「この中のどこかにはあるって……数多すぎ……」
「仕方ないだろう。しらみ潰しに探していくしかない」
叫び出しそうな私とは裏腹に、セノは表情を崩す事なく淡々と本を手に取っていく。大マハマトラに就任できるだけあって、彼は真面目であり勤勉で、そして黙々と任務をこなしていくことに定評がある。尽きぬ事のない溜め息を吐き出しながら、私もそんな彼を尻目に本を手に取っていく。
「わぁ、懐かしい」
「なんだ?」
私が手に取った本を見てセノがひょいと顔を出す。それは幼い頃に見た童話で、とある女の子が毒林檎を食べて意識を失うが、王子様のキスで目覚めるというロマンチックなお話だ。なんでこの本がこんなところにあるのかはさておき、懐かしさに職務中という事も忘れて本を開きかけるが、そういえば隣にいる男は教令院時代からの腐れ縁とはいえ大マハマトラなのだという事を思い出して開きかけた本をそっと閉じた。
「…読まないのか?」
「……大マハマトラのセノ様の前ですから」
「二人の時はその呼び方と敬語をやめてくれと言った筈だが」
一応上司と部下である私達は、人前だとそれっぽく振る舞うが、セノが二人の時はやめてくれと言うものだから、セノの言う通り遠慮なく友人の距離感で接している。けれどたまにこうして私が揶揄って仰々しく接すると、セノは露骨に嫌な顔をする。
ごめんごめんと言って舌を出すと、セノはそんな私を見て溜め息を吐いた。しかし、その視線はすぐに私の手元にある本へと移される。
「…もしかして、これ読んだ事ないの?」
「……ああ」
誰でも知ってる童話だと思っていたけど、セノは知らなかったのか。驚きつつも興味津々といった様子で本の表紙を見つめるセノに本を手渡すと、恐る恐るその表紙を捲った。
「――まあまあだな」
本を読み終わると、セノは無表情のままそう言い放った。まぁ、童話だし、こういうのにときめいたりするのはどちらかといえば女性の方が多いんじゃないだろうか。そもそもセノはこういうお話に興味がなさそうだし…
「見ず知らずの老婆から貰った林檎を何の疑いも無く口にするなんて、考えられないな」
「…セノらしい」
確かに考えられない。見るからに怪しい老婆から林檎を渡されるセノ、それだけでなんだか面白いけれど、セノの事ならその林檎を手に取って匂いを嗅いだだけで「なんのつもりだ」と言って林檎を老婆の目の前で握り潰しそうだ。そんな事を想像しながらセノにバレないように笑いを堪えていたのだが、顔を逸らす私にざくざくとセノの視線が刺さっている事に気が付いた。ごほんと咳払いをして、誤魔化すべく慌てて口を開く。
「知り合いなら兎も角、知らない人から貰った林檎なんて怪しくて食べられないよね」
「知り合いでもどんな知り合いかによるな」
「だよね?セノは私が渡した林檎も食べてくれなさそう!」
「……」
ああ、怪しくて食べられないな。と、少し笑いながら言われるものだと思っていたのに、なぜだかこのタイミングでセノが押し黙る。ひどーい!とセノを小突いてさぁ仕事をしようか!と締めようとしていたというのに。
何も言わなくなってしまったセノの顔を覗き込むと、目を伏せていたであろうセノが私の視線に気が付いて上目遣いでこちらを見た。赤い双眼と目が合う。林檎の話をしていたのもあって、まるで林檎のような綺麗な赤だなとセノの瞳をまじまじと見ていると、セノは困惑した表情でそっと私から目を逸らした。
「……お前から渡された林檎なら、俺は毒入りでも食べてしまいそうだ」
「え?」
「……さぁ、資料を探そう」
思いもよらぬ形で仕事は再開されたが、セノの言葉の意味が分からず立ち尽くしていると、作業を始め、頭上にある本に手を伸ばすセノの耳が赤い事に気が付いた。
「……え?」
林檎のように赤い瞳だと思っていたのに、今度は耳までも林檎のように赤いセノの言葉を反芻する。その言葉に含まれている意味と、赤く染まったセノの耳、その二つを理解して、今度は私の顔が林檎のように真っ赤に染まる番だ。