万葉の視線がいつになく鋭い事になど気付かずに。
◇
隣にちょこんと座る新人の彼に、心がザワザワと落ち着かない。何故なら船内にて食事をする時の私の隣は万葉の特等席だからだ。そしてその片方には酔っ払った船長が私の肩を組んで周りの船員達とお喋りしている。別に私が気にする事ではないのは分かっている。けれど何だか万葉に申し訳なくて、彼が食堂に入ってくる前にどうにか出来ないものかと思考を巡らせていたが、入り口に立つ万葉と目が合った。
「あ、かず…」
手を挙げかけたが、万葉は何かを思い出したかのような顔をしてから食堂を出て行ってしまった。それと同時に新人の彼がご馳走様ですと言い箸を置いた。部屋に戻りますと言う彼に胸を撫で下ろす。いやいや、いくら何でも気にしすぎ。と安堵する自分に言い聞かせる。別に私と万葉は付き合ってるわけでもないんだから、こんな事をいちいち気にしなくてもいいじゃないか。
酔いも覚めてきた船長が「さぁ、寝るか」と言ったのを合図に皆が片付けをしてから自室へと戻っていく。あれから食堂の入り口をずっと気にしていたが、万葉が姿を見せることはなかった。という事はご飯食べていないんじゃないのかな。それとも具合が悪いんだろうか?彼の部屋へと行けば分かる事だが、その間に食堂の片付けが済んでしまいそうだ。どうしたものかと考えていると、ひとつ良い事を思いついた。
◇
万葉の部屋をノックすると、中から返事は無かった。寝ているのかなと思ったが、人の気配が感じられないので別の場所にいるんだろう。別の場所といっても部屋にいないのなら彼がいるのはあそこしかない。そう思い甲板へと出ると、やはり万葉はいつも腰掛けている見張り台の上で夜空を仰いでいた。
「万葉」
私が名前を呼ぶといつもならまるで尻尾を振った子犬のようにすっ飛んで来るというのに、万葉はピクリと体を動かすだけで夜空を見続けていた。
「…今宵は冷える。部屋に戻った方が良い」
いつもと違う彼の様子に食堂での出来事が脳裏にチラつく。いや、まさかね。そう思いながら少し移動して万葉の顔が見える位置までくると、いつも口角を上げてにこにこしている万葉の口元がへの字になっている。あれ、やっぱり。もしかして…
「かーずは」
一際明るい声でもう一度名前を呼ぶと、万葉は頬を膨らませながら不服そうに私を見下ろした。その顔に思わず笑みが溢れる。すると、万葉の頬がますます膨らんでいく。
「……何を笑っているのでござる」
「…怒ってるの?」
大袈裟に首を横に傾げると、万葉の顔が少し赤く染まる。「そんな愛い事をしても…」とぶつぶつと何かを呟く彼に、手に持っていた物を「はい」と渡すと、万葉の目が大きく開かれる。
「…おにぎり」
「夕飯食べてないでしょう?握ってみたの」
万葉がおにぎりへと気を取られている間に彼の横に腰掛けると、への字になっていた彼の口角がゆるゆると上がっていく。「いただきます」と言っておにぎりを頬張る彼に思わず私の口元も緩んでしまう。
「あ、ご飯粒付いてるよ」
夢中に食べる万葉の唇の横に付いたご飯粒を指差すと、それを取ろうと伸ばされた万葉の指が何故だか引っ込められる。すると万葉は目を閉じて自分の顔を私へと近付けた。
「取ってくれぬか」
「え!?」
まさかそうくるとは思わなかった。動揺する私とは裏腹に万葉は目を閉じたまま動く気配はない。これは私がご飯粒を取るまで諦めないな…そう思い彼の唇の横に付いたご飯粒を取ってあげると、万葉の目がゆっくりと開かれる。
「……指か」
「……当たり前でしょ」
残念そうに呟かれた言葉に思わず顔が熱くなる。なんて分かりやすくベタな手法で私を試そうとしてくるんだろう。
最後の一口を食べ終わると、万葉は「ご馳走様でござる」と手を合わせた。もう機嫌は直ったかな?と万葉の顔を覗き込むと、私と目が合った途端万葉の顔がじわじわと赤くなる。
「…拙者の為にわざわざ握ってくれたのか」
「うん。……特等席取られて怒ったの?」
万葉は私の言葉に特に動揺する様子もなく、俯いたまま小さく頷いた。まさかとは思っていたけどやっぱりそれが原因で万葉はへそを曲げてしまったのか。胸の中に愛しさが広がっていく。思わず万葉の頭をゆっくり撫でると、万葉はまるで子供扱いするなと言うかのように自分の頭を撫でる私の手を掴んだ。そしてそのまま私の手は万葉の少し大きな掌に包み込まれる。ちらりと万葉の顔を見ると、万葉も私を見ていたようで、お互い目が合い沈黙が訪れる。重ねられた万葉の手が私の指の隙間を縫うように絡みついていく。徐々に顔が熱くなって、万葉の顔が見ていられなくなる。思わず目を逸らすと、万葉がぽつりぽつりと小さな声で話し出した。
「お主が新人の教育係を任された事は知っている」
「…うん」
「…そうは分かっていても、やはりお主が拙者以外の異性と親しくしているのを見るのは面白くないでござる」
そうだろうなとは思っていても、いざ面と向かって言われてしまうとどうしようもなく照れ臭い。それは万葉も同じようで、視界の端にある彼の顔も林檎のように赤くなっている。重ねられた万葉の手に力が篭り、彼が小さく私の名前を呼んだ。反射的に顔を上げると、ちゅっという音がして鼻先にあたたかい感触がした。至近距離にある万葉の顔に目を見開くと、まだ顔を赤くした万葉が不服そうに口を尖らせていた。
「…今日のところは鼻で手を打とう」
「は、なっ何それ!?」
「お主の唇を奪うには、懐の深い男へ精進せねばならぬな」
はぁ、と溜め息を吐くと、万葉は慌てふためく私を見ていつものようににこりと笑った。
「おにぎり、美味しかったでござる」
「ありがとう」と言うと万葉は見張り台から飛び降りた。船内へ戻ろうとでも言うかのように手招きをする万葉に、聞こえないようにこっそり呟いた。
「…唇でも、良かったのに」
万葉の耳が良い事を忘れていた私は、数秒後またしても赤面する事となる。