じてくれるとも思わなかった。つまり、私の覚悟が足りなかったのだ。熱い自分の頬を両手で覆っていると、アルハイゼンはちょいちょいと私に手招きをした。

「…ごめん!たぶん私酔ってて…」

「君はザルだろう」

 咄嗟に思い付いた言い訳は即座に論破されてしまった。アルハイゼンは立ち上がると、私の方へと歩いてくる。そして目の前でしゃがみ込み、私の膝の辺りに触れたかと思えば、またしても私はあれよあれよといううちにアルハイゼンに抱き抱えられていた。

「ちょっ!アルハイゼン!?」

「俺は、君は無意味に触れ合ったりくだらない話をしたりするのは好きじゃないのだと思っていた」

「……そうなの?」

「ああ。だから俺は柄にも無く君の意思を尊重していた。けれど、そうではないのだったら遠慮はいらないな」

「…というと?」

「俺は君に意味も無く触れたい」

 いつの間にやら寝室へと運ばれて、ベッドの上へと下ろされる。真っ赤になった私の顔をアルハイゼンは覗き込むと、「君も、意味も無く俺に触れてくれて構わない」と言って私の頬に口付けた。

「……ぜ、善処します」

 そう言って、アルハイゼンの腕にそっと触れると、アルハイゼンはふっと目を細めて笑った。

 
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