裸足で掴み取るさ


 グランドバザールは今日も活気に満ちている。
 教令院に在籍する私は研究の息抜きにグランドバザールへよく足を運ぶのだが、気が付けばここにいる人達とも顔見知りになってしまった。そしてその顔見知りというのは大人だけではなく、子供達も含まれる。「あ!お姉ちゃん!」という甲高い声がしたかと思えば、何やら集まって遊んでいた子供達が私の元へわっと駆け寄ってくる。
 
「今日の本は?」
 
 私が膝を折って視線を合わせると、子供達の目が輝く。後ろ手に持っていた本を私へ差し出すと、子供達は定位置の椅子へと腰掛けた。その真ん中に置かれた少し立派な椅子に腰掛けると、私はいつものように手渡された本を音読していく。
 表題はシンデレラ。誰がどこでこの本を手に入れたのかは知らない。仲良くなった子供達が本を読んでと言って渡してきたのがきっかけで、ここを訪れる度に私はありとあらゆる本を子供達に読み聞かせている。私が来るのを待たなくても、大人なら誰でも本ぐらい読めるのだと子供達に伝えた事があるが、「お姉ちゃんがいいの!」とありがたい言葉を頂戴したので、興に乗せられて読み聞かせを続けている。
 いつものように一冊の本を読み終わると、子供達が小さな手を叩いて拍手を送ってくれた。可愛らしい光景に頬を緩ませていると、視界の端に大きな傘のような物が映った。
 
「お疲れ様」
 
 それは傘ではなく、傘のような被り物を被った男だった。男は子供達に紛れて一番端の椅子へと足を組んで座っていた。本を読んでいる間、全く気が付かなかった。派手な出立ち、整った顔。こんな人、グランドバザール内で見た事がない。旅行者だろうか。しかし、彼は手ぶらで荷物を持っている様子もない。それにどうして子供達に混ざって私の読み聞かせを聞いているのだろう。
 笑顔を貼り付けた、という表現が似合うような表情で態とらしく手を叩いている彼はどこか普通の人とは違う雰囲気を纏っている。できるだけ不信感を出さないように、ぺこりと頭を下げると、彼は突然立ち上がって大袈裟に両手を広げた。
 
「やだなー、ただの通りすがりだよ。素敵な物語が聞こえたから思わず足を止めただけじゃないか」
 
 私が警戒しているのがバレてしまったようで、彼は明るく、大きな声でそう言った。一歩、二歩、と彼が私の元へと近付いてくる。ええ、なに?なんで?と咄嗟に立ちあがろうとしたのに、気付けば目の前にいた彼にそっと肩を押されてもう一度椅子へと強制的に座らされる。誰か!と思い、慌てて辺りを見渡すが、子供達は「そのお兄ちゃんと遊ぶの?」「じゃあねー」と言って手を振って遠くへと走り去ってしまった。
 
「ちょっと!」
 
 走り去る子供達の背中に声を掛けるが、一足遅かったようだ。そしてタイミングが悪い事にいつも店先にいる男性や、端の方で踊っている女性も姿を消している。しまった、この時間はみんなご飯を食べに行っている時間だ。
 私の肩に手を置いたまま私を見下ろす彼は、どういうわけか私の膝の上に置いてある本をジッと見ている。逃げ出したくなるような威圧感と、紛い物の笑顔。なのに、彼の瞳はまるで星を浮かべた夜空のように綺麗で、目元に引かれた紅が彼の顔の美しさを引き立てているようだ。
 
「何?」
 
 彼の視線が本から私へと移る。ジロジロ見過ぎたと思った矢先の鋭い視線に思わず息を呑む。さっきの明るい調子とは違い、吐き捨てるかのような怪訝そうなその一言に緊張で背筋を伸ばすと、彼の手が伸びてきて、私の膝に置かれた本をそっと手に取った。
 
「…これ、どういう意味?」
 
「え?」
 
 シンデレラ、と書かれた文字を指差すと、彼は態とらしい笑みも、嫌悪感もない、無垢な顔で私を真っ直ぐ見た。
 
「…灰かぶり姫って意味らしいけど…」
 
「どうして灰かぶり姫なんて名前なのさ」
 
「……意地悪な継母や姉達が彼女をそう呼んだの」
 
「灰かぶりは、悪い意味なのかい?」
 
 その言葉に目を瞬かせるが、彼の表情は変わらない。馬鹿にされているのかと思ったが、彼は私にただ純粋な疑問をぶつけているようだった。
 
「……灰かぶり姫だとしても、最後には幸せを掴み取っているんだから、灰まみれだって、どうって事ないと思う…」
 
 わ、私はそう思うけど…と聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声でそう付け足すと、彼は俯き、押し黙った。何か気に触るような事を言ってしまっただろうかと内心ハラハラしていると、彼は持っていた本をパラパラと捲り、そして勢いよく本を閉じると、その本を私へと差し出した。
 
「なかなか面白いね、君」
 
 面白い事など言っただろうか。差し出された本を受け取ると、彼はニッと、意地悪い、けれどちょっぴり可愛らしい笑みを浮かべた。
 
「灰まみれは悪くないけど、僕はガラスの靴を履くのなんてごめんだなぁ」
 
「……あなたなら、そんなもの履かなくても自分でどうにかできそう」
 
 あっ、と口元を押さえるが、飛び出して行った言葉は戻ってはこない。初対面だけれど、大胆不敵そうな彼を見ていたら思わず言ってしまった。怒られるかも、とぎゅっと自分の手を握ると、目を丸くして私を見ていた彼が突然、堰を切ったように笑い出した。
 
「あはは!やっぱり君、面白いね!」
 
 彼の笑い声がグランドバザール内に響き渡る。またしても面白い事など言っただろうかと首を捻っていると、食事を終えた人々がちらほらとグランドバザールへと戻ってきているのが見えた。腹を抱え笑っていた彼もその事に気付いたようで、ふっと顔から笑みを消すと、傘のような被り物の先を持ってそれを深く被り直した。
 
「また来るよ。次はもっと面白いやつを聞かせてよね」
 
 くるりと背を向けると、彼はグランドバザールの出口へと歩き出す。大きな傘のような被り物に、派手な装飾の衣服。ここには踊り子や傭兵など派手な人達が出入りするが、その中でも彼は一際異彩を放っている。被り物の後ろに付けた布のようなものをヒラヒラと靡かせながら歩く彼の後ろ姿をぼんやり見ていると、そういえば大切な事を聞いていない事を思い出した。
 
「ねぇ!あなたの名前は?」
 
 できるだけ大きな声で呼び止めたつもりだが、聞こえていただろうか。しかし、彼は歩みを止めない。その背中を追いかけようかと踏み出した直後、彼が振り返り、口をぱくぱくと動かした。
 
『シンデレラ』
 
 声は聞こえなかったが、口の動きがそう言っていた。呆気に取られて固まる私を見て、彼は赤い舌をべ、と出し笑った。
 
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