「何その歌」
私の歌声は雨音とそっけない声に掻き消された。
頬杖をついて心底どうでも良さそうな視線を向ける彼と自分の温度差が少し恥ずかしい。
教令院から自宅へ帰る途中、突然降り出した雨に雨宿りができそうな軒下に駆け込むと、その後を追うかのように同じ因論派である『笠っち』が駆け込んできた。笠っちと話をするのは初めてではない。彼が書いた論文に感銘を受けて勇気を出して話しかけた時、あまりの不遜さと口の悪さには驚いたものだが、何度も話しているうちに、彼が心底嫌な人、というわけではない事に気付いて、それからは見かける度に声を掛けている。
そんな笠っちと雨宿りをする事、早三十分。立ちっぱなしで足が痛くなってきた私はその場にしゃがみ込み、なかなか止まない雨を眺めていると、笠っちも私の横にしゃがみこんだ。半ズボンから剥き出しになっている彼の膝を見て「寒くないのかな」と思ったが、顔色ひとつ変える事なく降り頻る雨を眺める彼を見て大丈夫そうだなと安心した。
「ぴちぴちちゃぷちゃぷらんらんらん」
「…頭の悪そうな歌だね」
「稲妻に伝わる童謡らしいよ。稲妻出身の子が歌ってたの」
稲妻、と言った時、笠っちの体がぴくりと反応した気がした。そういえば笠っちは顔立ちからして稲妻出身なのだろうか。聞いてみようかと思ったけれど、なんとなく、やめておいた。
「じゃのめって何だろう」
「傘の事だろう」
「傘?笠っちと一緒だね」
「…前から思ってたけど、君の発言は本当に稚拙だね。一度考えてから発言した方が良いんじゃない?」
「よく言われる」
ふふ、と私が笑うと、笠っちは何故か驚いたかのように目を見開いて私をジッと見てから直ぐにぷいっと顔を背けてしまった。何か、変な事を言っただろうか…
「雨、止まないね」
「…ああ」
ザアザアと降る雨は一向に止む気配がない。まだ夕方にもなっていないというのに空は曇って辺りが少し暗くなってきた。もう少し待ってみてそれでも止まなければ笠っちとこの雨の中走って帰るしかない。笠っちはともかく鈍臭い私はきっと帰った頃には泥だらけになっているんだろうなぁ、とそんな事を考えていると、笠っちの視線がこちらに向いている事に気が付いた。
「…君にはじゃのめで迎えに来てくれる人はいないの?」
「え?」
そんな事を聞かれるとは思わなかったし、何となく口遊んだ歌の事を笠っちが気にしてくれるとも思わなかった。
「私は一人暮らしだし、居ないかな」
「……ふぅん」
「笠っちは?」
「いるわけないだろ」
食い気味かつ投げやりとも取れる返答に少し驚いた。膝を抱えて視線を雨の降る空へと戻した笠っちの横顔はどこか寂しそうな気がして、何か上手い言葉を掛けられないかと考えていたが、「まあ…」と笠っちが不服そうな顔で口を開いた。
「迎えに来そうなお節介な奴ならいるかな」
眉間に皺を寄せて唇を尖らせてそう言った笠っちの横顔からはさっきの寂しさは消えていた。そっか、そうなんだ。何だか嬉しくなって口元が緩んでしまう。そんな私に気付いたのか、笠っちは私の顔を見るなり私の両頬を片手で勢い良く掴んだ。
「何笑ってるんだい?」
「わ、わらってなひ」
笠っちの手を何とか解くと、気が付けばさっきより空が明るくなっている事に気が付いた。夕日が顔を出して、私達を橙色に照らしている。
「…あれっ、雨止んでる!」
あんなに降っていたのに、いつの間にか雨は止んでいた。勢い良く立ち上がると、笠っちも私につられて立ち上がった。
「笠っちと雨宿りできて良かったよ」
「……なぜ?」
「笠っちの事が色々知れたから」
「……ふぅん」
相変わらずの素っ気ない返事。でも、笠っちはこうじゃないと。
「じゃあね」と言って笠っちは頭に乗っている大きな傘の鍔を持ち深く被り直すと、向こうの方へと歩いて行った。
「…………ん?」
小さくなっていく笠っちの背中を見つめていると、ある事に気が付いた。笠っちの頭に乗っている大きな笠。そもそも笠っちはあれを被っているのだから、雨が降っていようと雨宿りなどする必要はないのでは?もしかして、私が一人で雨宿りをしないで良いように一緒に居てくれたのかな。
考えれば考えるだけなんだか心臓は速くなるし、顔が熱い。夕日のせいで橙色に染まる私。その頬はきっと、橙色ではなく赤色に染まっている事だろう。